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(No130) 京都国立博物館 特別展「日蓮と法華の名宝」鑑賞記 その2 第3部 京都開教と西国への展開
鎌倉時代 元徳4年(1332) 京都・南真経寺/北真経寺 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「京都開教と西国への展開」を順にクリック)にて。
99 伝日朗像(「御霊宝」のうち) 南北朝時代(14世紀) 京都・南真経寺/北真経寺 左上に日輪が描かれており、日朗と伝えられるが日蓮の可能性大とのこと。 100 伝日蓮像(「御霊宝」のうち) 南北朝時代(14世紀) 京都・南真経寺/北真経寺 日蓮と伝えられるが日像の可能性大とのこと。眉が太い。 なお御霊宝とは、南真経寺/北真経寺に伝えられる日像上人ゆかりの霊宝。ここのHPを参照。
鎌倉時代(13世紀) 京都・南真経寺/北真経寺
110 重文 妙顕寺禁制(「妙顕寺文書」のうち) 南北朝時代 暦応4年(1341) 京都・妙顕寺 他人の弟子やスポンサーを奪うな(誘取他人弟子檀那事)なんてことが書いてある。 111 重文 日像・大覚妙実譲状(「妙顕寺文書」のうち) 南北朝時代 康永元年(1342)/延文元年(1356) 京都・妙顕寺 妙顕寺開山は日像。二世は大覚妙実。三世は朗源。すべて朗源に譲るから、他の者は異義を唱えるなかれ(三宝付属之事以朗源為唯授一人之弟子 上者他人更不可有異儀者也)なんてことが書いてある。 参考HPはここなど。
114 日蓮像 伝長谷川等伯・筆 桃山時代 天正17年(1589) 石川・妙成寺
117 絵曼荼羅 朗源・署判 南北朝時代(14世紀) 福井・本境寺 なぜ福井の寺にこのような物が伝えられているかというと、法難をうけた時に小浜に避難したため。
118 餓鬼腹茶入 中国 南宋〜元時代(14世紀) 京都・本圀寺 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「京都開教と西国への展開」を順にクリック)にて。
120 加藤清正像 江戸時代(18世紀) 京都・本圀寺 画像は、本圀寺HPにて。
124 日親像 狩野正信・筆 室町時代(15世紀) 京都・本法寺 画像は、ここにて。 日親上人は、足利将軍家を改宗しようとしたが、義教に投獄され、灼熱した鍋を頭に被せられるなどの拷問を受けたが教義を曲げず、「鍋かぶり上人」と呼ばれたそうだ。
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