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(No154) 京都国立博物館 特別展「高僧と袈裟」鑑賞記 その3


 平成22年10月に行った時の鑑賞メモの続き。

 

 


第4章 伝法衣にみる東アジア交流 I

 京博HPにおける第4章の概要説明は、以下のとおり。

 鎌倉時代、民間商船に便乗して、多くの僧が海を渡りました。新しい仏教を求めて留学した日本僧たちが魅了されたのは、中国的な要素あふれる禅の教えでした。
 伝法衣という概念もまた、この時期の禅僧たちによってもたらされたものです。伝法衣とは、師から嗣法の弟子へ、法を伝えた証として授けられる特別な袈裟をいいます。ここに至って、袈裟は、嗣法の象徴という重大な意味を持つことになったのです。
 東アジアの染織史を語るうえで欠くことのできない基準作でもある、伝法衣の世界を紹介します。


46 重文 九条袈裟 無門慧開料・無本覚心相伝  中国・南宋(13世紀) 京都・妙光寺

 画像はここで。

 

51 重文 兀庵普寧あるいは東巖慧安料  中国・南宋(13世紀) 京都・正伝寺

 画像はここここ又はここで。

 兀庵普寧(ごったんふねい)は、執権北条時頼が帰依した名僧。建長寺の二世。東巖慧安(とうがんえあん)は兀庵普寧の弟子で正伝寺の開山。

 

52 重文 兀庵普寧像 長嘉筆 自賛  鎌倉時代(13世紀) 京都・正伝寺

 この長嘉とは宅間長賀ではないかと言われる。

 

61 国宝 無準師範像 自賛  中国・南宋(13世紀) 京都・東福寺

 画像はここここで。又はここで。

 無準師範(ぶしゅんしばん)は南宋の名僧で東福寺開山の円爾(えんに)の師。
 禅宗では僧侶の肖像画を頂相(ちんぞう)といい、これを与えることが伝法の証しとした。
 賛は円爾が与えられた時に無準師範に賛を求めたといわれる。


65 重文 円爾像 自賛  鎌倉時代(13世紀) 京都・万寿寺

 画像はここの中央部分。


69 直綴 白雲慧暁料  鎌倉時代(13世紀) 京都・栗棘庵

 直綴(じきとつ)とは、袈裟のすぐ下に着ける僧衣。

 

70 重文 白雲慧暁像(紙形)  鎌倉時代(13〜14世紀) 京都・栗棘庵

 紙形とは、肖像画のデッサン。白雲慧暁(はくうんえぎょう)の弟子の了偉が描かせたといわれる。

 

72 九条袈裟 南浦紹明料  中国・南宋〜元(13〜14世紀) 愛知・妙興寺

 南浦紹明(なんぽしょうみょう)は、没後の延慶2年(1309年)、後宇多上皇から「円通大応」の国師号が贈られたが、これは日本における禅僧に対する国師号の最初である。(出典はWiki)

 

74 重文 南浦紹明像 自賛  鎌倉時代(14世紀) 福岡・興徳寺

 この肖像画に描かれた袈裟が72の袈裟といわれる。 

 


第5章 道教・神道と袈裟

 京博HPにおける第5章の概要説明は、以下のとおり。

 仏教は、その地に根づく土着の宗教と融合しながら展開していきました。現存する袈裟の中には、神仏習合の思想が反映されたものや、仏教と神々を媒介するために用いられたことが判明するものがあります。袈裟を通して、どのような神と仏の交わりが見えてくるのでしょうか。

79 重文 天道図・人道図・阿修羅道図・餓鬼道図 六道図のうち  中国・南宋(13世紀) 滋賀・新知恩院

 人道図に描かれた皇帝は梁の武帝。また僧侶は、水陸会(施餓鬼の法会)を武帝に進言した宝誌和尚といわれている。
 宝誌和尚像は、以前、うちのサイトでも「顔が割れて中から顔が出現するエイリアン仏像」と紹介した。
 宝誌和尚像の画像はここで。



80 重文 刺繍九条袈裟貼屏風 重源請来  中国・南宋〜元(13〜14世紀) 京都・知恩院

 画像はここで。
 何か訳の分からない生き物なんかが刺繍で表現されている。

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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