時代区分 |
年代 |
特徴 |
代表的遺品 |
飛鳥時代
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仏教伝来(538年:欽明天皇7年)〜大化改新(645年:大化元年) |
(1) 造仏は渡来人の子孫が中心
(2) 蝋型鋳物による鋳造に鍍金をほどこした金銅仏が多い。
(3) 木彫はクスノキを材料とした一木造りが多い。
(4) 正面観照性(正面から観ることしか考慮していないこと。側面や背面を簡略化したり省略する場合もある)
立像は直立不動の姿勢で、坐像も正しく正面をむいて座っている。
(5) からだつきは一般に扁平で、からだの線をあらわにせず、ずん胴
(6) 顔は一般に面長で、目はギンナンの実のような形(杏仁形)をしている。
(7) 口は両端が強く曲線をえがいてはねあがり、唇には微笑(古式の微笑=アルカイックスマイル)を浮かべている。
(8) 衣は厚手で、衣のしわは左右全く同じしわを繰り返すように造られている=「左右相称の衣文」は飛鳥時代の特徴 |
止利仏師作の
法隆寺釈迦三尊像
夢殿観音
百済観音
中宮寺半跏思惟像 |
白鳳時代 |
大化改新:645年(大化元年)〜平城京遷都:710年(和銅3年) |
学者によっては、白鳳時代をたてずに「奈良前期」(続く奈良=天平時代に先立つ時代)と名付けることもある。
(1) 童児形の仏像彫刻(顔つきも体つきも童児のようなあどけない作風の遺品が多い)
(2) 中国には、そのような類例(童児形)は残っていない。
(3) 彫刻家の名前は伝わっていない。
(4) 天智朝頃には、飛鳥時代の金銅仏や木彫の他に、塑像や乾漆造りの技法も伝わる。
(5) 白鳳時代前期は、直立形だが胴がくびれ、腰でひろがり、像に抑揚が出てくる。
顔は、飛鳥時代の蔵よりも丸顔に近くなり、童子のようなあどけない表情をした像が多くなる。
衣のしわは左右相称のものもあるが、やや複雑なしわを彫るものが現れる。
(6) 白鳳時代後期では、「古式の微笑」は消え、肉体も堂々たる肉付きをした仏像が現れてくる。
飛鳥以来の直立形から解放され、腰をひねり、動きのある姿の仏像が現れる。
衣のしわも自由な、自然の布のしわに近づく。 |
白鳳時代前期
法隆寺六観音像
観心寺金銅観音立像 |
白鳳時代後期
当麻寺弥勒像
鶴林寺聖観音像
薬師寺薬師三尊像
薬師寺聖観音像 |
天平時代 |
平城京遷都:710年(和銅3年)〜平安京遷都:794年(延暦13年) |
遣唐使船等でもたらされる唐朝様式をとり入れ、大量生産された。
東大寺造営の際には造東大寺司という役所が設けられ、そこの造仏所で多くの工人により分業で制作された。
(1) 面相や体躯のとらえ方に理知的な要素が多くなった。
(2) 写実的で優美、平明な作風が流行した。
(3) 体つきも、顔つきも、衣のしわの表現も、高度な写実的表現が行われる。
体躯は均斉がとれ、面相も智恵深い大人の表情となる。また、衣には自在なしわが刻まれ、特に天部はきわめて活動的な自由な姿が表現されている。
(4) 像がきわめて雄大である。技術の進歩とともに、惜しみなく材料が使われ、五丈に及ぶ東大寺の大仏をはじめ、一丈を超える巨像がお堂いっぱいにつくられた。 |
東大寺三月堂諸尊像
興福寺十大弟子・八部衆像
唐招提寺盧遮那仏像
東大寺三月堂日光・月光菩薩像
東大寺戒壇院四天王像
聖林寺十一面観音像
唐招提寺鑑真和上像
法隆寺行信僧都像 |
弘仁・貞観時代 |
平安京遷都:794年(延暦13年)〜遣唐使停止:894年(寛平6年) |
