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(No135) 大阪歴史博物館  特別展「聖地チベット」鑑賞記 その1

 平成22年2月14日(日)、上記展覧会を観に行った時のメモ。


 

序章 吐蕃王国のチベット統一

(右写真はチケット)

1 ソンツェンガンポ坐像

 頭上に阿弥陀如来が。画像はここで。

 HPでの解説文はソンツェンガンポは、チベットを最初に統一に導いた王であり、ネパールと唐から妃を迎えたことから、インド仏教と中国仏教がチベットにもたらされるようになった。

 大きな座布団に坐り、連珠文で囲まれた龍文が繰り返される大きな襟の折り返し付きで広袖の長衣をまとい、帯をきつく締めている。

 ターバンを巻き付けた様な頭部飾上面には阿弥陀如来の頭部が表現されており、ソンツェンガンポ王が、阿弥陀の化身である観音菩薩の生まれ変わりであることを示している。

 ソンツェンガンポ像の多くは、塑造(そぞう)で、二人の妃と大臣を伴って表現され、なかでもポタラ宮やジョカンの例がよく知られている。この像のような金属製の像は珍しい
」。

3 魔女仰臥図

 横たわった魔女(羅刹女)の体にいろいろな文様が。耳なし芳市か、全身の倶利伽羅紋々か・・・という感じだが、これがチベットの地図。

 魔女の急所に寺院を建て、封印しているらしい。よって、チベットでは仏教が衰退すると悪魔が復活し制圧されると考えられているのだとか。

 中央の大きな寺院が描かれているところがチョカン。元は湖だったが、ヤギが土を運んできて地面に変え、大昭寺が建立された。
 チベット語でヤギが「ラ」、土が「サ」。で、「ラサ」という町の名前になったそうだ。

 HPでの解説文は「最初のチベット統一王朝を開いたソンツェンガンポ王は、中国から文成公主を、ネパールからティツン王女を迎え、中国仏教とインド仏教がチベットへもたらされる契機となった。

 文成公主の占いによれば、チベットの地勢は、災いをもたらす手下多数を従えた大きな魔女の姿に似ていることが分かった。
 魔女を無力化するため、その両手両足の関節にあたるチベット高原各地に12の寺院が建てられ、その動きを封じることに成功した。

 そして最後にその心臓にあたる湖を埋めて現在のラサの地にチョカン(大昭)寺を建立し、チベットは仏教国となったのである」

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。


 


 

第1章 仏教文化の受容と発展

20 テンギュル

 13世紀頃、イスラムによってインドの仏教はいったん滅亡した。当時、ヤシの葉に書かれていた経典もほとんど失われた。そこで大きな価値が出てきたのがチベットの経典である。

 HPでの解説文は、「チベット大蔵経は、カンギュルとテンギュルに二分される。

 カンギュルが「仏が語った部分」を指すのに対し、テンギュルは「論疏(ろんそ)部分」を意味し、仏弟子と後世の仏教学者が経典について記した論述を集めたものである。

 チベット大蔵経には多くの版本があり、テンギュルの分類方法や収録された著作にも出入りがある。このテンギュルは、ダライラマ8世(1758〜1804年)の時期に遡(さかのぼ)るもので、書写にあたって、金、銀、銅、鉄、トルコ石、紅珊瑚、真珠など7種類の原料をすりつぶしたものでを用いた」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。


6 弥勒菩薩立像

 東インドで造られたもの。画像はここで。

 HPでの解説文は、「少し左足に体重をかけて立つこの仏像は、風に舞う条帛(じょうはく)とともに優美な体の動き(三曲法・さんきょくほう)を見せる。

 化仏(けぶつ)のついた宝冠をかぶり、右手を胸前に、腰前の左手で水瓶付の蓮茎を握っている。 下半身を覆うドーティには銀と銅による繊細な象嵌(ぞうがん)模様が施されるとともに、トルコ石や貴石をはめ込んでいるところから、チベット人パトロンかチベット寺院からの注文で作られた可能性が指摘されている。

 本像はチベットに伝えられたパーラ時代のインド彫刻の中でも最も美しいものの一つである。通常はポタラ宮で、錦の衣をまとった状態で安置されているため、仏像としての美しさを鑑賞するまたとない機会である」。


10 釈迦如来立像

 水かきや「螺髪(らほつ)」など釈迦の特徴を伝える。直立ではなく、左足にやや荷重しているのが自然な感じ。

 講演会資料掲載の釈迦如来立像はここにて。二つ並んでいて、右側の像が上記の自然な感じの像で、左は、衣文も細かすぎるし硬い感じだった。
 で、柔らかい方が10だったように思うのだが、資料に「11」とある。どっちがどっちだったかよく覚えていない。

