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(No120) 「仏像ガールってなんですか  〜仏像の魅力を大いに語る〜」 聴講記 その1

 平成21年3月20日(金・祝)に、奈良国立博物館で上記の催し物があった。平常展招待券付きで前売り800円なり。


 
 
第1部 ”仏像ガール”誕生のひみつ(13時30分〜13時50分) 

 チラシによると「”仏像ガール”こと廣瀬郁実さんが、仏像との出会いなど自らの仏像人生をお話します」とある。

 右写真は、会場近くの立て看板。

 チケット完売とあるので、前売りを買ってないと入れなかったようだ。

 

 最前列に座ったのだが、私の横には3人ほど和服を着た若い女性が座っていた。

 時間になった。

 満面に笑みをたたえながら、毛糸の帽子をかぶった若い女性が登場した。

 

 


「こんにちは。仏像ガールです。今日のタイトルは”仏像ガールってなんですか”ですけど、最初に答を言います。

 私は仏像の研究者でも僧侶でも仏師でもありません。ただの仏像が好きな・・・・・ガールです。私は今29歳なので、ガールの期限ももうすぐだと思います。

 私は中三の時に父をガンで亡くしました。大腸ガンでした。小六の時に末期ガンと宣告されたのですが、よく笑う人で、それから3年間がんばってくれました。

 父が死んだ時、死ぬって何?死んだら楽になれるのかな?死後の世界ってどんなのだろう?死ぬのが怖い。そんな恐怖を解消するために、私がしたのがお寺に行くことでした。

 私は横浜の戸塚に住んでいまして、電車で10分くらいで鎌倉に行けるんです。

 高二の時、運命的な出会いがありました。青春18切符という素敵な切符がありまして、夜行列車で京都に行って、朝一番で、誰も人のいない三十三間堂に行くことができました。

 そしてお堂の中のいっぱいの千手観音さまを見て、感動で涙をぽろぽろ流しました。私、悲しかったり悔しくて涙を流したことはあっても、感動して涙を流したのって生まれて初めてだったんです。
 それで、ああ、私って感動できる人間だったんだと思いました。

 その時感じたのは仏像の魅力って人間の力なんだなってことなんです。

 ご本尊入れて千一体もの仏像を作ろうと考え出した人がいる。実際に作った人がいる。そして、それを今日まで守ってきた人、その仏像を今日まで拝んできた人がいる。そのすべての力によって、今、私がこの仏像を見れている。これは奇跡と言ってよいことだな。そう思いました。

 それで、私、仏像が好きなんだって気付いたんです。大学で仏像のことを学びたいと思ったんですが、母からは『大学は自分のお金で行きなさい』と言われていたので、いろいろ調べました。

 私が仏教美術を学んだのは上智大学なんです。ご存知ですか?そう、キリスト教の大学なんですね。そこの比較文化学部というところで学びました。
 その学部は、共通語は英語。先生は全員が外国人なんです。

 皆さん、お寺に行って看板の英字がわからないってことありましたか?
 仏教用語が難しいから、日本語だと分からないことなかったですか?
 英語には仏教用語がないから、外国人の先生が説明できるように考えるんですね。
 広隆寺には有名な弥勒菩薩さまがいらっしゃいますよね。
(足組みをして、手をあごに当てる真似)あれ、日本語では半伽思惟像って書きますけど、難しいですね。

 それを外国人の先生はどう表現するか、というと・・・・・He thinks of how to save us.

 すごく分かりやすいと思われませんか?

