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アジア映画れびゅう(1) 「初恋のきた道」

「初恋のきた道」

(ご注意その1)完全なネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、映画館で一度観ただけです。(ビデオを借りるつもりが貸し出し中で、まだ観直しておりません)せりふなどは正確ではありませんし、記憶違いも多いと思いますが、ご容赦ください。

(ご注意その2)2001年11月24日の「追加分」は、一番下です。



<オープニング>
  父親の訃報に接し、故郷の田舎に帰った主人公。村長から、父は小学校新校舎建設の金策中、雪の中で倒れ、そのまま亡くなったと聞いた。
 遺体はまだ町の病院の霊安室であるという。葬儀の段取りについては委細よろしくと、村長に頼む主人公。村長が主人公に母を説得するよう頼んだ内容とは・・・

(ひとこと)
 白黒画面であることにまず、たじろぐ。これモノクロだったの?それに陰気な雰囲気だなあ。これで日本語タイトルが「初恋のきた道」なのか?


<担ぐ>
 村長は、母が、町から村まで父の遺体を「担いで」帰るよう主張して譲らないので、困っている。村には老人と子どもしか残っていないので担ぐのは無理だと言っているのだが、納得してくれんのだ、と。若い主人公は、そんな習慣すら知らない。
「昔はみんな担いだんだ。角ごとに立ち止まり、声をかける。死者が故郷への道を忘れないように」

(ひとこと)
 「担ぐ」ということについて、遺体を直接背負って帰るのか、そいつはちょっとなあ、死んでから少し時間がたっているみたいだし・・・と思っていた。澤田瑞穂氏の『中国史談集』だかに、死者が故郷を忘れないために話しかけながら遺体を担いでいくということが載っていたような気がする。村長の言葉とラップしてしまったのだ。(その本には、特殊な法で死体を歩かせるというのも載っていた。中国ゾンビ伝説といってよい。「キョンシー」というのも一時有名だった。これは、同氏の『鬼趣談義』(中公文庫)に詳しい)

 母は、小学校の前から動こうとしないというので、息子が迎えに行く。昔の習慣に固執したり、小学校の前で座り込むなど、私は「この母親、だんなが死んでボケてしまったのか?」と思い、何か、ますます「初恋」という雰囲気から遠くなるなあと心配になってきた。


<機織り機>
 母は主人公に、棺に掛ける布を織るから機織り機を出しておくれと頼む。
 機織り機はとうの昔に壊れている。修理してくれる人は「こんな機械はもう誰も使っていない。おふくろさん、どうでも担いで帰る気だな」
 夜なべをして織り続ける母の後ろ姿を見ながら、主人公は、ふと写真立てを手にする。若い頃の父と母の写真。回想シーンになる。

(ひとこと)
 主人公は、巨人軍の松井のようないかつい顔だが、なかなか優しい。
 「泣いてばかりいると体に毒だよ。」と母親に声をかける。「だって、あの人がいないんだよ。」ストレートだが、胸をうつ言葉である。うるうる度15%。
 回想シーンからカラーになる。なお、息子のナレーションで父母を回想するのは映画「紅いコーリャン」とも共通する手法である。


<出会い>
 広い草原に、轍の跡だけが2本の線を作っている。はるか向こうから馬車がやって来る。その馬車に、若い頃の父が乗っている。村に初めて小学校が出来た。父は、そこの教師として町から赴任してきたのである。馬車に乗っている父の笑顔。
 都会から来た先生を一目見ようと集まった人垣の後ろから覗く18歳の頃の母。嬉しくてたまらない様子で家に走って帰り、服を着替える。祖母(母の母)は眼が悪い。
 「先生は町から来たのか。感心なことだ。食事は?」「各家で順番に食べてもらうそうよ。」「うちに来たら、たっぷり食べさせておあげ。」
 母は、機織り機に向かう。建物を建てる時、村一番の器量良しが織った赤い布を梁に巻く習わしがあり、小学校の梁に巻く布は母が織ることになっていた。
 「母はとりわけ心をこめて織った。これまで母にはいくつも縁談があったが、いずれも断っていた。」というナレーション。

(ひとこと)
 父の赴任は、いわゆる文革の下放に関係があるのだろうか。あれは、農村地区に若いインテリ層を帰農させることが中心だったとおもうので、違うのかもしれないが。
 父の笑顔。若い頃の本木雅弘に薬丸裕英を少し混ぜ、中国産のトラクターで軽く轢いたような顔である。
 チャン・ツィイーは、この映画ではよく走る。赤い綿入れを着てプクプクしているのだが、こみあげる笑みを隠し切れずに走るツィイーがやたらもう・・・。かわゆい度85%。