15、16 梵文 『八千頌般若波羅密多経』

 ターラ樹の葉に書写された経典。

4 釈迦如来坐像

 肉髷が青色に塗られている点が印象的だった。

5 蓮マンダラ

 蓮の花が閉じることができ、閉じた先に別添の蓋をすると蕾みたいになる。
 この閉じるというのは造形的面白さだけじゃなく、当然、持ち運びの便も考えたものなのだろう。


30 マチク・ラプドゥンマ坐像タンカ

 悪鬼、野獣などに自分の体を与える供養の創始者らしい。絵にはそのさまは描かれておらず、五体満足だった。ああ、よかった。


14 釈迦如来坐像タンカ

 特に外縁部で釈迦の生涯を描くと会場解説文にあったので、釈迦八相の各場面などがないか、と探したのだが、よく分からなかった。
 何か、やたら女性に誘惑されているような場面ばっかりだったような・・・・。

 HPの解説文では「このタンカは、マーラの軍勢に勝利する、金剛座に坐す宝冠釈迦像あるいは触地印(そちいん)のヴァジュラサナ菩薩像を本尊とするもので、ボードガヤにおける仏の成道(じょうどう)のありさまを描いている。

 悟るプロセスの一部として仏が獲得した五智(ごち)は、画面上方に描かれたボードガヤの大菩提寺(だいぼだいじ)に坐す仏五体によって象徴されている。

 このタンカに先行する作品として、マーラの軍勢に邪魔されながらも釈迦(しゃか)が成道(じょうどう)に成功する場面や仏伝を扱う、インド・パーラ朝に作られた大型の石板浮き彫りや、ボードガヤとナーランダ付近で多数発見されている小型の石製奉納タブレットが挙げられる。

 これらが信心深い巡礼者やよそからやってくる優れた芸術家によって、チベットまでもたらされたのである。こうした図像に基づいてネパールのネワール人の画家が描いた作品とみなされる」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。

22 パドマサンパヴァ坐像

 チベット土俗の神を退治した人。八変化するらしい。画像はここで。

 

23 ナイラートミヤー坐像

 「空」は、男性原理である「方便」と違い、女性原理であるから、このように「女神」の姿で現わされるようである。


24 ヴィルーパ坐像

 太鼓腹の親父。有名な行者で、ガンジス河を逆流させたり、太陽を担保に居酒屋で酒を呑んだりと、「豪快な伝説」が残っているとのこと。

 サキャ派のラムデー(道果説)の創始者。画像はここで。


25 ダマルパ坐像

 王族出身。ダマル太鼓を持っているから、この名前らしいのだが、この像では持っていない。ラムデーの継承者。画像はここで。

 HPの解説文は「少し口を開け、大きく眼を見開き正面を見つめるこの人物は、薄い銅版をたたき出して整形した部品を組み合わせたもので、首下部には胴体に頭部を留めるための鋲(びょう)が認められる。

 右手を上方に振り上げ、左手を胸前に置き、右膝を持ち上げた輪王坐(りんのうざ)の姿勢で蓮台に坐しており、各所に貴石や珊瑚がはめ込まれている。

 眉、眼、唇、髭(ひげ)などには細かい彩色が施されるなど、ほぼ等身大のこの肖像彫刻は、インド人大成就者(だいじょうじゅしゃ)ダマルパの姿を生き生きと映し出しており、チベット彫刻史上最も優れたものの一つといえる。

 サキャ派の伝統に連なる、現存する持金剛仏(じこんごうぶつ)以下計21体のなかから、この展覧会には計5体が出品される」

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。


26 アヴァドゥーティバ坐像

 彼も王族で、さらにラムデーを継承した人物。


27 タクパギャルツェン坐像

 サキャ派代表の五祖の1人。出家は赤い衣だそうだが、彼は在家のため白衣。ただし、像には色はついていなかった。


29 ミラレパ坐像

 右手を右耳に当て「何ですかぁ〜?」と訊いているみたいな格好。ガリガリに痩せており、明石家さんまが昔やっていた「何ですかマン」のようだ。彼(←もちろん「さんま」でも「何ですかマン」でもなくて、ミラレパ)はチベットでは非常に人気があるらしい。

 小さい頃は黒魔術を学び、復讐に燃えていたが、カギュ派の開祖マルパと出会い、信仰に目覚めたそうだ。詩人でもあるらしい。

 HPでの解説文は「チベットで一番有名なヨガ行者で詩人でもあるミラレパ(1040〜1123年)は、苦行の激しさを示すように肋骨(ろっこつ)が浮き出て見えるほど痩(や)せた姿で、瞑想(めいそう)に耽(ふ)ける人が用いるというレイヨウの毛皮の上に坐っている。

 大訳経官(だいやくきょうかん)マルパ(1012〜1096年)の一番弟子でカギュ派の隆盛に貢献したが、若い頃、黒魔術を利用して、財産、家、土地をだまし取った親戚に復讐したという。

 その後、深く反省し、師マルパから与えられた6年間にわたる無理難題を果たしたことによって、悪行から清められ、ついに悟りを開いたという。

 左膝を折って坐り、立てた右膝に右肘をつき、右耳に手を当てながら、霊感の声を聞き、仏法の歌を歌い、聴く者にチベット土着の言葉による詩吟の美しさを語ったという。また、イラクサの葉だけを食べ続けたため、体が緑色になったと伝える」

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。


28 アティーシャ坐像


 非常に高額の報酬でスカウトされたそうだ。画像はここで。

 

31 ツォンカパ坐像

 頭巾をかぶっている。画像はここで。

 




 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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