 その後、法隆寺に行くことができて、釈迦三尊像のところで、こう、顔を押し付けて、気が付いたら30分以上我を忘れていたんですが、ふと周りを見ると、『ああ、国宝なんだ』と言うだけなんです。
 皆、通り過ぎる。誰も立ち止まらない。

 自分と他の人とのギャップは何なんだろう?
 仏像の看板を見ても意味が分からない。少し興味がわいてもそれ以上入っていけない。これでは、将来、仏像が大切にされない世界になるかも?そう思いました。

 27歳になった時、一応仕事にはついていたのですが、昔から30を区切りにしよう、30までにこれからの指針、自分の芯というか、人生を捧げたいと思えるものを見つけたいと思っていました。
 それは今の仕事ではない。それで自分を振り返ってみると、今までの自分を支えてくれてきたのが仏像だ。仏像と、仏像に興味のない人をつなごう。仏像に一生を捧げよう。そう決心したのが2007年の5月のことでした。

 不思議なことにHPを開いてわずか1週間後に『NHK にっぽん 心の仏像』で私のことを紹介していただきました。
 去年は本を出すことができました。
 私は何て幸せなんだろうって思います。

 実は私は昔・・・・・・・すごく非行に走ってました。誰の世話にもならない。誰の世話にもならず生きていける。25くらいまで、そう思ってました。今は違います。

 いろんな人に心配してもらいましたけど・・・・・・何とかご飯が食べていけそうです。

 2007年、2008年と全国都道府県を廻ってます。北海道や沖縄には仏像なんか無いでしょ?っておっしゃる方もいますが、ご心配なく。日本は、どの県にもちゃんと仏像があります。

 今日は大好きな西山厚先生と仏像バトルなんて凄いことをさせてもらいます。どうぞお楽しみに。どうもありがとうございました!」

 

  



第2部 奈良国立博物館西山学芸部長とのトークショー 〜ここが好き!私のオススメの仏像さん〜 (14時〜15時)

 これまたチラシによると、「二人がオススメの仏像を交互に出し合いながら、仏像の魅力を大いに語ります」とある。

 ステージ正面には大きなスクリーン。ステージ右手に二人並んで座って、トークショー開始。

西「出会いは去年の5月・・・6月でしたっけね?」
ガ「奈良の立ち飲み屋でしたね」
西「『変わった女の子がいるんだけど来ないか?』て連絡もらいまして。もらった名刺に『仏像ガール』って書いてある。
 本当に変わった人だなあって思って。できるだけ係わり合いにならないでおこうと思いまして」
ガ「そうですよ。正直、感じ悪かった」
西「若干彼女に背中向けてね。一人飛ばして、向こうの人としゃべってた」
ガ「『好きな仏像は?』って訊いても『秘密です』って答えてくれなかった。
 でも名刺に奈良国立博物館学芸部長って書いてあるんで、凄い人と出会ってしまった・・・って思いました」 

西「(チラシを手にして)え〜っと、今日は『二人がオススメの仏像を交互に出し合い・・・・』」
ガ「めちゃめちゃ読んでますねえ」
西「本当にお互いが机の下から仏像を出し合ったりしたら、楽しいと思いませんか?」
ガ「そりゃ楽しいですね」
西「実は、私、こんなものを・・・・
(と、小さな仏像フィギュアを取り出す)
ガ「え〜っ!!!すご〜〜い!!
(そのフィギュアを手にステージ前に行き、観衆に見せる)

ガ「この仏像は・・・?」
西「戒壇院増長天です。
 さて、今日はちょっと整理してお話しませんか?
 ということで・・・・・
(パソコンを操作。スクリーンに「如来 菩薩 明王 天」と映し出される)
 で、まずは・・・・・
(今度は「如来」という文字だけが単独で大きく映し出される)
 如来って、どんな仏様ですか?」
ガ「はい。如来は悟りを開いたお方で、どっしりとした感じの仏様ですね。
 身体にいろいろ特徴があって、螺髪
(らほつ)とか、衣とか・・・・そうそう、見過ごされがちなのが手で、如来の手には水かきがあるんです。
 普通に手で水をすくうとこぼれてしまうけど、水かきがあるとこぼれない。つまり、悩める人をこぼれずにすくう
(救う)ということで」
西「太った人も指と指の間がつまってすくえたりしますよね。肉厚で。太ってると悟りに近いってことなのかな?」

【鎌倉 覚園寺 薬師三尊像】
(・・・の画像がスクリーンに映し出される。以下同じ)

