移動メニューにジャンプ

アジア映画れびゅう(33)「變臉 この櫂に手をそえて」 
 

(ご注意)かなりネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、記憶違いなども多いでしょうが、ご容赦ください。


「變臉 この櫂に手をそえて」

(ストーリー)
 ワンは、小舟に家財道具を積み込み、川沿いの町や村を渡り歩く大道芸人。
 口上を述べながら一瞬のうちに仮面の早変わりを行う名手で、「変面王」と呼ばれている。
 この変面の技は、門外不出で、男の弟子にしか伝えることを許されていないが、変面王は天涯孤独の身の上で、「将軍」という名の猿だけが道連れだった。
 四川省京劇(川劇)の人気俳優で「生き観音」と呼ばれているリャンは、変面王の芸に感動し、自分の劇団に入らないかと誘った。
 自由を好むワンは、この申し入れを断ったが、リャンの言葉は身に沁みた。

 ワンは既に高齢で、このままでは自分の死とともに「変面」の芸は途絶えてしまうのだ。
 ワンは、8歳の男の子を「買った」。
 自分の孫として育て、ゆくゆくは変面の芸を伝えようとしたのだが、ゴウワーというその子どもは、実は女の子だった・・・・・
變臉

 


(あれこれ)

1.狂言まわしとしての「おしっこ」

 以前紹介した「中華英雄」でも「おしっこ」シーンが多かったが、この映画でも3回ほどおしっこに関するシーンが出てくる。

 1回目は、ワンと一緒に寝ていたゴウワーがおしっこをするために夜中に起き出して船の外に出るシーン。あたりを気にしながらゴウワーはしゃがんだので、映画を観ている者はここでゴウワーが実は女の子であると知るのだ。

 2回目は、可愛い後継ぎができて嬉しいワンが、上機嫌で、ある大道芸に挑戦する。身の丈に近いほどのサトウキビを地面に立て、ナタを茎のてっぺんに突き立てる。そして、茎を手で支えることなく、すぱ〜っと最後までサトウキビを両断できたら挑戦者の勝ちというもの。
 大抵は、途中で茎が倒れてしまい、罰金を払う羽目になるのだが、ワンは見事に成功する。得意そうに甘いサトウキビをゴウワーに与え、再び挑戦しようとするワン。
  すると何者かが物陰からパチンコでワンを狙い、ワンはナタを足の上に落としてしまう。(おそらくパチンコで撃った者は、このサトーキビ屋とグルで、何度も成功されると商売上がったりなので妨害したのだろう)
 ワンは、布を酒に浸して燃やし、ゴウワーに「刀傷には、灰と子どもの小便が一番なんだ。早くかけてくれ」と言う。大好きなおじいちゃんが血を流していることに動転したゴウワーは、「今、出ない」とごまかすこともできず、泣きながら女であることを白状してしまう。

 3回目は、ゴウワーが悪者に誘拐されていたティエンツーという男の子を救い出す。逃げ延びて身を隠した廃屋で、ティエンツーが「おしっこ!」と言って、立ってやらかすのをじっと見つめて「芋虫だ・・・」とつぶやく。
 これには伏線がある。「第二のおしっこ事件」で女の子とわかって、追い出そうとしたワンだが、櫂にすがって哀願し、さらに、船を追って川に飛び込んだゴウワーにほだされ、使用人として置いてやることになった。
 女の子らしい服を着せてもらい、テーブルの上に花なんぞを飾り、笑顔で食事を給仕する。ワンの顔は「女の子ってのも、なかなかいいもんだなあ」という表情をしており、思わず「ああ、お前が男の子だったらなあ」とつぶやいてしまう。
「男の子だったら、どう違うの」「小さな芋虫みたいなのがついてるんだよ」
 そんな会話があったのだ。
 その後、ゴウワーは、家代わりの船を燃やしてしまい(ワンの留守中にこっそりお面を取り出してローソクの火で眺めているうちに、面に火が燃え移ったのだ)、今度は本当に追い出されて街をさまよっているうちに悪者にさらわれてしまう。
 一味は、先に金持ちの家の孫をさらっており、その子の世話をさせるためゴウワーを連れて来たのだった。
 ゴウワーは、隙をみつけて男の子を連れて脱出に成功。そして、男の子を欲しがっていたワンの船の中にこっそり置いていった。
 で、ワンはワンで、観音堂の尼さんに「川べりで男の子を得る」という予言を受けていたこともあって、その子に名前を聞くと「ティエンツー(天賜)」と答えたのですっかり、菩薩の思し召し、天からの賜りものと信じ込んでしまい、一緒に暮らし始める。捜索願が出ていたので、ワンは逮捕されてしまうのだが、まあ、これはワンもいかんよなあ。捨て子だと思ったのだろうか。

