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アジア映画れびゅう(30)「ザ・カップ 夢のアンテナ」 
 

(ご注意)かなりネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、記憶違いなども多いでしょうが、ご容赦ください。


「ザ・カップ 夢のアンテナ」

(ストーリー)
 ここは、インドの山中にあるチベット仏教の僧院。僧院長は、今日も手紙を取り出してはため息をついていた。
 それは、あるチベット在住の婦人から寄せられた手紙で、中国政府の宗教弾圧がひどいので、弟と息子をそちらの僧院で修行させたいというものだったが、その二人がなかなか来ないので、密出国に失敗したのでは、と心配しているのだ。
 修行僧といっても、血気盛んな少年たち。暇な時間には、空き缶やボールでサッカーにうち興じている。
 時あたかも1998年。フランスワールドカップ大会の年だった。
 少年僧の一人ウゲンは、部屋中にサッカー選手の写真を貼り、僧衣の下には「ロナウド 9番」の黄色いシャツを着込んでいるほどのサッカーファンだった。

 僧院長が心配していたバルデンとニマの二人も無事到着し、年上のバルデンはウゲンと同室となった。
  
 今日もウゲンは、ロドゥやバルデンたちを誘って、夜中に僧院を脱け出し、ふもとの村までサッカー観戦に出かけた。
 ところが、それが先生にばれてしまった。
 もう脱け出すことはできない。
 しかし、今夜はとうとう決勝戦だ。
ザ・カップ

 悩んだウゲンは、「悪いのは夜間外出だ。TVをレンタルして僧院で見せてもらおう」と思いつき、先生に頼んだところ、意外にも許可がおりた。
 ウゲンやロドゥは強引にカンパを募り、何とかTVを調達してきた。僧院の屋根にパラボラアンテナを据え、ついにワールドカップ決勝戦の映像が流れ始めた・・・・・


(あれこれ)
 監督は、非常に有名なチベット仏教の高僧だそうだ。そういう人が映画監督をしたというのもすごいし、出演者もほとんど全員が実際の僧侶で、セットじゃなく、ほんものの寺院でのオールロケらしい。
 ひとこと書評のコーナーを見てもらうとわかるが、私はチベットものがけっこう好きで、いくつか読んでいるのだが、そうした書物に出てくるものが映像となっているので、いわばドキュメンタリーとしても楽しめた。

 例を挙げると、亡命してきたバルデンとニマが、案内してくれたガイドとともに初めて僧院長と会うシーンで、バター茶とツァンパを出される。ツァンパとは、大麦を炒って粉にしたもの(日本でいう「麦こがし」、「はったい粉」に近いらしい)で、椀の中でバター茶でこねてダンゴにして食べるらしいのだが、ガイドさんが粉を椀に大盛りにしてるので、あんなに入れて、うまくこねられるのだろうかと心配になった。

 で、僧院長への贈り物を渡す時、バルデンらは白い長い布を渡していたし、ガイドが「それでは、私は戻ります」と言った時、僧院長は彼の首に白いスカーフというか、薄〜いマフラーのようなものをかけてやっていた。
 ああ、これがチベットもので頻出する「カタ」ってやつか、と思った。

 また、僧院での食事シーンでは、細い棒が突っ込まれた長い筒に湯を注ぎ、そこにバターの塊をぼとっ!と落し、何かの粉をぱらぱらと振り入れ、その棒を上下させて、がぽっ!がぽっ!と攪拌していた。
 これがまさに「チベット人の国民飲料がバター茶。雲南省のお茶っ葉を煮だして、バターと塩を入れて『ドンモ』という道具で攪拌する」(『チベットで食べる・買う』P40)ってものなんだな、と納得。

 得度のシーンでも、バルデンとニマは普段着のまま、僧院長に、ほんのひとつまみだけ髪にはさみを入れられる。そして、何か折った紙を渡される。そこに書かれているのが、どうやら僧侶としての名前らしい。
 で、その儀式が終わった後で、二人を丸坊主にし、僧衣を与えるのはウゲンやロドゥに任されていた。その時に「チベットじゃ風呂に入らないのか」「年に一度、新年の時だけだ」「ここじゃ毎日だぜ」なんて会話を交わしていたが、ああ、チベットもので「風呂に入らない」なんてことが書かれてあったな、と思い起こした。