<炊き出し弁当>
 当時は、建築は男の仕事で、女は食事の支度をすることしか許されなかった。母は心をこめて「おやき」を作り、丼に入れ、布で包む。
 木の長机に、村の女がめいめい弁当を置く。村の男は、適当に取って食べる。
 布が織りあがったので工事現場に持参した母。村の若い男が受け取り、「取りに行こうと思っていたんだ」と礼を言う。
 母は先生に渡したかったので内心不満だが、代わりに「先生は人より先に食べるの?」と聞く。「先生は教育があるので、そんなことはしない。一番近くにあるのを食べる」と聞き、次から、自分が持ってきた青花の器は一番端に置くようにする。

(ひとこと)
 母は父に食べてもらいたいのだ、ということがひしひしと観る者にも伝わってくる。しかし、映像ではどうも結果がはっきりしない。もどかし度25%。


<水汲み>
 村には井戸が2箇所あり、先生が来てから母は学校の向こうにある井戸まで足を伸ばすようになった。「男子志を立てれば〜」先生が教科書を朗読する声、子ども達が唱和する声が聞こえる。村人がたくさん校舎の外で聞いている。
 水を汲み終えた母。井戸は学校を見下ろす位置にある。父が校舎から出てきて、水桶をかつぎ、丘を登ろうとしている。それを見て、母は汲み終わった水を井戸に戻す。すると、村の若い男が通りかかり、「先生がそんなことをしなくても」と言って、無理に水桶を奪う。がっかりする母。


水汲みチャンツィイー (ひとこと)
 水桶を奪った男は、布を受け取った男と同一人物である。母に好意を抱いているようだ。しかし、前回も今回も、母と父の仲を邪魔しようとするような悪意は全く見受けられない。要は、絵に描いたような「お邪魔虫」なのである。
 先生がこちらに来そうなので、せっかく汲んだ水を戻し、先生を待つ。それなのに、おせっかいな男が、水桶をひったくろうとする。抵抗する父。でも、結局・・・。いわゆる関西弁でいうベタなシーンなのだが、思わずハラハラし、「あ〜あ」となる。

 

 


<待ち伏せ>
 先生が家の遠い子を送って帰ると聞き、母は待ち伏せをするようになった。籠を持って峠で待つ。子ども達が歌を歌い、先生とつないだ手を元気良く振りながら歩いてくる。姿を見かけて、気付かれないよう身を隠す母。
 山肌に座り、子ども達の声で振り返るシーンのリフレイン。
 とうとう、先生と正面から出会う。舞い上がってしまって、道端に籠を置き忘れてしまい、先生が呼びとめ、手渡してくれる。子ども達に母の名前を聞く父。聞かれた子どもが大きな声で「ディさん!先生が名前を聞いたよ!」


(ひとこと)
 ある人が奥さんと一緒に見に行って、奥さんが「結局、ストーカーの映画やね」と言ったんでがっくり来たそうである。こんなストーカーなら可愛いものだ。いじらし度70%。


<料理>
 朝早いうちから起き出す母。水を汲む。火をたく。父が料理を食べに来るのである。ご馳走を並べる。父が来る。玄関のところに立って、微笑んで父を迎える母。
 祖母の横で座り、食べる父。食べ終わり、母は片づけかけた食器を父の前に戻し、この食器覚えている?と聞く。薄茶色に青の模様の入った丼。
 父は最初覚えていないと言うが、祖母が「先生に食べてほしくて、この子は一生懸命だった」と言うのを聞き、覚えている、おいしかったと答える。
 母はさらにメニューは何だったか覚えているかと聞くが、答えられない父。母が、一日目はおやき、二日目は〜とすらすらと答える。
 きのこ餃子というメニューを聞き、父が「それは食べられなくて残念だ。好物なのに」と言うと「晩御飯はきのこ餃子を作るわ」と答える。
 ざくざくと餃子用の野菜を刻む母。祖母が「所詮身分が違うから結婚できない。先生のことはあきらめなさい」とさとす。

(ひとこと)
 「父は、よく、玄関のところで迎えてくれた時の母の姿は一幅の絵のようで一生忘れられないと言っていた」というナレーションが入るが、そりゃそうだろうと思う。かわゆい度90%。

