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(No119) 修二会講演会 聴講記 その3

 平成21年1月31日(土)に、毎年恒例の修二会講演会が学校行事であった・・・・・の続き。


 
 
(4) 参籠衆
ア 三役
イ その他



5 前行
(1) 準備
(2) 試別火
(3) 惣別火



6 本行
(1) 初日
(2) 食堂

 拝観のポイントを申し上げます。
 一日の始まりは昼の食堂作法です。

 師は、今年練行衆に選ばれなかった理由を、病後であまり食事を急いで食べられないので、そこを考慮していただいたのでは?とおっしゃっていた。
 また、以前、食事の時の「ご飯」の量は相当なものだ。食事時間のほとんどは食堂作法という「お祈り」に費やされ、それが終ったわずかな時間でかきこまねばならない・・・・・とも語っておられた。
 左写真が、食事の様子。飯は五合らしい。

 食事関係については仏教(95)参照。




(3) 六時

「声明(しょうみょう)

 一人でできる声明もあります。
 お水取りの声明というと「南無観」が有名です。CDが二月堂の売店で売っています。

 お断りしておきますが、あのCDの声明は堂内での声明を実際に録音したものではなく、サントリーホールでのライブを録音したものです。

 その他、愛知県立会館や東京でもやりました。寺以外で声明をやることについては批判的な意見もあります。

 海外ではドイツのベルリンホールでもやりました。ホールでは、ええ声に聞こえるんですね。普段、音痴かな?と思ってる人の声でも「あれぇ?」と思えるくらい。
 でも、西洋音楽に合わせた設計なんで、残響が大きすぎて、ずれてしまうんです。

 声明には和声がありません。音痴がいて3度か5度ずれると、ちょうど和音になるんですね。

 薬師寺の声明は予め合わせないそうなんです。私らは、一生懸命合わせてもなかなかうまくいかないのに、合わせなくて決まるのはすごいな、て思います。

 

「読経(どっきょう)

 平衆4人が読経をあげます。四職が堂内に入ってくる時のBGMが読経です。経としては法華経なんですが、独特の節がついています。

 ちょっとやってみましょう。

♪ みょうほう〜 びく びくにぃ〜 うばい うばそくぅ〜 う〜 ちょうじゅぅ〜 う〜〜う いぃ〜い〜 う〜うむ〜むぅ〜 ♪

 メモも取りきれないし、私が書きとめられた単語は、上掲のものくらい。

 法華経といっても、どの部分かさっぱり分からない。以前買った『法華経現代語訳』全3巻(訳:三枝充悳。レグルス文庫)で「序品」の最初のところを読むと「出家修行者の男女、在家信者の男女」といった一節があった。「びく、びくに、うばい、うばそく」と一致するが、読経されたのが妙法蓮華経の序品かどうかは分からない。

 今日は私一人がやってますが、本番では順番に交代します。逆にいうと、人が交代し、声が変わるので、ああ、ここで段が変わったのだな、と分かるわけです。
 この辺はグレゴリアンチャントと同じ
(?)です。

 Wiki に「グレゴリオ聖歌(ぐれごりおせいか)は、西方教会の単旋律聖歌(プレインチャント)の基軸をなす聖歌で、ローマ・カトリック教会で用いられる、単旋律、無伴奏の宗教音楽である」とあるから、グレゴリアンチャントとは、いわゆるグレゴリオ聖歌のことだと思う。

 単旋律無伴奏という点で声明と共通するのか?
 グレゴリオ聖歌も、段ごとに人が変わるのかどうかは知らない。確か上司永照師は「声明」と「グレゴリオ聖歌」の類似性には言及されたと記憶しているが、上記の文章のように、人が交代し・・・という部分と聖歌が関連するか否かは自信なし。

 節が踊るようになると、終わりが近づいてきたな、ということが聞いている人でもマニアになってくると分かります。
 マニアの方は、あっ、間違えたなってことも分かるようです。
 マニアの方は女性に多いようですね。で、さらに深いマニアになってくると、間違えようが何だろうが、修二会の世界、声明に浸っていればそれで幸せ・・・・となってくるそうです。
 ミュージカルやオペラの追っかけがあるそうですが、昔は坊さんの追っかけもあったそうです。
 そうゆう時代やのぉて、良かった。あ、どうせ、追っかけられへんから大丈夫か