 ウゲンは身体は小さいのだが、目付きの悪い長与千種みたいな顔をしていて、声がやたらしゃがれてて、いかにも悪がきっぽい雰囲気。
 仲間の僧侶たちから半ば強奪してかき集めた300ルピーを持って、喜び勇んでレンタル屋に行ったが、インド商人の親父は「決勝戦は別料金。白黒は350ルピー、カラーなら400だ。1ルピーも負けられないし、あと2時間で店を閉めるから、それ以上は待てない」と言われ、愕然とする。
 ロドゥが、「そうだ、ニマの時計を担保にしよう」と言い出し、ウゲンも「それがいい!バルデン、お前叔父さんなんだから、説得しろ」とけしかける。
 ニマの母は、僧院に寄進するため家宝の時計をニマに託していた。ニマの家は貧しくて、現金などを贈ることができなかったのだ。僧院長は、その時計を受け取らずニマに返してくれていた。まだ幼いニマは、家が恋しくて仕方がない。今となっては母親をしのべるものは、その時計だけ。だから、いつも肌身離さず持っていた。叔父のバルデンに言われ、渋々渡したものの不安で仕方がない。

 ワールドカップの放映中も、ニマはバルデンにいろいろ訴えかけ、めそめそ泣いていた。レンタル屋の親父は、明日までに追加の50ルピーを持ってこないと、時計は売ってしまうと言っていた。しかし、金のあてはないのだ。悲しむニマを見ているうちにたまらなくなったウゲンは、そっとTVの部屋から出て行った。
 先生が、僧坊の部屋でウゲンを見つけ「お前が一番見たがっていたのに、何をしているんだ」と声をかける。
 ウゲンは、ニマの時計を買い戻すため、売りに出せるものを探していたのだ。先生は、ウゲンが何よりも大切にしていたサッカーシューズや形見の短剣まで売ろうとしていたことを知り「ウゲン、お前は商売が下手だな。いい僧侶になれる」と暖かい言葉をかける。
 少し照れくさそうに、でもとても嬉しそうに先生を見上げた時のウゲンの笑顔の素晴らしいこと。それまでの悪がきぶりとは別人のような、「いい表情」だった。

 別人といえば、先生もそう。
 この映画、若い修行僧は多く出てくるが、指導者側の僧侶は、僧院長と、この「先生」の二人だけ。いつも怖い顔で修行僧を叱っているか、難しい顔をしている。
 先生も目付きが悪い、というか厳しい。
 ところが、ウゲンにTV観戦を頼まれ、僧院長に相談に行った時のこと。
「全く困ったものです。いつも、この時期は、みんな修行に身が入らなくて」
「この時期とは?」
「あの・・・ワールドカップです」
「それは何だ?」
「二つの文明国がボールで争うのです」
「ふむ・・・暴力はあるのか?」
「う〜ん・・・・多少は」
「セックスは?」
「ご安心ください。皆無です」

 僧院長はうなずいていたが、ふと気がついたように
「詳しいな?」と突っ込まれた先生、一瞬ぎくっ!とした後、にま〜っと満面の笑みを浮かべる。その時の先生の顔は最高だ。
(先生は、こっそりサッカー雑誌を読んでたりして、どうやらけっこうサッカー好きらしいのだ)

 ウゲンたちがふもとの村でワールドカップのTV放映を観るため、夜中に脱走する時、こんな会話がある。
「早く行かないと、国家斉唱に間に合わないぞ」
「いいじゃないか。チベット国歌じゃない」 
「・・・・チベット国歌を歌える日が来るのかなあ」

 日本は幸いにして、ワールドカップ会場で国歌が歌えたが、これは、将来チベットが独立してチベット国歌そのものが歌えるようになるのか、さらにナショナルチームができてアジア代表になれる日が来るのかという二重の意味がある。

 冒頭の婦人の手紙に「弾圧がきびしくなり、ダライラマの写真を拝むことすら許されません」とある。(ダライ・ラマはインドに亡命している)
 僧院長も、宗教を貫くためチベットから亡命しているのだが、故郷忘れ難く、毎日のように荷造りを繰り返している。叶うことのない故郷チベットへの帰り支度だ。

 この映画、牧歌的に進んでいく。中国の圧政をことさら大げさに誇張したりはしないが、何気ないセリフ、ちょっとした一シーンなどには、重たいものがありました。 


(資料)
1999年ブータン・オーストラリア作品
監督:ケンツェ・ノルブ
主演 先生:ウゲン・トップゲン  ロドゥ:ネテン・チョックリン
ウゲン:ジャムヤン・ロゥドウ  僧院長:ラマ・チュンジョル
占い行者:ゴドゥ・ラマ  いねむり修行僧:ティンレイ・ヌディ
料理番修行僧:クンザン  バルデン:クンザン・ニマ
ニマ:ペマ・ツンドゥプ

原題:PHORPA   The Cup

★★★



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