移動メニューにジャンプ

アジア映画れびゅう(11) 「少林寺」 
 

(ご注意)かなりネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、記憶違いなども多いでしょうが、ご容赦ください。


「少林寺」

(ストーリー)

 隋朝末期の混乱期、地方の独裁者王将軍に父を殺されたチュエンは、少林寺に命からがら逃げ込む。
 王将軍に仇を討つため修行に励むチュエン。チュエンが唐朝の李皇帝(若い。李世民か?)に手助けをしたため、少林寺は王将軍の襲撃を受けた。
 「歴史ある少林寺を焼くなら、代わりに私が」と、火に身を投じた管長。しかし、王将軍の暴虐はやまない。ついに少林寺僧の怒りの反撃。呼応するように、王将軍の根城を、李皇帝の軍が襲った・・・・・

(あれこれ)

 「少林寺拳法」は、昭和22年に宗道臣氏が、少林寺の壁画をもとに創始した日本オリジナルの武術だそうである。であるから、この映画に出てくるのは少林拳とか少林寺武術と呼ぶことにする。

 この映画、少林拳の鍛錬シーンでは、北派槍術、長剣刀術、縄鏢術、蟷螂拳、地躺拳、酔拳、基本法拳、三節棍、柳槍術などの字幕が出るので武術解説ビデオのようだ。(本堂千仏殿、龍門石窟なども字幕が出るので観光ビデオのようでもある)

 少林寺に逃げ込んだチュエン(李連杰)に栄養をつけるため、カエルをつかまえる兄弟子たち。そこへ来合わせる師父(于海)。
 あわてる兄弟子たちに師父は「人助けのためだ。カエルも喜んでいる」。安心して、庖丁でカエルの首をすぱっと落として粥をつくる兄弟子。(カエルは別に喜んでないと思う)
 チュエンもそうだが、師父も酔拳の創始者?の赤鼻のシクンという僧も、もともと民間人で王将軍に恨みをもっている。みんな僧の割りに血の気が多い。
 「心に仏を持てば酒も肉も何するものぞ」と、師父の娘パイさん(丁嵐。いかにも一昔前の美人て感じ)の愛犬を焼肉にして食っちまう。

 この手の自己正当化が実に多く、李皇帝を救うため一人で王将軍の家来たちを相手にしていたチュエンの加勢に来た師父たち。
 「攻撃されたら自衛せねばならない」とつぶやき、さんざん殺した後で「み仏のご慈悲を」と手を合わせる。
 これは武闘派僧侶軍団だけでなく、寺を救うため自ら火あぶりになった寺の管長も「よこしまな心の持ち主(である王将軍たち)も、(殺されて)極楽で救われよう」
 事なかれ主義を決め込んでいた副管長格の僧侶も、足元に倒れこんできた敵将を刺し、「悪党どもを殺せ、殺すのだ〜!」と絶叫する。

 最後のシーンでは、チュエンが副管長(前管長は死んだから管長に出世したか?)から戒律を守るか問われる。
 戒律の第3条は「汝、女と交わるなかれ」。師父の墓前に、あらためて僧侶になることを誓ったので、パイさんは彼に胸のペンダントを渡して寂しげに去る。
 それを回想して返事が遅れるチュエン。そんな彼を寺の柱の陰から、まるで『巨人の星』飛遊馬の姉明子状態(←たとえが古いな)で見つめるパイさん。

 次の問いは「酒を飲むな」であったが、そこへ李皇帝が来て「禁酒の掟は取り消したらどうだ」
 すると、副管長「それはありがたい。皇帝のお言葉ですから、禁酒の掟は永久に取り消します」と、ころり方針転換。にやつくアル中僧侶のシクン。
 皇帝が来るのがもう少し早ければ妻帯も認められ、チュエンとパイも結ばれるし、少林寺は酒も女も何でもアリアリの、破戒僧のパラダイスになっていたのではないだろうか。
 さらに、13人の僧侶に皇帝から紫の袈裟と茶器、領地が与えられ、少林寺は僧兵を養うことが正式に認められたというラストシーンに続く。権力との結託である。

「♪ ショ〜リ〜ン〜 ショ〜リ〜ン〜 ♪」この妙にさわやかなテーマソングが、全体の調子を象徴していると言っていいのではないか。
 
 この作品でデビューした李連杰、63年生まれだそうだが、18歳のリンチェイを見ることができる。それだけで、リンチェイファンは落涙もんでしょうね。一世を風靡した鍛錬シーン(石の床がへこむ「はっ!はっ!はっは!」とか、両腕を水平に伸ばす水桶運びのシーンとか)も見ることができますし。
 ところで、敵役の王将軍、妙に腰高で、足運びも普通に歩いてるみたいで、どうも強そうに見えないんですけど、皆さんどう思われます? 

(資料)
1982年香港・中国作品
監督:チェン・シンイェン(張鑫炎)
主演:リー・リンチェイ(李連杰)、ユエ・ハイ(于海)、ユエ・チャンウェイ(于承恵)、
    ティン・ナン(丁嵐)、フー・チェンチャン、王光建
    
原題:少林寺  Shaolin  Temple
★★



←前のページへ 次のページへ→
「アジア映画」メニューに戻る
トップページに戻る

inserted by FC2 system