ガ「これは私のホームグラウンドで。目が水晶でできているんです。お堂の中は暗いんですけど、目が慣れてくると仏様の目がキラキラしてきて、何か涙でキラキラしてるみたいに見えるんです」

【奈良 薬師寺 薬師三尊像

西「これは仏像としては完璧だと思います。
 私、昔から薬師寺に縁がございまして。昭和40年代頃ですが、当時の高田好胤住職に可愛がってもらいました。

 高田好胤さんも父を小六で亡くされていて、金堂の本尊を父だと思っているとおっしゃってました。

 実は私の母も父を小さい頃に亡くしてまして、父の顔を知らない。で、以前母は私と薬師寺に行った時、この薬師如来像を見た時に『父がここにいる』と言いました。

 本尊の横にいらっしゃるのが日光、月光菩薩。背中もいいんです。

(スクリーンに日光菩薩の後ろ姿が映し出される。西山先生は席を立って、ステージ中央のスクリーンに近づき「この背中のラインが・・・・・・触るのも何ですが」と言いつつ、スクリーン上の菩薩像の背中の辺りをなぜる)

【山口 周防国分寺 薬師如来像

ガ「山口の仏様なんですけど、今日、山口出身の方っていらっしゃいます?」
西「じゃ、山口さんて方は?」

ガ「薬師如来が手に持っているのが薬壺(やっこ)です」
西「古い薬師像は薬壺を持っていません」
ガ「薬壺ですから中にはお薬が入っています。でも中をのぞくことはできませんね。
 薬師如来様は、ありとあらゆる病気を治してくれると言われています。

 なんとなんと、ここのお寺の薬壺は蓋が開くんです。中には薬草や大麦、小麦、その他漢方薬などが入っていました」

 次に薬壺とその内容物の写真が映し出された。
 蓋の裏側には「元禄十二巳 十月十二日修補」と筆書きされていた。
 参考サイト「薬師如来像とその薬壺と日本人の祈願」

ガ「次は・・・・釈迦如来じゃないですか?」
西「ブ〜〜!!」

【京都 禅林寺(永観堂) 見返り阿弥陀

西「これは禅林寺、通称永観堂というのですが、私、学生時代、永観堂のすぐ横で下宿してました。友達が来たら必ず永観堂に案内してまして。自分の寺だと思ってました

 今はそんなことはないと思いますが、正面から入ると拝観料が要るんですが、当時は横から廻るとすっ!と入れまして。

『ついてきているか?』って、気遣う優しいお顔がいいですねえ。

 これを正面から見ますと・・・・・
(正面から写した画像が映し出される)しんどそうですね」
ガ「これは珍しい写真ですね」
西「申し訳ないな・・・って気がします」
ガ「厨子の横が開いてるから、皆さん左から見ますもんね」
西「まあ、正面からも拝観はできるんですけどね」

 見返り阿弥陀は顔を左横に向けているので、通常は上掲画像のような左側から撮った写真が用いられる。

 西山先生の正面からの写真は、首を真横に曲げているので確かに「しんどそう」に見えた。

ガ「珍しいのでつい『日本で唯一つ』と言いがちなんですが、それで実際、HPでもそう書いてしまったんですが、ある方に誤りだと注意されました。
 著作も売れている有名人で、日本でも有数の仏像の権威の方です。ええ・・・っと、西山厚という方で」
西「富山にもあります」

奈良国立博物館 出山釈迦如来像(しゅっさんしゃかにょらいぞう)

ガ「初めて見た時、正直、『あっ、これは無いや。無い、無い』って思いました。

 でも、館内をもう一周してお会いした時、ノスタルジックな雰囲気に何か惹かれるなあって思いました。
 これは5、6年修行して山を下りてきた時のお姿なんですよね。

 私が本の中でこの写真を使いたいと言った時、山渓
(彼女が書き、西山先生が監修した『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』を出版した”山と渓谷社”のこと)の武藤さん(よく分からないがおそらく担当の編集者さんなのだろう)に、失礼にも大爆笑されました」
西「目に浮かぶようです」
ガ「
(本の裏表紙を掲げ)裏表紙に使わせていただきました」
西「まさに山と渓谷から出てきたところですね」
ガ「本の装丁を担当してくださったデザイナーの方が『お言葉ですが・・・・・・それで本当にいいんですか?』って訊かれました」

