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(No133) 京都国立博物館 「日蓮と法華の名宝」関連講座 「日蓮法華宗美術試論」聴講記 その1 講師は、学芸員の大原嘉豊氏。
疲れてるのか、会場に入り、講壇横のパイプ椅子に座るなり爆睡し、会場整理の女性が、時間が近づいているのだが声をかけていいのかどうか迷っているさまが面白かった。 配られたレジュメの内容を「白囲み」で表す。
疲れてるので立ってると腰に来るので座らせてもらいます。 学芸員も、部長とか肩書きがつかないと自分で司会進行もしなくてはいけません。 せっかく来ていただいた皆さんに言うべきことではないかもしれませんが、こういう講演会ではタイトルを見るべきだと思うんですね。 面白いタイトルの講演というのは、本当に自信満々の人なのか・・・・・・・・それとも、頭の弱い人が、つい言っちゃったのか、どちらかですから。 逆に、漢字ばかりの固いタイトルというのは、だいたいは、客を追っ払うためなんです。ですから、そんなタイトルの講演を聴こうという時は多少の覚悟が要る。 しかも、何々概論とかいった茫漠としたタイトルの時は・・・・・・中身が固まっていない。 だいたい、私は「法華」は素人ですから。この特別展も行きがかり上、担当になっただけ。
法華宗に関する展覧会は東京国立博物館で行ったのが日本最初で、今回が2回目。それぐらい珍しいんです。 レジュメにも書かせてもらってますが、日蓮法華宗というのは、学問上の用語です。宗教的には、ご門流に分かれていますが、ご理解いただきたい。 日蓮宗と言ってしまうと、法華宗からクレームがつく。法華宗となると、天台宗と同じになってしまいますしね。そういうのがめんどくさいな・・・・と思って、それで「日蓮法華宗」という用語を使います。 しかし、自分で書いておいておかしいんですが、名は体を表す。「日蓮法華宗」と言ってしまうと、なぜ宗派が分派していったのか・・・という点に鈍くなってしまうと思います。 東博で「大日蓮展」が開かれた時、行徳氏が実家は金光教なのに、素晴らしい論文を書かれた。
絵を描くことも高いし、仏像は嵩張って、火災などの時に持ち出しにくい。ですから、曼荼羅の方が残りやすい。 諸尊を文字で表していたのが、段々絵で表すように変わっていきます。
最も初期の絵曼荼羅が、妙法華寺の日蓮像です。 (63 重文 日蓮像 鎌倉時代(14世紀) 静岡・妙法華寺) 日蓮が説法している姿を描いているのですが、画の左上に曼荼羅がかかっています。画中画本尊です。この画は、一尊四士像です。 1317年以後、絵曼荼羅は方向が二分されます。一つは宝塔を描くもの、もう一つが塔を伴わないものです。
法華宗の絵曼荼羅は、松尾寺に伝わる天台宗の法華曼荼羅にならって始まりました。 宝塔は西に面しています。これは儀軌で決まっています。下が西・・・というのはインドの作法です。 キリスト教世界では東西が軸となります。インドも同じです。 一方、中国世界は、北極星信仰があり、南北が軸となります。 『日女御前御返事』という文書があります。日蓮の御書と伝えられていますが、多分ニセモノでしょう。ともかくそれに「不動・愛染は南北の二方に」と書いてあります。 不動・愛染というのは、曼荼羅でいうと軸の両側に大きな梵字で書かれています。これが南北なのですから、中央の縦軸は東西方向ということになります。
絵曼荼羅は、中山門流を中心に主に関東で流布しました。 本法寺所蔵宝塔絵曼荼羅は、京都などで一番古いものの一つです。
さて、皆さんにお詫びしなければいけないことがあります。 奈良博でお借りした宝塔絵曼荼羅(52)なのですが、「釈迦如来と多宝如来の間に題目が書かれていないのは珍しい」と図録に書きました。 (52 宝塔絵曼荼羅(法華曼荼羅) 室町時代(15世紀) 奈良国立博物館) (拡大した図像を表示) 四条御門流の創始者で、これは妙顕寺が最初四条にあったことに由来します。後に堀川寺之内に移されたのですが。
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