檀像系のしら木のままの彫刻や、密教系の仏像様式が加わる。
(1) きわめて量感がゆたかになり、体躯の均斉はやぶれ、不協和音のような不思議な魅力をもつ。
(2) 天平時代のような優美・平明な仏像は少なくなり、厳粛・神秘的要素をもつ仏像が増える。
(3) 体つきは白鳳・天平時代よりはるかに肉付きがよく、両肩が強く張り、腰が太く、両ももが隆起した像が多い。
(4) 顔つきは、再び面長になり、唇がするどく飛び出し、表情は厳しい。
(5) 衣のしわは写実的でなく、飜波式衣文(ほんぱしきえもん)と呼ばれ、平行状のしわを深く強く刻む。角の波と丸い波を交互に刻む衣文形式も流行する。
(6) 乾漆併用から次第に純粋な木彫が増え、それも一木彫が多い。 |
乾漆併用
広隆寺講堂阿弥陀如来像
高山寺薬師如来像
密教系
東寺講堂諸尊像
神護寺五大虚空蔵像
観心寺如意輪観音像
純粋木彫
神護寺薬師如来像
新薬師寺薬師如来像
滋賀向源寺十一面観音像
京都宝菩提院半跏思惟像
棲霞寺阿弥陀三尊像 |
藤原時代 |
遣唐使停止:894年(寛平6年)〜平家滅亡:1185年(寿永4年) |
上級貴族の趣味が出たほか、和様化が特徴
(1) 9世紀末から次第に平明な作風が増え、10世紀にはさらに助長された。
顔つきや体躯は丸みが加わり、衣文はほど良く整理されてしわの数は減じ、彫りが浅くなる。仏像の表情はあくまで温和になる。
(2) 11世紀初頭に出た仏師定朝(じょうちょう)により「仏の本様」と呼ばれる和様仏像の完成を見る。
(3) 12世紀には定朝様の反復の結果、型にはまったものとなり彫刻的生命が弱まる。
(4) 寄木造(よせぎづくり)という技法が現れる。
(5) 弘仁・貞観期のきびしさが消え、貴族的な優雅でやさしい仏像が増える。
(6) 体躯は抑揚がとぼしく、やせ型となる。
(7) 坐像では胸が薄く膝高が低い。
(8) 顔は丸くなり、表情はやさしく、衣のしわは、しわ数が少なく平行状に弧をえがいた衣文が浅く刻まれることが多い。 |
10世紀
醍醐寺薬師堂薬師三尊像
京都岩船寺阿弥陀如来像
法隆寺講堂薬師三尊像
11世紀
定朝作平等院鳳凰堂阿弥陀如来像
12世紀
定朝系
法界寺阿弥陀如来像
浄瑠璃寺阿弥陀如来像
中尊寺金色堂諸尊像
一字金輪大日如来像
新様
奈良長岳寺阿弥陀三尊像
石仏
大分臼杵石仏
栃木大谷石仏 |
鎌倉時代 |
平家滅亡:1185年(寿永4年)〜南北朝合一:1392年(明徳3年) |
質実剛健で写実的になる。
(1) 体躯は天部はもちろん、如来・菩薩も堂々たる体格のものが多い。
(2) 頭部、体躯の均斉がとれ、顔面には男性的な力強さがにじみ出ている。
(3) 天平時代と同様写実的傾向が強いが、はるかに人間臭い。
(4) 玉眼(眼をくり抜き、水晶をあてがう)が多い。
(5) 大部分が木彫である。 |
康慶
興福寺南円堂不空羂索観音像
法相六祖像
運慶
伊豆願成就院諸尊像
興福寺北円堂弥勒像
無著世親像
運慶師弟等
三十三間堂千手観音像
六波羅蜜寺空也上人像
興福寺竜燈鬼像
その他
鎌倉高徳院阿弥陀像
鶴岡八幡宮弁才天像 |
室町時代以後 |
1392年以後 |
室町時代の肖像彫刻、とりわけ禅宗僧侶の頂相(ちんそう)彫刻や、
仮面芸術の能面にすぐれた遺品がある。
江戸時代には、湛海(たんかい)、円空、木喰明満(もくじきみょうまん)ら特色ゆたかな仏像を造った僧がいた。
しかし、一般には型にはまったものが多く、生命力にとぼしい。 |
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