 


<餃子と追っかけ>
 父が来る。「人が来ていて、しばらく町に戻らなくてはならない」「戻ってこれる?」「冬休みに入るまでには必ず戻る。12月18日までには。夕食は食べられなくなった。」「迎えの人と一緒に食べたら?」
 ちょっと悩むが「そうする。これは君のために買った」と紙に包まれた赤い髪留めを差し出す。
 「最初に会った日、赤い服を着ていた。君は赤が似合う」嬉しそうに髪に留める母。家に入って料理の支度。蒸し器の蓋を取る。ぷるぷると蒸しあがった餃子。外が騒がしい。車に乗って村を出ていく先生。
 意を決したように餃子の入った丼を布で縛り、必死で山を走る。谷を駆け降り、曲がった道を走る車に追いつこうとするが、すんでのところで間に合わず、気が抜けた瞬間、転んで坂を転がり落ちてしまう。走り去っていく車の影が小さくなる。
 振り返ると丼は割れ、餃子は散乱している。気落ちして帰ろうとしたところ、はっ!と髪留めがないのに気付く。必死で探しながら走ってきた道をたどる。


(ひとこと)
 何とかショートカットして車に追いつこうとするのだが、届かない。転ぶ、丼は割れる、餃子は土にまみれる。髪留めはなくなる。「母は何日も探した」というナレーション、とぼとぼと下を見ながらさ迷うツィイーの姿は、(後で家の近くでひょっこり見つかったのだが)何もこんなにいじめんでも、と思う。うるうる度75%。 
 学校の裏で「いやだ、絶対に帰らないぞ」などと言い争いをしている父のシーンが入る。「先生は保守派らしい」という村人の噂なども。父が急に帰ったのは、やはり文革がらみのようだ。

 


<教室の手入れ>
 朗読の声が聞こえた気がして、学校へ走っていく。着いてみると、窓(ガラスではなく、紙)は破れ、寒々とした雰囲気。
 母は、窓にきれいに紙を貼り直し、赤い縁起ものの切り紙を貼る。机や椅子の掃除をする。そんな母の様子を窓から覗く村長。
「母は遅くまで教室で座っていた。村長がそれを見て、母の気持ちに気付いた。村長が知ると言うことは村中が知るということだ。当時は自由恋愛などなかった時代なので、村では大評判になった」


(ひとこと)
 黒板もきれいに拭くのだが、父が書き残した字は消さずに周りだけを拭く。教室の後ろの椅子に座って黒板の字を見つめていると、朗読の声が聞こえる気がするのだろう。見上げると、梁に巻かれた真っ赤な布。いじらし度75%。


<丼の修理>
 瀬戸物修理の行商人を祖母が呼び止め、家に入れる。
「これなら買った方が安いよ」「ちゃんとお金は払うさ。ある人が娘の心を持っていってしまってね。割れてしまった丼だけでも元に戻してやりたくて」「それじゃ、心をこめて直さないとな」
 母が食器棚を開ける。母は修理された丼を抱えてぽろぽろと涙を流す。


(ひとこと)
 子を思う母の心。こうゆうの弱いです。うるうる度80%。
 なお、丼は接着剤のようなもので直すのではなく、いくつもカスガイを打ってつないでいた。
 マンガ「美味しんぼ」の14巻(小学館文庫)で「馬蝗絆」という青磁の茶碗が紹介されている。平重盛が宋の禅寺から贈られた茶碗が、後に足利義政のものとなったが、割れてしまった。同じような物と取り替えてくれと中国に送り返したところ、当時宋から明代に代わっていたが、もうこんな名品は作れないといって、割れた茶碗をカスガイで補修してよこした。カスガイの趣が、大きな蝗のようだということで馬蝗絆という銘がついたとのこと。

 


<父を待つ>
 「父が必ず帰ると約束した日が来た。約束した以上、帰ってこない筈がなかった」
 吹雪の中で、じっと町の方を見つめ続ける母。
 結局父は現れず、家に帰る。ひどい熱である。祖母が心配して寝かせるが、無理に起き出し、祖母の制止を振り切り、上着を着て町まで出かけようとする。
 「町へ向かう途中で母は倒れ、たまたま通りかかった人が見つけ、家まで運び込んでくれた。母の体は氷のように冷たかった」
 祖母は枕もとに集まった人々に頼む。「誰か町にいる先生に言伝てをしてくれないか。一目だけでも会ってやってくれ、と」