 読経は最後の方で、妙なことをするんです。
 作法で、最後の段になってくると一人が読経し、他の全員がそれに続きます。ゆっくりとやります。そして・・・・・
(師は、ばん!ばん!と演台を手で叩かれた)

 5mくらいの額木
(ぬかぎ)、額に木と書くのですが、五体投地の時に身体を叩き付ける幅10cmくらいの板です。
 それに同じ幅のかまぼこ板のようなもの、かまぼこ板より山がきついんですが。2cmくらいでしょうか。要は、シーソーのようになっている部分を叩きつけ大きな音を出します。

 この辺の「額木」とかシーソーだの書いている部分は、お読みいただいて非常に分かりにくいと思う。私自身、よく分からない。

 五体投地とは図録『お水取り』では「五体投地は全身を地につけて礼拝する仏への正式な礼拝作法であるが、ここでは礼堂に置かれた長い板(五体板)に体を繰り返し叩き付ける作法をいう」とある。

 左がその写真である。これでもよく分からない。昔聴いた講演会の聴講記では、
「決められた僧が出てきて五体投地をします。
 礼堂に置かれた板に膝を打ちつけます。その瞬間には、激しい音とともに、二月堂全体が振動します。その光景は、一度見たら忘れることができません。

 板は礼堂の床まで10cmくらいの隙間があります。もし、その隙間がなければ、一発で骨折ですね」
という西山厚先生のお言葉をメモした。

 

 また、注として、
「奈良国立博物館新館2階の会場で礼堂や内陣がモデル展示されていた。
 礼堂の板の間の端には、長い板が置かれていた。中心からやや外れた場所に、別の板が敷かれており、ちょうどシーソーのようになって、片方が浮いている。ここが先生の言う10cmくらいの隙間であり、おそらく白い布を巻いて、座布団みたいな感じでクッションにし、そこへ膝を打ちおろすのであろう」という文章を添えた。

 その後、内陣で拝観する機会を得た。「五体投地」を見た印象をひとことで言うとプロレス技の「ニードロップ」に尽きる。
 かつてのブルーザー・ブロディのキングコング・ニードロップのような迫力あるニードロップを決める僧、技自体はそれほど強烈ではないが、連続して膝を落とす「スピードで勝負」タイプの僧など様々であった。

 さて、話を元に戻す。五体板の構造がどうなってるかは、もう一つ不明のままなのだが、要は読経している南座の平衆が、読経の最後が近づくと額木を叩き付けて大きな音を立てるらしい。それは何のためなのか・・・・・?

 南座衆が読経しているのですが、終わりが近づいたよ、ということを北座の堂司に知らせるためにこんな音を立てるのです。

 すると、この音を合図に堂司は正面に向った位置につきます。

 読経がいったん終ると、こうします。

 と、師は、両手に掛けた念珠をこすり合わせて、さっ!と右手を前に突き出すようにされた。

 内陣は帳(とばり)で仕切られているので、直接中の様子は見えません。中の灯明に照らされてスクリーンに映し出される影絵のように人の姿が浮かび上がる。そこが、またいいんです。

 堂司は曲がった棒で扉を叩いて、こう言います。「なんぼ〜〜!!」

 正式に習ってへんけど、そう聞こえる。これは「南北」と言っているのです。要は、南座衆も北座衆もちゃんと揃ってるか?と確認しているのですね。

 南座を代表して大導師が「南座は〜」と答える。南座衆は揃ったよ、とゆう返事ですね。
 続いて、北座を代表して咒師が「北座も〜」と答える。

 読経の声、数珠の音、全員が同じように揃うと決まった感じになりますし、揃わないと変な空気になります。

 私なんかバリトンやからええんですが、高い声の人は苦労するみたいですね。低い声の人は、けっこう高い声も出せるみたいです。

 最後、ぴたっ!と決まるとお互いが握手でもしたいくらいの気持ちになります。もちろん、実際に握手なんかはしませんよ。でも、自然に笑みは、こぼれます。  

 

