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(No130) 京都国立博物館 特別展「日蓮と法華の名宝」鑑賞記 その2 

 平成21年11月21日(土)に鑑賞した時のメモの続き。


第3部 京都開教と西国への展開

 

 右がチケット。

 行ってからだいぶ時間もたち、記憶も薄れてきたので作品名の羅列で。

92 日像像 大覚妙実・在判

 南北朝時代(14世紀) 
 京都・妙顕寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「京都開教と西国への展開」を順にクリック)にて。

  画像は、ここここで。

 

95 伝釈迦如来立像(阿弥陀如来立像)

 鎌倉時代(13世紀)
 京都・南真経寺

 親指と中指を合わせた来迎阿弥陀のような形。

 

96 日像坐像 

 鎌倉〜南北朝時代(14世紀)
 京都・北真経寺

 わずかに微笑んだ表情が、とても写実的



97 日像曼荼羅本尊(「御霊宝」のうち)

 鎌倉時代 元徳4年(1332) 京都・南真経寺/北真経寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「京都開教と西国への展開」を順にクリック)にて。

 または、ここのHPを参照。

 

99 伝日朗像(「御霊宝」のうち) 

 南北朝時代(14世紀) 京都・南真経寺/北真経寺 

 左上に日輪が描かれており、日朗と伝えられるが日蓮の可能性大とのこと。

100 伝日蓮像(「御霊宝」のうち) 

 南北朝時代(14世紀) 京都・南真経寺/北真経寺 

 日蓮と伝えられるが日像の可能性大とのこと。眉が太い。

 なお御霊宝とは、南真経寺/北真経寺に伝えられる日像上人ゆかりの霊宝。ここのHPを参照。


101 重文 法華経 紙背尊性法親王消息(「御霊宝」のうち)

 鎌倉時代(13世紀) 京都・南真経寺/北真経寺 

 画像はここやここのHPで。

 

110 重文 妙顕寺禁制(「妙顕寺文書」のうち)

 南北朝時代 暦応4年(1341)  京都・妙顕寺

 他人の弟子やスポンサーを奪うな(誘取他人弟子檀那事)なんてことが書いてある。

111 重文 日像・大覚妙実譲状(「妙顕寺文書」のうち)

 南北朝時代 康永元年(1342)/延文元年(1356)  京都・妙顕寺

 妙顕寺開山は日像。二世は大覚妙実。三世は朗源。すべて朗源に譲るから、他の者は異義を唱えるなかれ(三宝付属之事以朗源為唯授一人之弟子 上者他人更不可有異儀者也)なんてことが書いてある。

 参考HPはここなど。

 

114 日蓮像 長谷川等伯・筆

 桃山時代 天正17年(1589) 石川・妙成寺

 正面を向いた珍しい画像。長谷川等伯筆ではないようだ。

 

117 絵曼荼羅 朗源・署判

 南北朝時代(14世紀) 福井・本境寺

 なぜ福井の寺にこのような物が伝えられているかというと、法難をうけた時に小浜に避難したため。

 

118 餓鬼腹茶入

 中国 南宋〜元時代(14世紀) 京都・本圀寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「京都開教と西国への展開」を順にクリック)にて。

 「餓鬼」の腹のように膨れた形ということか。蓋は失われているのであろう。プラスチック製か何かの安っぽい蓋が据えられているのが残念。しかし、下手に本体に似たものより別物であることを明確にしているのかもしれない。

 

 

120 加藤清正像 

 江戸時代(18世紀) 京都・本圀寺

 画像は、本圀寺HPにて。

 

124 日親像 狩野正信・筆

 室町時代(15世紀) 京都・本法寺

 画像は、ここにて。

 日親上人は、足利将軍家を改宗しようとしたが、義教に投獄され、灼熱した鍋を頭に被せられるなどの拷問を受けたが教義を曲げず、「鍋かぶり上人」と呼ばれたそうだ。

 


 



 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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