(ひとこと)
 母がひたすら父を待って立ちつくしていたのは、町からやって来た父を初めて見た、そして、町へ去っていく父を見失った、あの場所。睫毛に雪が積もる。
 あきらめかけた頃、1台の車が近付いてくる。思わず駆け下りるが、別人の車。いじらし度85%。

 


<父帰る>
 うなされる母。上唇にはできもの(熱の花)。下唇は乾燥してごわごわになっている。
 うっすらと目を開けた母に祖母が「2日も寝ていたんだ。先生が来てくれて、昨日は一晩中枕元に付き添ってくれていたんだよ」
 病み上がりをおして学校へ行く。朗読の声が聞こえる。人垣を分けるように母が着く。
 「先生!ディさんが会いに来たよ!」扉を開け、先生が出て来る。
 「母のことを聞き、たまらなくなった父は無断で町を抜け出してきたらしい。このことで、父と母はその後2年間会うことが出来なかった」

(ひとこと)
 先生が来てくれたというのは、祖母が母を慰めるため気休めを言ったのかと思った。朗読の声も、以前みたいに父を想うあまりの空耳か、と。しかし、本当に父は帰ってきてくれたのだった・・・。うるうる度85%。

 



<担いで帰る>
 主人公は村長に「母の気持ちを考えると、やはり担いでやりたい」と相談する。
 「お前までそんなことを言うとは、困ったな」
 「町で人をやとえばいい。どのくらい必要ですか」
 「人夫は1人100元だが、遠いので16人。交代を考えて32人分必要だ。これで3200元だが、寒いので酒が必要だし、煙草も用意しなければならない。全部で4000元もあれば十分かな」
 「5000元あります。これでお願いします」
 町の病院。たくさんのひとだかり。棺に棒をわたし、その棒を肩に担ぐ。
 「100人もの人が来て担いでくれた。顔も名前も分からないが、みんな父の教え子ということだった。間に合わず、今もこちらに向かっている人が何人かいるらしい」
 吹雪の中、大勢で棺をかつぐ。うしろで息子に肩を抱かれながら歩く母。交替要員やら、自動車やらで長い列が続く。
 村長が金を返す。「誰ひとり、一銭も受け取ろうとしないんだ」

 井戸の近くに土山ができている。父の墓である。ここならいつでも学校が見える。「母は私もここに葬っておくれと言った」
 村長の「村としても、ついに決断した。予算を組んで学校を新築する」という言葉に5000元を村長に渡す息子。母もごそごそと枕もとをさぐり、分厚い、ぼろぼろの札束を村長に渡す。
 「これまでこつこつと貯えてきました。校舎建築の足しにしてください」
 「そんな。せっかくの貯えを受け取れないよ」と言うが、母の決意は固い。

 校舎は間もなく改築される。今度帰郷する時に、この校舎はない。
 母と校舎に入る主人公。梁には赤い布がぼろぼろになっているが、まだ巻き付いている。
 「天井があると布が見えないから、父は最後まで天井をつけなかった。」

 家の中での親子の会話。
 「一緒に住もう。お母さんを一人にしておけないよ」
 「私は大丈夫。お前結婚は?」
 「まだだよ」
 「お父さんは、お前のことをいつも気にかけていた。お前が教壇にたってくれるのを心待ちにしていたんだ。だから師範学校にも入れたのに、お前は別の道に。たとえ、少しでもいいから、お父さんの願いをかなえてやってほしかった。・・・・・お前、仕事の方、がんばるんだよ」


(ひとこと)
 みんなが奪い合うように棺を担ぐ。疲れたから代わってくれというのではなく、後ろに控えている人間が、すごい勢いで走り寄って、担いでいる人の肩をたたき、交代しろと迫るのだ。実際に見たことはないのだが、博多山笠の交替シーンもこんな感じではないかと思った。
 町を出発した棺の列が、とうとうあの場所、父を待ち続けた場所に着く。うるうる度90%。


<そして・・・>
 教科書を朗読する声。唱和する子どもの声。父が帰って来たのか?夢を見ているようなおももちで、母は学校へ向かう。学校の周りは人垣。まるで、あの時のままだ。
 教科書を持ち、立って朗読しているのは主人公だった。
 「町に帰る前に、1時間だけ授業をやらせてもらうことになった。この教科書の文章は父が考えた文章だ。」
 近づきながら、人と人の間から学校を、主人公を、そして父をみつめる母。モノクロの、老いた母が、カラーの、父と初めて出会った頃の母にかわっていく。
 赤い綿入れを着て、走っている18歳の頃の母。父がやって来て、そして去り、また父を連れて来てくれた草原の中の道。その道を走っていく母の後ろ姿・・・