「六時の勤行」

 「六時」の行とか肝心なこと言ってませんね。

 修二会では、一日に六回、法要を行います。

 日中
(にっちゅう)、日没(にちもつ。又は、略して「もつ」)の法要をして、仮眠をとります。
 次が初夜
(しょや)で、この時にお松明が出ます。初夜の法要はおおごとです。
 続く半夜
(はんや)の法要は短い。
 続いては、後夜
(ごや)の法要で、これは初夜に次いで二番目に重たいものです。
 最後は晨朝
(じんじょう)です。

 日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝の一日に六回だから「六時」の勤行という。

 だいたい正午に食堂で食事をして、午後1時頃に上堂して日中・日没の法要を行い、参籠宿所に下堂。
 午後7時頃に再び上堂するが、この時、足元を松明で照らされる。
 初夜・半夜・後夜・晨朝の法要を終えて下堂するが、早くて午前0時半。遅い日は午前4時過ぎ。

 下堂して入浴したり、「ごぼう」と呼ばれる茶粥の夜食をとって寝るようである。

 

「過去帳」

  よく東大寺の大仏は、260万人もの尽力で創建されたと言われます。それは『過去帳』にちゃんと数字の根拠も書かれているのです。

 過去帳には、創建された聖武天皇、奥さんの光明皇后ら、東大寺に縁
(ゆかり)のある人々の名が書かれています。

 そこに材木関係でお世話になった人何万何千何百人・・・といった具合に人数が挙げられております。

 

 

 上掲写真は、室町時代と推定されている現存最古の写本。
 左の参考図で1が聖武天皇、2が光明皇后、3が行基、4が初代別当の良弁、5が修二会の創始者實忠。
 6は、人数の内訳。

 あと、藤原不比等や橘諸兄らの名も見える。

 過去帳を読み上げる時、源頼朝のところでは一際高く声を張り上げます。これは、当時の最大スポンサーであったから、まあ、おべんちゃらのようなものですね。

 あと、有名なのが青衣の女人(しょうえのにょにん)で、ここは声を低くして読むのですが、皆さんここが近づくと聞き漏らすまいと息をひそめて待たれます。
 そして、ここが終ってしまうと、報道陣が来ている場合などでもがやがやと帰ってしまいます。

 

 上掲は「二月堂縁起絵巻」。過去帳を読む僧の前に女人が現れ、なぜ私の名を読み落としたのかと非難したため、名前も分からぬまま、とっさに青衣の女人と書き加えた・・・・・という伝説が今も続けられているとのことである。

 左の参考図で赤で囲んだ緑の衣を着た女人が「青衣の女人」。

 

 

 

 上掲は、先ほどと同じ最古の写本。頼朝のところには、声を張り上げる目印か、赤い丸が打ってある。(左参考図1)

 3の南無阿弥陀仏とは重源のことで、2が青衣の女人。

 上司師の過去帳の「青衣の女人」のページは、仏教(93)で。

 

「神名帳」

 神名帳(じんみょうちょう)で全国各地の神様をお呼びする時に若狭の神様が魚釣りをしていて遅刻した。そのお詫びに若狭井をくれた。
 その井戸から水を取るので「お水取り」といいます。

 

 

 上掲画像は室町時代の「二月堂縁起」上巻第四段。

 図録「お水取り」によれば、
「『二月堂縁起絵巻』に描かれた伝説によれば、実忠が『神名帳』を読んで全国の神々を勧請した時、若狭国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は魚を取っていて遅参してしまった。そこで遠敷明神はお詫びに二月堂の近くに香水(こうずい)を出すことを約束する。たちまち黒と白の二羽の鵜(う)が岩の中から飛び出すと、二つの穴から甘露な清泉が湧き出したので、石を敷いて井戸にしたという」とある。

 左参考図の1が白の、2が黒の鵜。

 

 

 神名帳、やりましょか?15分くらいかかるけど。

(場内で盛んな拍手。持参の神名帳が「巻物」状になっているところ、紐を解く)

