移動メニューにジャンプ

(No133) 京都国立博物館 「日蓮と法華の名宝」関連講座 「日蓮法華宗美術試論」聴講記 その1 

 平成21年11月21日(土)に聴いた時のメモ。

 講師は、学芸員の大原嘉豊氏。


 疲れてるのか、会場に入り、講壇横のパイプ椅子に座るなり爆睡し、会場整理の女性が、時間が近づいているのだが声をかけていいのかどうか迷っているさまが面白かった。

 配られたレジュメの内容を「白囲み」で表す。

はじめに

術語の問題:日蓮諸宗を「日蓮法華宗」と称することについて

 疲れてるので立ってると腰に来るので座らせてもらいます。

 学芸員も、部長とか肩書きがつかないと自分で司会進行もしなくてはいけません。

 せっかく来ていただいた皆さんに言うべきことではないかもしれませんが、こういう講演会ではタイトルを見るべきだと思うんですね。

 面白いタイトルの講演というのは、本当に自信満々の人なのか・・・・・・・・それとも、頭の弱い人が、つい言っちゃったのか、どちらかですから。

 逆に、漢字ばかりの固いタイトルというのは、だいたいは、客を追っ払うためなんです。ですから、そんなタイトルの講演を聴こうという時は多少の覚悟が要る。

 しかも、何々概論とかいった茫漠としたタイトルの時は・・・・・・中身が固まっていない。
 ですから、聴衆もタイトルを付ける側の意図をくんでほしい。皆さんにも半分責任があるわけですから。この講演会を選んでハガキを出したのは皆さんですからね。

 だいたい、私は「法華」は素人ですから。この特別展も行きがかり上、担当になっただけ。

 何をグダグダと愚痴っぽいというか、言い訳がましいことを言ってるんだ。こりゃ期待できないな・・・・といきなり失望。

 法華宗に関する展覧会は東京国立博物館で行ったのが日本最初で、今回が2回目。それぐらい珍しいんです。

 レジュメにも書かせてもらってますが、日蓮法華宗というのは、学問上の用語です。宗教的には、ご門流に分かれていますが、ご理解いただきたい。

 日蓮宗と言ってしまうと、法華宗からクレームがつく。法華宗となると、天台宗と同じになってしまいますしね。そういうのがめんどくさいな・・・・と思って、それで「日蓮法華宗」という用語を使います。

 しかし、自分で書いておいておかしいんですが、名は体を表す。「日蓮法華宗」と言ってしまうと、なぜ宗派が分派していったのか・・・という点に鈍くなってしまうと思います。

 東博で「大日蓮展」が開かれた時、行徳氏が実家は金光教なのに、素晴らしい論文を書かれた。

今日のお話

日蓮法華宗の独自の美術、特に絵曼荼羅について考える。

 
 法華宗では、文字の曼荼羅というのが重要なんです。法然も『選択本願念仏集』でも書いているように、金がかかるようでは庶民は救われない。どうしても像を造るとなると金がかかる。
 鎌倉時代の宗教は、「万民を救う」ことを志向します。紙に字を書くのなら安いですから。

 絵を描くことも高いし、仏像は嵩張って、火災などの時に持ち出しにくい。ですから、曼荼羅の方が残りやすい。

 諸尊を文字で表していたのが、段々絵で表すように変わっていきます。

初期の絵曼荼羅

玉沢妙法華寺所蔵日蓮聖人像の画中画本尊(一尊四士像):文保元年(1317)以前

 最も初期の絵曼荼羅が、妙法華寺の日蓮像です。

(63 重文 日蓮像  鎌倉時代(14世紀)  静岡・妙法華寺)

 日蓮が説法している姿を描いているのですが、画の左上に曼荼羅がかかっています。画中画本尊です。この画は、一尊四士像です。

 1317年以後、絵曼荼羅は方向が二分されます。一つは宝塔を描くもの、もう一つが塔を伴わないものです。

宝塔絵曼荼羅

天台宗で使用されていた法華経法本尊である法華曼荼羅図に範を取る。

宝塔西面:『日女御前御返事』 建治三年八月ニ三日「不動・愛染は南北の二方に陣を取り」

中山門流を中心に流布:京都・本法寺所蔵宝塔絵曼荼羅など

 法華宗の絵曼荼羅は、松尾寺に伝わる天台宗の法華曼荼羅にならって始まりました。

 宝塔は西に面しています。これは儀軌で決まっています。下が西・・・というのはインドの作法です。
 東寺の胎蔵界曼荼羅などもそうです。

 キリスト教世界では東西が軸となります。インドも同じです。

 一方、中国世界は、北極星信仰があり、南北が軸となります。

 『日女御前御返事』という文書があります。日蓮の御書と伝えられていますが、多分ニセモノでしょう。ともかくそれに「不動・愛染は南北の二方に」と書いてあります。

 不動・愛染というのは、曼荼羅でいうと軸の両側に大きな梵字で書かれています。これが南北なのですから、中央の縦軸は東西方向ということになります。

(石野註 上記を図解してみる)

 なお、向って右(南)の梵字が不動明王、左(北)が愛染明王。

 絵曼荼羅は、中山門流を中心に主に関東で流布しました。

 本法寺所蔵宝塔絵曼荼羅は、京都などで一番古いものの一つです。

(51 宝塔絵曼荼羅  鎌倉時代(14世紀) 京都・本法寺)

 本法寺は、仁王門で有名な頂妙寺、堺の妙国寺と並び、中山法華経寺を輪番で担当する上方三寺の一つなので、関東から持ち帰ったものかもしれません。 

 

 さて、皆さんにお詫びしなければいけないことがあります。

 奈良博でお借りした宝塔絵曼荼羅(52)なのですが、「釈迦如来と多宝如来の間に題目が書かれていないのは珍しい」と図録に書きました。

(52 宝塔絵曼荼羅(法華曼荼羅) 室町時代(15世紀) 奈良国立博物館)

(拡大した図像を表示)
 こうして拡大してじっくり観ると・・・・・截金
(きりがね)枠で、どうも「南無妙法蓮華経」と書かれているようなんですねぇ。

 この題字は、群青で書かれていたのではないかなと思うんです。群青の顔料は銅を含んでいます。銅は膠
(にかわ)を傷めますので、字ごと剥落したのではないかな、と思います。

 言い訳するのではないのですが、借りに行った時、時間がなかったのですが「どうですか?ここで観ていかれますか?」と言われました。
「いえ、結構です」と言うわけにもいかず、30分ほどでばたばたと観たのですが・・・・・見落としたようです。
 よく、我々が偽物などを買ってしまうと、税金の無駄遣いだと批判されるのですが・・・・・・間違いはあるんです。
 美術館とか公的なところが買わなければ、その偽物はブラックマーケットに流れ、もっと多くの人が騙されることになる。

 芸術にはリスクもありますし、コストもかかるのですが、どうも最近、学術を短期的視野で見る人が増えてきたような気がします。


 日像は、日朗の弟子で、日蓮からみると孫弟子にあたります。

 四条御門流の創始者で、これは妙顕寺が最初四条にあったことに由来します。後に堀川寺之内に移されたのですが。

 もちろん、四条御門流より関東の御門流の方が古く、また、曼荼羅では宝塔があり、天台の法華曼荼羅に範をとった曼荼羅の方が、宝塔のない曼荼羅より古いということになります。

 



 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system