(ひとこと)
 何も言うまい。うるうる度120%。

 振り返ると、非常に「ていねいな」つくりかただなあ、と思う。雑な使い捨てでなく、モチーフを現在、過去、そしてまた現在へとていねいにつないでいく。

 例えば、あの機織り機。老いた母が織る姿が、赤い布を織る18歳の母につながる。そして、その布は建築途中の工事現場で、父が去った教室で、そして、取り壊される寸前の教室で、何よりも雄弁に時の流れを語っていく。
 井戸もそうだ。あえて遠い学校のところの井戸まで毎日水桶の天秤棒をかついで歩く、それで母の想いを端的に示す。
 ちょっとしたギャグにも使い、そして父の(おそらく母のも)最後の場所にもなる。
 「朗読の声」も、またしかり。父が初めて授業を始めた頃、物珍しさで教室を取り囲んでいた村人が来なくなってからも「母はそれから40年間、父の朗読の声を聞き続けた」。主人公にも「お父さんほど朗読が素晴らしい人はいなかったよ」と語る。父が去った後も教室に母を引き寄せるのは、朗読の声である。そして、ラストの、父の夢を叶える主人公の朗読の声につながる。
 ていねいに織られた何枚もの時代の布が、こうした数多くの縦糸で綴りあわされていく。
 
 もちろん、いちばんのモチーフは「道」である。まさに「初恋のきた道」、そして悲しみも幸せもこの道がすべて運んでくれた。道が連れて来てくれた「初恋」を、父と母は一生貫いたのである。

 あと、痛切に感じるのは瞳(め)の力というものだった。若き母はひたすら父を見つめる。一心に父の姿を追う。
 古代、人の名を呼ぶことや、見つめることは呪術的力を持つと信じられていたように思う。ツィイーの姿を見て思った。あれほどひたむきな瞳(め)が、力を持たないはずがないと。 


 チャン・ツィイーの姿はここここで観ることができます。
 監督は「紅いコーリャン」、「菊豆」、「秋菊の物語」、「上海ルージュ」、「あの子を探して」などを撮った張芸謀(チャン・イーモウ)です。

原題 我的父親母親 The Road Home
2000年/米中合作/89分/ベルリン国際映画祭銀熊賞 


(01.11.24の追加分)
 この紹介文を読んだ方から、こんな感想メールをいただきました。

 でも、あの映画は欲を言えばもう少し父の若い頃の見せ場のようなものというか、チャン嬢が好きになって当然だなと思わせるような姿やエピソ−ドがあってもいいかなと思いました。
 二人のラブラブなシ−ンで胸きゅんなとこあってもいいのにと思うのは、そういうの大好きな女の子の性(さが)でしょうか。

 (↑掲載許可はいただいております)下記は、それに対するお返事メールです。

 あの映画、よくできていますが、しいて弱点をあげるとすれば、母がなぜあれほど「いきなり」父を慕うのかが理解しにくいという点でしょう。町から馬車に乗ってやってきた父の顔を見た瞬間からですから。
 何もエピソードがないので、「ほんまの一目惚れというやつなんやなあ」と
むりやり理解せざるをえません。
 その後の母の惚れ込み様、行動力がすさまじいので、「何であれほど一方的に」と思う人は「ストーカーの映画」という評価をしてしまうし、「それまで村の男との縁談は断り続けた」点に着目すると、「田舎くさい村の男じゃなくて、「道の向こうから来た」という点が重要なのか。自分の今の環境を「変えて」くれそうな人、都会から来るインテリにあこがれていたのか?」なんて皮肉な見方をしてしまいます。

 父がひかれたのはよくわかる(チャン・ツィイーにあれだけ迫られたら木石でも心が動くでしょう)。
 また、髪留めを贈ったり、危険を冒して町から迎えに来てくれるなど、父がどれだけ優しい人なのかとか、二人が結婚した後も、お互いを敬愛し続け、愛を育んでいったであろうことは十分うかがえるので、母が父を慕う気持ちも「出会って以降」は十分理解できます。
 それだけに、「最初に」父を慕うようになったきっかけがもう少し描きこまれていれば、いうことなかったでしょうね。

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