「寺の外で何してんねん?」と怒られるかも知れん。
 上野道善さんには、言わんといてくださいよ。

 上野道善氏は現在の東大寺別当(第219世)。つまり東大寺で一番偉い人。

 しかし、ここで読み上げたら、ここに神さんが来はるかもしれませんね。

 神名帳を読み上げる時は、小さいかわらけ
(土器の皿)の上に灯明をつけるんです。
 また、堂司がほら貝でBGMを奏でる。
 音楽と照明で演出するんです。

 では、やってみます。平衆は最後かもしれんので。

 神名帳は「毎日の初夜の法要の際に、独特の節を付けて読まれる。全国の神々を二月堂に勧請し、道場の守護と法会の成満を願う作法」と図録「お水取り」にある。

 師は北一も南一も経験しておられる。今年は外れられたが来年以降は、四職になられる可能性が高いのであろう。

♪ 〜 こうみょう の だいぼさっ 〜 くまの の だいぼさっ はしりゆ の だいぼさっ ちくぶじま の だいぼさっ    〜     かすが の だいみょうじん    〜 ひとことぬし の だいみょうじん 〜 ♪

 最初の方は、しばらく「○○のだいぼさっ」と言っているから大菩薩と呼んでいるのだろう。

 そうした大菩薩の中に竹生島(ちくぶじま)大菩薩というのがあった。竹生島というと「神社」というイメージがあるので「大菩薩」という仏教的イメージが奇異に感じられた。

 途中からは大菩薩は終わり「△△のだいみょうじん」に変わる。もちろん大明神であろう。

 この「大明神」も平板に読み上げるのがいくつか続くと、「□□の・・・・・・だいみょ〜〜〜じん!といった具合に、地名の後でためて、ためて大明神の「明」の所を伸ばして、語尾を跳ね上げるようにして大きな声で締めるスペシャルバージョンが入る。

 さらに、後半からは「過去帳」でいう「早駆け」状態というか、速射砲のように息も継がせぬ勢いで並べ立てていく。
 すべて語り終えられた時には万雷の拍手であった。

    

 

 

 上掲写真は、室町時代の神名帳。

 左参考図1では「勧請大菩薩大明神〜」とある。参考図2に「竹生嶋」の字が見える。下の「繰り返し」記号は「大菩薩」を繰り返すのであろう。

 3には「大明神」の字が見え、4には「恩智」の字が見える。

 

   師は「522人の神様を勧請する」とおっしゃった。とても全ては聞き取れないが522人分読み上げられたのであろう。

 講演が終ってから、いくつか意地の悪い質問をさせてもらった。

Q「最初の方、大菩薩って聞こえたんですが、その中で『竹生島の大菩薩』と聞こえました。
 大『菩薩』とゆうと神様じゃなくて、仏教的に聞こえます。しかし、竹生島は、特に『神社』というイメージが強いので、竹生島の大菩薩とゆうと何かしっくり来ないんですが」

A「確かに竹生島の大菩薩と読んでます。大菩薩という名の神様です」

Q「たくさんの神様の名が読み上げられたのですが、平板に読み上げられる神様もいれば、抑揚をつけ印象の強い神様もいました。
 聞き取れないくらいの速さで読み飛ばされる神様もいました。

 過去帳ではスポンサーの頼朝は大きな声で読むとのことです。また、変な話ですが、現代のCMでも金額によって15秒とか1分とか長さが変わります。
 読み上げ方によってランク付けみたいなものはあるのでしょうか?」

A「建前では、522人の神様は全て平等であって差はないということになっています。
 ただ、元々はランクのようなものがあったかもしれません」

 

「内陣拝観」

 内陣拝観は、往復はがきで申し込んでいただくことになります。
 内陣で拝観できるのは、男性だけです。
 これは決して女性差別ではないのです。その理由は、とゆうと練行衆が男だから、と言うしかありません。
 これは、男の性
(さが)でしょう。男は、女性がいると力が入ってしまうのです。
 修二会では歌舞音曲が禁止されます。それは心が騒ぐからです。

 私、昔野球をやってました。私、エースだったんですが、当時けっこう強かったんです。奈良県大会で優勝し、国体でも準優勝したんですが、うちの学校が共学校で女の人の応援があったら、優勝してたと思うんです。
 それぐらい、男とゆうものは、女性がいると頑張りすぎてしまうものなんです。