2.基調としての「男女差別」

 この映画で全体を貫くテーマの一つは「男女差別」であろう。
 まず、変面王の早変わりの秘技は、男にしか伝承を許されていない。

 次に、子どもであっても跡取りの「男の子」は大事にされる。
 劇中で、貧しい家庭の子どもが売り買いされるシーンがある。路上で、子どもの「市場」が立っているのだ。「市場」に出かけたワンの袖に「お金はいいから連れて行ってください」と小さな女の子がすがる。
 ゴウワーは、そこで、男の子としてワンに買われた。後でゴウワーは、男のふりをしたのは「女だから、今まで7回も売られたの。捨てられるのが怖かった」と弁解している。

 また、リャンは四川省歌劇の名女形で、「生き観音」と呼ばれ崇拝されているが、劇団に入ることを断ったワンが「代わりに、せめて兄弟の契りを」と申し出るが「私などしょせん女もどき。兄弟と言っていただけるような立場ではありません」と卑下している。

 もっとも、秘伝の芸を最後にはゴウワーに伝授しているし、少女のゴウワーと女形のリャンは、軍閥の師団長と真っ向から渡り合い、圧倒しているのだ。

3.芸達者揃い

 主役の朱旭については、言うまでもなかろう。「中国の笠智州」なんて表現も目にしたことがあるが、「ああ・・・うむ」とかしか言わない誰かと違い、まことに能動的で多芸だ。この変面の秘芸も、短期間の特訓で身につけてしまったと聞く。
 これでいつも思い出すのが、平成12年4月27日付けの朝日新聞の記事。
 「香港の人気俳優、劉徳華(アンディ・ラウ)が伝統芸能『變臉』の技を習いたいと申し出て、四川省は対応を検討してきたが、同省秘密保全局などの規定で『外部に漏らしてはいけない芸』とされていることから弟子入りを認めなかった」というもの。結果として「女性やよそ者に教えてはならない」というしきたりが、今日にも生きていたことになる。
 この映画の頃から現代は「時代」が逆戻りしてしまったのだろうか。

 ゴウワー役の女の子は、実生活でもゴウワーと同じような不幸な出身で、雑技団で修行を重ねた身の上とのこと。
 劇中で、実際に逆立ちして逆エビに反って、頭の横で両足を抱え込むようなシーンがあるが、ああしたこともお手のものらしい。
 不屈の光を目に宿しているし、一方で、捨てられた犬のような、必死で「拾ってください。こうすれば、可愛いと思ってくれますか?これならどうですか?」と訴えかけ、こちらの表情、思いを素早く探ろうとする、せつないしたたかさも有している。

 あと、猿の「将軍」の「演技」もすごい。ゴウワーが座っておしっこをするシーンでは「ありゃ〜!?」と驚く表情をするし、何とかワンがゴウワーを許すよう、写真を持ってきて渡し、仲を取り持とうとしたりする。

