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(No129) 京都国立博物館 特別展「日蓮と法華の名宝」鑑賞記 

 平成21年11月21日(土)に鑑賞した時のメモ。


第1部 法華文化の展開

 

 右がチケット。

 

 行ってからだいぶ時間もたち、記憶も薄れてきたので作品名の羅列で。

12 重文 花園天皇宸翰消息

 南北朝時代 暦応2年(1339) 
 京都・本○寺(←字が出ない)

 弟青蓮院尊円法親王あての手紙

 

15 重文 金銅蓮華唐草文透彫経箱

 室町時代 天文24年銘(1555)
  京都・要法寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「法華文化の展開」を順にクリック)にて。

 

22 天台大師像 張思本・筆

 中国 南宋時代(13世紀)
 京都・本圀寺

 獣足の脇息が特徴的

 


25 弥勒化生変相図 李晟・筆

 朝鮮半島・高麗時代 至元31年/恵烈王20年(1294)

 画像は、ここここで。または、ここのHPで。

26 重文 釈迦如来坐像 康俊・作

 南北朝時代 延文3年(1358)  岡山・妙圀寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「法華文化の展開」を順にクリック)にて。


29 釈迦・多宝如来坐像 定慶・作

 南北朝時代 貞治5年(1366) 京都・本圀寺

 法華文化に特徴的な「ニ尊」。
 画像は、本圀寺HPで。

 

31 九名神立像 

 南北朝時代(14世紀) 京都・本圀寺

 女丈夫というか、女性の立像。十羅刹女の九番目という説あり。天文法華の乱の際、この像が火災の危難を救ったという伝説が残っているそうだ。

 画像は、本圀寺HPで。

 

33 三十番神像 日親・賛

 室町時代(15世紀) 京都・本法寺 

36 三十番神像 日重・賛 

 桃山時代 天正4年(1576) 京都・本満寺

37 三十番神像 

 桃山時代(16世紀) 京都・本圀寺

 三十番神とは、毎月、日替わりで国家や国民を守護してくれる30体の神々のことで、立像のものもあるようだが、今回展示は、いずれも画像。

 どれも横に5体並んで、それが上から6列並んで、30体描かれている。その30体の前(絵でいうと、下)には、狛犬と獅子とか、人物が両脇に控えているものや、そうでないものなどいくつかパターンがあるようだ。
 で、何でこんなことをウダウダ書いているかというと、神々の並びに少し違いがあったので。

 後で出てくる長谷川等伯の三十番神像(60)と、33、36(実をいうと出展リストでは「36」は前期のみ出展とあるので、私が32か35とメモを書き間違えたのかもしれない)の三つは、上から

14日 13日 12日 11日 10日
19日 18日 17日 16日 15日
24日 23日 22日 21日 20日
25日 26日 27日 28日 29日
4日 3日 2日 1日 30日
5日 6日 7日 8日 9日


・・・・・・・といった具合に担当の神様が並んでいる。
 具体的には、日付と神様の絵と名前が書かれているのである。

 全部の神様の名前までは書き留められなかったが、どれも「24日」のところには、祇園大明神が描かれていた。
(なぜ、これだけ記憶しているか、というと「祇園」という優雅なイメージに反し、鬼みたいというか、不動明王のような絵姿が印象的だったから)

 ところが、この「37 三十番神像」のみは、上2列が「(1列目)14日、11日、10日、13日、15日(2列目)19日、18日、17日、16日、12日」とずいぶん変則的に並んでいた。

・・・・・・・・・・・それがどうした?と言われると、それまでだが。

44 日蓮曼荼羅本尊

 鎌倉時代 弘安元年(1278) 京都・本圀寺

 表装の布が鴛鴦(えんおう。おしどり)の文様であることから鴛鴦の曼荼羅本尊という。
 画像は、本圀寺HPで。 

 

45 日蓮曼荼羅本尊

 鎌倉時代 建治元年(1275) 京都・妙顕寺

 表装の布から蜀錦の本尊といわれる。

 

46 日蓮本尊曼荼羅

 鎌倉時代 建治2年(1276) 京都・本満寺

 これも三光瓔珞(ようらく)御本尊といわれる。

 