 ですから、内陣拝観が男性に限られているのは神道のケガレ思想によるものではないのです。普段は女性も別に問題なく内陣に入れるのですから。

 局(つぼね)は男性も女性も入れるので、どうぞそこでご覧になってください。
 内陣は、おまけみたいなもんなんです。あそこは、通路みたいなもんですから。


 


【 (4) お水取り 】

 

 先日「お水取りピンチ」という新聞記事が出ました。修二会に使う藤蔓(ふじづる)が不足しているという記事でした。
 確かに、お水取りにおいては、お松明を縛ったりするのに、ともかく藤蔓は大量に必要なのです。
 ところが地球温暖化の影響なんでしょうか。温かいと蔓は弱くなるそうなんです。今、蔓は信楽
(しがらき)から寄進されています。瀬田からも寄進という話があったんですが、瀬田は信楽より少し温かい分、弱いそうです。ところが、最近では信楽のものもだいぶ弱くなってきたと聞いています。
 軽トラックで2台分くらいは必要なんで確保が大変です。

 



【 (5) お松明 】

 有名なお松明は結局何かというと道あかりです。
 3月頃の午後7時頃とゆうと、真っ暗です。それでお堂に上がる練行衆の足元を松明で照らしたのです。

 お松明は真竹(まだけ)を用います。
 12日のお松明以外は、大体5mくらいです。松を入れ杉葉を巻きつけたりして作ります。

 お松明は童子
(どうじ)さんが持ちます。童子、と言っても子供ではありません。参籠する坊さん一人に、お世話する童子が一人つきます。

 先ほど申しましたように、北座衆と南座衆で出仕口が違い、南出仕口から入らねばならない場合は欄干のところを横切る必要があります。
 現在のように全員が階段をあがって、そのまま北出仕口から入るのであれば、道明かりであるお松明は階段を上がったところで消してしまっても良い筈です。
 ですから、欄干を横切る南座衆のためにお松明は欄干のところまで出されたのでしょう。

 平安時代には既に欄干の下に信者が集まっていたようです。
 そうした信者へのサービスという面もあったかもしれません。

 12日には籠松明(かごたいまつ)という特別なお松明が出ます。なぜ12日が特別か、というと12日には「お水取り」という行事があります。いわば、12日は修二会全体でも特別な日、ハレの日なのです。

 普段のお松明は重さ20kgくらいです。しかし、12日の籠松明は、先端に籠が被せられたり、桧板で化粧されたりします。
 重さは70〜80kgです。そんな重いお松明ですが、やはり童子一人でかつぎます。
 バランスを取るために、竹の根っ子もつけたまま用いられます。

 お松明は途中で回したりするのですが、もし曲がっていると回す時先端がぶれて、階段を上がる時に屋根にぶつかったりしてしまいます。ですから真っ直ぐな竹でなければなりません。

 同じ理由で、柔らかすぎてしなるような竹でもダメです。孟宗竹は弱いので真竹(まだけ)でなければダメだとされています。

 斜面に生えている竹は、どうしても根っ子が曲がってしまうのでダメだと言われています。ですから平地の竹薮に生えた3年以上の真竹でなければ・・・と言われていますが、最近では斜面の竹薮しか残っておらず、大変入手に苦労しています。
 最近では愛知県とか岐阜から入手しています。

 籠松明の写真は、例えばここのブログ「奈良倶楽部通信」で。竹の根っこの写真は、ブログ「それから」で。

 お松明はショーで意味がないと言う人もいます。しかし、お松明があるから、あれだけの人が来るのです。

 そこから東大寺との縁がつながります。これが結縁(けちえん)です。

 大仏もあれだけ大きいから人が来るんですね。ショーとは言い切れないけれど意味はあると思います。

 



(6) その他の行法

(7) 下堂

7 さいごに


  師は昨年ご病気をされたということで、そう言えばお痩せになったようで、体調が心配であったが大熱演であった。
 ともかく今年体調の加減で練行衆から外れたのが寂しくてならないという感じで、随所で、ほとばしる「修二会愛」を感じた。

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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