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(No144) 「大遣唐使展」 鑑賞記 その1

 平成22年6月19日(土)、上記講演会を聴きに行った時ついでに・・・・・ではないが鑑賞した展覧会のメモ。

 よく考えれば「遣唐使」であるから「仏教美術」でくくるのはおかしいのだが、関連イベントの講演会のテーマが「空海の舎利信仰」だったので、そのまま続けさせていただく。


第一部 波濤を越えた日中交流

 
(右写真は展覧会切符)

 奈良国立博物館だより第73号における本展第一部の解説文を紹介する。


 7世紀から9世紀にかけ遣唐使は、古代の日本が成長する原動力となった。
 第一部では、吉備真備井真成といった遣唐使にゆかりの品や、彼らが唐で接し日本へもたらした学問・技術・制度、仏教文化を示す品々を紹介し、遣唐使の全体像と当時の空気を伝える。


5 井真成墓誌 伝中国陝西省西安市東郊出土  唐 開元22年(734)

中国・西北大学文博学院 
 画像はここで。またはここで。

 「皇帝もその死を惜しんだ日本人留学生(るがくせい)がいた!」と題したHPの解説によれば、日本から唐に渡り現地で没した井真成(せいしんせい)の墓誌(中国国家1級文物)。

 銘文には、彼が開元22年(734)正月、36歳にして学問の道半ばで死んだこと、皇帝が心を傷め、詔により尚衣奉御の職をおくったなどとある。

 姓からして葛井(ふじい)または井上氏の留学生と推定される。


9 国宝 文館詞林 和歌山・正智院 
          平安時代 弘仁14年(823)

 画像はここで。
 遣唐使が持ち帰り、今では「日本のみに伝わる唐皇帝勅選の詩文集」である。
 

 

 ここの解説では、「これが遣唐使の公文書だ!」として、

6 国宝 伝教大師将来目録 滋賀・延暦寺   唐 貞元21年(805)

 延暦23年(804)に唐に渡った伝教大師最澄が翌年の帰国にあたり、現地で入手した経典などのリストを記し、持ち出しの許可を求めた公文書で、明州政府の許可の文言に続き、末尾に遣唐使一行の署名があり、遣唐使印が朱で捺されているとのこと。

 とても興味深そうなんだが、いかんせん展示が5月9日までなんで観ていない。

 

 

11 吉備大臣入唐絵巻 米国・ボストン美術館  平安時代(12世紀)

 画像はここ や ここ や ここで。

 二体の観音像とともに、本展の目玉といって良いだろう。1932年にアメリカに流出したようで、「27年ぶりの日本公開 伝説の絵巻、ついに帰還!」などといわれている。

 会場では、映像で全巻の解説があった。
 よく紹介されるのは第1巻で、吉備真備が唐に到着したシーン。身体半分や肝心の顔が消えてしまっているが遣唐使船の上の黒い服の人物が彼。

 岸に立っている槍などを持った連中は決して真備を歓迎しているのではなく、逆に、かつての阿倍仲麻呂のように優秀な人物に地位を追われることを懸念した中国官僚の回し者であり、真備を拉致し高楼に幽閉してしまう。

 続いて楼をこっそり訪れようとする「鬼」が描かれる。
 この鬼こそ阿倍仲麻呂の幽霊である。なお仲麻呂は、その才能を玄宗皇帝に重用されたのをやっかんだ楊国忠安禄山により高楼に幽閉され憤死したという伝説がある。

 仲麻呂は自分と同じ目に遭っている真備に同情し、唐の官僚がどのような手段で真備を陥れようとしているかという情報を入手しては、彼を助ける。
 難解な漢文を読ませようとしている時は、ともにカンニングするため忍び込む。柱の陰からのぞきこんでる鬼の表情が秀逸。

 ここでは、唐の囲碁の名人と勝負する真備が描かれている。最後、真備は、こっそり相手側の碁石を一つ呑みこんでしまって勝利を得る。
 脱ぎ捨てられた着物が描かれているのは、石を隠していないか身体検査をされているということである。最後、呑み込んだかとも疑われ、下剤をかけられるが超人的に排出せずに我慢しきったそうだ。画面一番左の連中は、いったい何を調べているのやら?

 

12 国宝 諸尊仏龕 和歌山・金剛峯寺  唐(7〜8世紀)

 ここの解説によれば、「まさにカミワザ! 仏たちの小宇宙  空海が持ち帰ったという伝承を持つ携帯用の小型の仏龕(ぶつがん)。白檀製で蝶番による開閉が可能。内部には如来や菩薩など様々な尊像の姿が神業ともいえる技術で彫り出され、唐代彫刻の水準の高さを存分に示す」とある。

 まあ、細かい彫刻は、先日の故宮博物院でも、いやほど目にしたが。

 

14 菩薩半跏像 米国・フィラデルフィア美術館   唐 8世紀

 画像はここで。

 ここの解説によれば「鮮烈な美 唐代ブロンズ仏の白眉 唐代彫刻が追求した写実表現の極致。成熟した肉身の造詣は完璧。華麗な装身具や複雑な衣文など細部まで手を抜かない細密な彫技に驚嘆」とある。
 確かに装身具などが身体の曲線にそって流れるように垂れているさまなどは非常に写実的だ。
 日本初公開。

16 観音菩薩立像 米国・ペンシルバニア大学博物館 蔵  唐 神龍2年(706)

 画像はここ や ここ .。

 ここの解説によれば、「唐代の石仏を代表する名作。薬師寺の聖観音の様式の源流が認められる」とのことである。
 ああ、石仏だったのか。すぐに薬師寺の仏像に目を奪われ、そんなことも意識してなかった。
 日本初公開。像高約2m。


17 国宝 聖観音菩薩立像 奈良・薬師寺 蔵  飛鳥〜奈良時代(7〜8世紀)

 画像はここ や ここ や ここで。 

 入り口入ってすぐの正面に、どん!と二体が並び立っている。
 ここの解説では、「二つの美しき観音像、時代を超えて、夢の共演  日本古代ブロンズ彫刻の傑作。若々しく明朗な表情、均整のとれたプロポーション、みずみずしい体躯の張りなどの表現は、唐からもたらされた様式の神髄がわが国で大きく開花したことを示す」とある。

 薬師寺東院堂に安置された本像は、初めて観た時も、黒光りした色艶の良さなどを含め、美しさはもちろん非常に若々しい印象を受けた。私の中でもベスト○○で相当上位に入る(←結局、何位やねん)仏像である。 



25 瑠璃堂人物図 米国・メトロポリタン美術館  南宋(13世紀){原本 南唐(10世紀)}

 画像は、ここで。

 ひげをたくわえた壮年の男達が談笑している。ベンチや椅子に座ったり、曲がった木の幹をバーカウンターのようにして上半身をもたれかけている者など、様々だ。

 冒頭に「周文矩瑠璃堂人物図神品工妙也」と記されている。
 周文矩とは南唐(五代十国期、937〜975)の画家だそうだ。

26 照夜白図 米国・メトロポリタン美術館  唐(8世紀)

 画像は、ここここで。

  ここの解説では、「遣唐使が見た中国絵画の神髄 韓幹が玄宗皇帝の愛馬「照夜白」を描いた、中国動物画史上随一の名作」とある。日本初公開。



 あと、いやというほど延々と「瓦」が展示されていた。

 それぞれ「飛鳥寺」の軒丸瓦とか、「薬師寺」金堂の軒平瓦とか、いわれはあるんだろうが・・・・・・・・・。

 


 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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