48 日像曼荼羅本尊

 南北朝時代(14世紀) 京都・妙顕寺

 日像の字を籠字(双鉤 (そうこう)と同じ。輪郭を写すこと)にとり、絹地に転写し、金泥で塗っている。

 

50 絵曼荼羅 大覚妙実・署判

 南北朝時代 延文2年(1357) 京都・法華寺

 「授与之法名 貞妙」とある。

 

51 宝塔絵曼荼羅 

 鎌倉時代(14世紀) 京都・本法寺

 本法寺は、頂妙寺、妙国寺とともに中山法華経寺の輪番をする三寺。

 

55 絵曼荼羅 「崎景良・筆

 日現が関与。

 

56 絵曼荼羅 長谷川等伯・筆

 室町時代 永禄11年(1568) 京都・妙傳寺

 絵の前の方のところに日恵悳祐が描かれている。

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「法華文化の展開」を順にクリック)にて。

 ここのHPでも。画像はここでも。

 



 

第2部 日蓮とその時代

 

63 重文 日蓮像 

 鎌倉時代(14世紀) 静岡・妙法華寺

 日蓮聖人が下総国の檀越、法名法蓮、蓮華比丘尼(曾谷教信夫妻)に説法しているところ。

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「日蓮とその時代」を順にクリック)にて。

 そのほか、ここのHPや、チラシの裏の画像ここで。

 

65 日蓮曼荼羅本尊

 鎌倉時代 弘安3年(1280) 静岡・妙法華寺

 左下に「釈子日照伝之」とあることもあって、「伝法本尊」といわれる。非常に大きなサイズ。 

 

67 日蓮曼荼羅本尊 

 鎌倉時代 建治元年(1275) 京都・妙顕寺

 「経一丸」(後の日像)に伝えたとあるので、玄旨伝法曼荼羅とも呼ばれる。

 

69 三教指帰注抄 巻上

 平安時代(12世紀) 千葉・法華経寺

 『三教指帰』は、空海が仏教・儒教・道教のうち仏教が最も優れていることを示す戯曲的構成の書。ただ、ここでは、余白に書かれた落書き(首実検の絵)が着目されている。

70 国宝 立正安国論

 鎌倉時代 文永6年(1269) 千葉・法華経寺

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「日蓮とその時代」を順にクリック)にて。

 ここのHPでも。画像は、ここここ、またはここでも。

 『立正安国論』は、日蓮が文応元年(1260)に著し、鎌倉幕府前執権の北条時頼に奏進したもの。今年は奏進750年記念。

 書き出しから「文永六年 写之」という字まで、実に力強い筆致。

 
  

74 重文 盂蘭盆御書 日蓮・筆

 鎌倉時代(13世紀) 京都・妙覚寺

 画像は、ここで。

 78 日蓮坐像 院興・作

 鎌倉〜南北朝時代(14世紀) 京都・妙覚寺 

 画像は、京博HP(「展示案内」→「これまでの展示」→「日蓮と法華の名宝 詳細はこちらから」→「展示作品紹介」→「日蓮とその時代」を順にクリック)にて。

 また、画像はチラシ博物館だよりにて。また、ここのHPでも。 

 

79 日蓮坐像

 鎌倉時代 元弘元年(1331) 北海道・法華寺

 西日本にあったのが北海道に渡ったのだが、今回里帰りしたそうだ。

 画像は、チラシや、博物館だよりにて。

 78に比べると「黒目がち」で可愛い感じ。

 

81 日蓮聖人註画讃 巻第一・第四・第五 窪田統泰・筆

 室町時代 天文5年(1536) 京都・本圀寺

 画像は、本圀寺HPで。チラシ裏のここでは、82と同じく処刑できなかった場面であろう。  

 

82 日蓮聖人龍之口法難図 狩野探幽・筆

 江戸時代 寛文13年(1673) 京都・本法寺

 聖人を処刑しようとして稲妻で失敗したところを描く。

 

83 日蓮入滅図

 江戸時代(18世紀) アメリカ・ハーバード大学燕京図書館

 釈迦涅槃図そのまま。 

 


 



 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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