西「釈迦は29歳で出家して、苦しい修行をしても意味が無い。これは悟りに到達する道ではない。自分が一生懸命やってきたことは意味がなかったと分かって、山から下りてくる。
 くたびれた表情で、骨もあらわになっています。

 しかも・・・・・しかもかもしか・・・」
ガ「先生、少しかみましたね」
西「次は当たるかも?」
ガ「今度こそ釈迦如来ですね?しかもめちゃ若い?」

【奈良国立博物館 東大寺 誕生仏】

西「釈迦は誕生してすぐ七歩歩いたとか、天と地を指差して、天上天下唯我独尊と言ったとかいわれてますが・・・・・・・・・言う筈ありません。

 インドの誕生仏はそんなことしてません。インドの誕生仏は両脇から支えられたりしてますね。リアルです。

 こうした誕生時の逸話は中国で出来た話なんです。この天上天下唯我独尊という言葉の意味をいろいろ解説したりしてる本もありますが、全く意味がありません。言ってないんだから。元々インドの人なんですよ
ガ「あっ、そうですよねえ」

西「この像は腕のくびれなんかが赤ちゃんぽくていいですね。

 交互に・・・・・ということでしたが、続けていかせていただきます」
ガ「徐々に前に出てきましたね」
西「僕のマイクだけ切られたりして」

【京都 清涼寺 釈迦如来像

西「この手の形は何でしょう?これは施無畏印といいまして、『安心してね』って意味です。

 何年か前、障害をもった子供たちを30人くらい、車椅子の子供たちに来てもらって、このホールでお話したことがあります。
 話し終わった後、引率の先生から、『訊きたいことがある』と言ってる子供がいると言われました。

 その質問は『大仏さんの右手はどういう意味なんですか?』というものでした。
 それは『大丈夫。心配しなくていい』って意味なんだよと言って、その子の背中を『大丈夫!』と言いながらトントンしてあげました。五つか六つの子だったと思います。

 この清涼寺の釈迦如来像を確か24年前に奈良博に拝借しました。もう時効だと思うのですが・・・・」
ガ「おっ、懺悔が始まりましたよ」
西「夜、こっそり展示室に行って、像の手に自分の手を合わせました」
ガ「夜中に?どうして?」
西「悩んでるんです、いろいろ私も。

 この像は全身が傷だらけなんです。拝観された方がお賽銭を投げたのが当たったと言われてます。

 『生身(しょうじん)』といいまして、この仏像はインドで釈迦の姿を写して作られて、中国に伝えられたと伝承されています。

 実際の釈迦の姿を写したものですし、この像は生きているんですね。ですから像の中に内臓が入っているんです。
(布製の五臓六腑の写真が映し出された。続いて耳のアップが映し出された。耳の穴の部分に栓がされている)

 この像は耳の穴が頭の中まで通っているんですね。ですから変な物が詰められないよう栓がしてあるんです。

 鼻も呼吸できるよう、穴が中まで通っています。

 ちょっと珍しい写真をご覧いただきましょう。

 大仏様って鼻の穴がいくつあるかご存知ですか?六つあるんですよ。大仏様の鼻の穴もしっかり中まで通っています」

 大仏の鼻を下からアップで撮った写真が映し出された。

 驚いたことに、両方の鼻の穴の中に三つずつ小さな穴があいていた。右穴に三つ、左穴に三つで計六つということ。

 さらに珍しいことに、像の中から鼻を撮った写真もあった。

 



  菩薩編以降は、また次回へ。

 いつものことですが、録音のテープ起こしではありません。走り書きのメモとおぼろげな記憶で適当に再現した文章なので、記録違い、記憶違いはご容赦ください。内容にも誤りがあると思います。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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