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アジア映画れびゅう(15) 「夢翔る人 色情男女」 
 

(ご注意)かなりネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、記憶違いなども多いでしょうが、ご容赦ください。


「夢翔る人 色情男女」

(ストーリー)

 売れない映画監督シンは、1年近く仕事がなく、恋人メイに養われている状態。
 そんな彼に、プロデューサーのチャンが「君の脚本が売れた」と電話してきた。
 しかし出資を申し入れた人間は、黒社会のボスで、主演女優はボスの愛人モニクを押し付けられた。
 芸術作品を撮りたいシンだったが、ボスとチャンの狙いは、有名作品をパクッて、エロと暴力を入れた低予算の、要はポルノ映画。
 モニクは、大根のくせに、わがまま放題。スタッフの間にも不協和音が広がり、金もうけ至上主義のチャンとも衝突して、シンは「やめてやる!」とスタジオを飛び出した・・・・・・

(あれこれ)

 色々なパロディや内輪ネタがつまっている。
 チャンがシンに「お前はウォン・カーウェイか?バリー・ウォンをめざせ!」と、はっぱをかけると、シンは「なら、チンミー・ヤウを連れて来い」と言い返す。
 ウォン・カーウェイ(王家衛)は、「恋する惑星」(94年。トニー・レオン、フェイ・ウォン、金城武)や「ブエノスアイレス」(97年。トニー・レオン、レスリー・チャン)などが有名な芸術派の映画監督。
 一方、「ゼニの取れる」映画人の代表として挙げられているバリー・ウォン(王晶)は、「とにかく、おもしろけりゃええやろ。どや、おもろいか、ええか、ええのんか、最高か?」(←何で、大昔の笑福亭鶴光の口調になるねん)って感じの辣腕(←悪辣ではない)監督・プロデューサー。
 で、チンミー・ヤウ(邸淑貞)とは、「ラスト・エンプレス」などにも出演してるなかなかの美人女優なのだが、バリー・ウォンの愛人だという専らの噂であった。  

 チャンはシンを連れてバリー・ウォンの映画を観に行く。香港では、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」のヒット後、そのエロチック・パロディ版が続出した。映画館のスクリーンに流れている映像は、そんな感じで、裸の幽霊の上に、道士(あれはツイ・カムコンではないか)が飛んで来て、ナニを軸にプロペラのように回転する。館内バカ受け。これは、この映画用に創ったフィルムだと思うのだが、バリー・ウォンなら、ああいう映像を実際に撮っていても不思議ではない。

 一方、全然受けてない映画もあった。その映画の監督の名前、ポスターには、爾陞と書いてあったし、字幕では「イー・トンシン」と表記されていた。
 この映画の(ややこしいな。つまり映画中映画の監督じゃなくて、実際の)監督の名前はイー・トンシン(爾陞)である。で、爾冬陞は、爾東陞(演ずるは「濃い顔」ラウ・チンワン)を、映画の不評を苦にして投身自殺させるのである。でもって、この自殺が話題を呼んで、不入りだった映画が大人気になるというおまけつき。
 シンは真剣に「俺が自殺したら映画は売れるかなあ」と悩み、チャンは「最高のアイデアだ!」と後押しをするのだ。 
 とにかく売れるために話題になろうと、チャンは、街頭ロケを提案する。
 おっぱいぽろり、まで行ってしまい、モニクは大むくれ。こんな所でひどいじゃないの!激しくシンに抗議するおばあさんの横には、シンの母親が困ったような顔で立っていた。
 このおふくろさん、この後でシンのアパートに励ましに来たり、メイの悩み事を聞いてやったり、なかなかいい味を出している。
左がスー・チー

 いい味といえば、カメラマンのディッキー(俳優名はわかりません。エスパー伊東みたいな顔)もそう。
 飲み屋で、アンソニー・ウォン監督と一緒になる。彼は、ディッキーに向かい「俺は、チャウ・シンチーリー・リンチェイを使って大儲けだ。お前も生活に困ったら雇ってやってもいいぞ」とからかう。昔、ウォン監督ともめて、クビになったらしい。

 おちこんだディッキーを励ますため大いに飲んだシン、ぐでんぐでんになってディッキーの安アパートに転がり込む。狭い部屋。そこは、映画論やカメラ技術に関する本、古今の名作映画のビデオで足の踏み場もない状態だった。
 こんな真剣に映画が好きだったのか、意外な一面を知り呆然と部屋を眺めてるシンに、いつか酔いから醒めたディッキーが1本のビデオをかける。
 「この映画の監督は、後に『シコふんじゃった』を撮ったんだ」
  かかっている映画は、日本のポルノ映画で「変態家族 兄貴の嫁さん」。 皆さん、タイトルだけでひかないように。この映画では直接名前は出されていないが、84年に「変態〜」を撮ったのが、92年に「シコふんじゃった」、そして96年に
「Shall We ダンス?」を撮った周防正行監督なのである。