 金持ちの跡取り息子、天賜(ティエンツー)を演じた男の子も、横綱とかになる前の貴乃花のような、つぶらな瞳で可愛い顔をしている。
 子守り役で攫われてきたゴウワーが、お腹をすかしていたのでティエンツーのお碗のご飯を食べてしまう。ティエンツーは少し驚きながらも、「これも食べて」と手にしたお握り(?)を差し出す。その表情の愛らしいことと来たら、もう。

4.ハッピーエンド

 この映画、基本的に悪い人間が出て来ない。
 誘拐犯もマヌケだし、ちゃんと子どもにご飯をあげるなど、手荒な扱いはしていない。

 女形のリャンも、最初この映画を観た時には「こいつ絶対最後には裏切るやろなあ」と思ったのだが、最後まで「いいひと」だった。

 警察はワンを誘拐犯として捕らえ、拷問で彼を連続誘拐犯に仕立て上げてしまい、死刑を宣告する。
 しかし、拷問シーンも鞭の音、ワンの悲鳴、獄舎の窓から中を見つめる猿(「将軍」)が憤慨するシーンと、直接的に描写しないため、それほど残虐な感じはしない。

 軍閥の師団長も、威張っているし、自分で太鼓を演奏し悦に入るなどいい気なもんだが、別にひどいことをするわけじゃないし、ゴウワーの命を賭した、そしてリャンも役者生命を賭した訴えをちゃんと聞き入れて、渋っていた「地元警察への圧力」をかけてワンを釈放してくれた。

 ワンが「子ども」市場でゴウワーに関心を持ったのは、他の子どものように哀れっぽい声で呼びかけるのではなく、すっくと立ったゴウワーが、明るい表情で真正面からかけた「じいちゃん」という言葉だった。
 女であることがばれたが何とか「これからは旦那様と呼べ」ということで置いてもらえることになった。
 命の危機を救い、船の掃除をしながら甲斐甲斐しくワンの帰りを待つゴウワー。そこへワンが戻ってきた。
「ゴウワー・・・・」「旦那様!」「じいちゃんと呼んでくれ」「・・・・・・・・・・・じいちゃん・・・・じいちゃん!!」
 言ってみればベタベタの、予定調和のようなシーンだが、「イェイェ」という言葉の響きとともに何度観ても泣かされてしまう。

 こう書くと、最後で泣いてしまったようだが、実はけっこう最初でも泣いている。
 買われた直後、焚き火の側で食事をするシーン。がっつくゴウワーに「ゆっくり食え」と声をかける。確保した食べ物は、少しでも早く食べてしまわないと奪われるし、次にいつ食べられるかわからない。ゴウワーのこれまでを物語るシーンだ。
 ゴウワーの腕に虐待を受けた跡を見つけたワン。思わず泣き出したゴウワーに「泣くな。お前の運は変わった。今から名字はワンだ」

 あせった表情でゴウワーをおんぶしているワン。病気なのだ。薬はびっくりするほど高かった。やむなく大事にしてきた宝剣を、売りに出す。
 煎じ薬をゴウワーにのませ、同じ掻い巻にくるまって座り込む。ワンは奔走した疲れが出たのか、すぐに眠り込んでしまった。後ろから抱きかかえられながら、静かにゴウワーは涙を流していた。
「よかったなあ、よかったなあ」私も一緒に涙を流していた。暖かいのは、煎じ薬や、じいちゃんの体温だけではないのだ。

(資料)
1986年 中国・香港作品
監督:呉天明(ウー・ティエンミン)
主演 変面王:朱旭(チュウ・シュイ)
狗娃(ゴウワー):周任瑩(チョウ・レンイン)
梁素蘭(リャン・スーラン):趙志剛(チャオ・チーカン) 
天賜(ティエンツー):張瑞陽(チャン・ルイヤン)

原題:變臉   The King of Masks

★★★☆



←前のページへ 次のページへ→
「アジア映画」メニューに戻る
トップページに戻る

inserted by FC2 system