 なお、アンソニー・ウォン(黄秋生)は現実には映画監督ではなく、「人肉饅頭」(93年)というスプラッタ映画でブレークした怪優。
 今、「少林サッカー」が話題のチャウ・シンチー(周星馳)や、ワン・チャイシリーズのリー・リンチェイ(李連杰)はご存知のとおり。
左がカレン・モク  シンの恋人メイを演じるのがカレン・モク(莫文蔚)。よく香港映画本では、「素顔はキュートな美人」などと書いてある。それなりにキュートな表情は見せるが、美人とはな・・・・言葉をしゃべるおさるのように見える時もあるのだが。

 ポルノ男優を演じるのは、ツイ・カムコン(徐錦江)。スキンヘッドにヒゲだけど好人物。
 女優の方は、現実にもポルノ映画を踏み台にしてスターとなったスー・チー(舒淇)。
 チャンとの口論の中で「ポルノなんか嫌いだ!」と罵ったシンに向かって吐き捨てる「ポルノ映画の出演者だって辛いのよ」というセリフは、スー・チーのナマの思いかもしれない。

 黒社会のボスを演じるは、監督の実兄、チョン・プイ(秦沛)。
 プロデューサーのチャンは、ロー・ガーイン(羅家英)。「金玉満堂」の飯店のオヤジでもいい味出してましたが、やっぱおもろいです。
 映画製作が行き詰まり、シンはチャンの金儲け至上主義、俗物ぶりをなじり、チャンは、シンが芸術家きどりで理屈ばかりこねるが、「売れる」映画を撮れないことを馬鹿にする。
 お互いに肺腑をえぐるようなやり取りのすえ、売り言葉に買い言葉。
「やめてやる!」「お前なんかクビだ!」
 けんか別れしたシンだったが、このまま撮影中止になるとスタッフの給料も未払いとなる。チャンにわびを入れて、もう一度映画を撮らせてもらうように頼もうとするのだが、なかなかチャンの部屋のドアが開けられない。
 逡巡のすえ、ついに意を決してドアを開き、「あ、チャン。実は・・・」と言いかけるのをさえぎるように、チャンは、いたってビジネスライクに、「撮影は明日。参加は自由。お前が監督をするなら邪魔はしない。・・・・・・・・・やめるなら早く言え」
 う〜ん・・・・・・・漢(おとこ)だね。

 シンは返事をせずに、部屋を出た。シンは、自殺したイー・トンシン(ややこしいが、爾東陞の方)監督と最後の晩に言葉を交わした青年と出会う。
 イー監督は、映画監督志望の青年に、自分が監督になったいきさつを熱く語ったという。最初は俳優をしていたが、芽が出ず、監督に転向した・・・。これは、イー・トンシン(爾冬陞)監督本人のことじゃないか。
 いつの間にか、イー監督と語り合う青年はシン自身となっている。
「そんなに思慮深いのになぜ自殺を?」
「人間だから愚かなこともする。でも・・・チャンスが与えられるなら死にはしない」
 これは、もちろん現実の会話ではない。命ある限り、今、映画が撮れる環境なのにそれを投げ出すことなど出来ない。そんな自分への決意表明だったのだろう。

 撮影現場で(シンが)「来る、来ない・・・・」と何本も花占いをしているチャン。おっさん、かわいいじゃねえか。
 最後、映画スタッフと、黒社会のボスとは大喧嘩になってしまい、顔に赤タン、青タンいっぱいこさえて、これからの善後策を話し合う。モニクも、途中から、シンたちの映画への情熱に感化され、ボスの愛人側から、映画スタッフ側に転向したので一緒にいる。
 熱弁をふるうチャンに「ゴマすり野郎!」という野次が飛ぶ。真っ赤になって言い返すチャンのせりふがいい。
 「そうさ、俺はゴマすりだ。だが、俺は怒れるゴマすりだ!

 そうだよな。たて社会の中で生きていく以上、多かれ少なかれ、ゴマすりの要素は出てくる。私自身を振り返っても、そんな、「出世のために・・・」とか、露骨なゴマすりはしないが、気分よく仕事を進めようと、相手に話を合わせたり、持ち上げたりすることはある。だからといって、プライドまで売り渡すわけじゃない。ゴマすり野郎だって、怒るんだぞ、このヤロー。
  
 この映画、「スタンド・バイ・ミー」のラストなどと同じく、登場人物のその後、を紹介するシーンで終わる。ま、これはお楽しみ、ということで詳述は避ける。
 いずれにせよ、この映画、映画好きであればあるほど、内輪ネタで笑えるので楽しめるでしょう。

(資料)
1996年香港作品
監督:イー・トンシン(爾冬陞)&ロー・チーリョン(羅志良)
主演:シン→レスリー・チョン(張國榮)、モニク→スー・チー(舒淇)、
    メイ→カレン・モク(莫文蔚)、ワー→ツイ・カムコン(徐錦江)、
    チャン→ロー・ガーイン(羅家英)、ボス→チョン・プイ(秦沛)、
    イー→ラウ・チンワン(劉青雲)
    
原題:色情男女  VIVA EROTICA
★★★



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