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(No118) 修二会講演会 聴講記 その2

 平成21年1月31日(土)に、毎年恒例の修二会講演会が学校行事であった・・・・・・の続き。



 

 
【 (3) 持物 】

【 掛本尊 】

 本尊は宿所に置いておいて、お堂に上げませんが、お堂に持っていくのが掛本尊
(かけほんぞん)です。二月堂の内々陣の中に掛けておくものです。

  写真が小さくて分かりづらいと思うが、掛本尊とは「巻き取った状態の掛け軸」のようなものである。

 左写真では、牛玉箱の後ろに少しだけ写っている。




【 紙衣 】

 これは紙でできた衣で紙衣(かみこ)といいます。

 やはり参籠中は羊毛といった動物質のものは、できるだけ使わないことなっています。
 紙ゆうのは新聞でも段ボールでもすごい保温力があるんですよね。
 この中に野宿の経験のおありの方は・・・・・・・?まあ、いらっしゃらないでしょうねぇ。

 私、昔からサイクリングが趣味でして。腹に新聞紙とか巻きますと、坂道降りる時なんかでも、ずいぶん温かい。
 和紙なんかですと、厚みがある分、よけい温かいんです。

 仙花紙(せんかし)という種類の紙を宮城県白石市や愛媛県から寄進していただいてます。
 この紙を揉んだり、棒に巻きつけ押し付けたりして、ちりめん状のシワをつけます。

 ストローの紙袋をぐぐっと押し付けて蛇腹状にして、水をたらして伸びるのを見て楽しむ「芋虫」というしょうもない遊びをよぉやったが、「棒に巻きつけ、押
す」ってのは、そんな感じだろうか?

 

 左写真は、以前に撮らせていただいた紙衣の写真。

 左肩のところに乗せてある細いベルトのようなものが後年帯(こうねんたい)。


【 後年帯 】

 紙衣は次の年の分を作るのですが、後年帯はその年の分を作ります。

 安産のお守りになると言われており、「もうすぐ孫が生まれるのですが・・・」などとおっしゃる方に差し上げたりして、全部は残っていません。

 腹帯の上から締めたりするそうです。 

 

【 牛玉箱 】

 これは非常に大事な牛玉箱
(ごおうばこ)で、大切な牛玉札(ごおうふだ)を入れておくものです。

【 牛玉櫃 】

 今日も牛玉櫃
(ごおうびつ)を持ってきました。

 牛玉グッズの中でも五十音順に並べているので、牛玉「箱」の後に牛玉「櫃」が来ているが、師のお話では、まず牛玉櫃をご紹介いただいて、それから、その中に納めているものを上段から順にご紹介いただいた。

 紋が入った櫃の写真は、下に掲げた宿所室内写真をご参照いただきたい。
 実に機能的な収納ボックスで、箱の裏に「畳」が貼ってあって、札を刷る時はそこを用いるなど、限られたスペースを有効に使うため様々な工夫がこらされているようだ。

 また、大体の収納基準というものがあるようで、
1.上段の箱には大事なものを入れる。本尊、掛本尊、牛玉箱、中臣祓、(わかめ)袈裟など。

2.中段の箱には「過去帳」、「神名帳」などお経の本や念珠など。

3.個人的なものは、下段の箱に入れる。上堂袈裟や重衣(じゅうえ)、日記、後年帯、紙衣など。

4.櫃の底には内緒のものを入れる。「お供えをもらったら底に隠すんですが、必ず先輩にばれるんです」と冗談を言っておられた。



【 牛玉札 】

 牛玉札
(ごおうふだ)は、内陣で手刷りします。

 
 刷る期間も決まっていて、8日、9日、10日の3日間だったと思います。大導師が行をしている間に平衆が刷ります。

 図録『お水取り』には「修二会(お水取り)では3月8日、9日、10日を『牛玉日』と称して、初夜(午後8時40分頃〜)、後夜(午前0時10分頃〜)の大導師の祈り(大導師作法)の間に他の練行衆が牛玉札と陀羅尼札(だらにふだ)を摺る。
 牛玉札とは厄病除けの護符〜」とある。

 墨の中に高貴薬である牛黄(ごおう)というものを混ぜます。いわゆる牛の胆石というものだそうで、万病に効くと言われています。

 以前も紹介したが、牛黄については、例えばここで。


 大変高価なものらしく、わずか数グラムで1万円とかするらしいです。

 あっ、お金のことゆうたら、やらしいですね。

 ともかく、漢方薬屋さんから寄進いただいたたら、いただいただけ墨の中に溶かします。


 右上写真は、牛玉札を刷っているところ。
 一番手前の僧は、黒くて丸いものに紙を押し付けているように見える。
 これは陀羅尼札を刷っているのではなかろうか?

 図録解説によると、陀羅尼札とは、「仏頂尊勝陀羅尼経を円形に配列し摺られて〜息災や延命の功徳がある」とある。
 その版木の写真も載っていたが、黒くて円形であった。

 ついでながら、この写真では上掲写真より掛本尊の様子がよく分かる。


 右下写真は、図録にあった牛玉宝牘(ごおうほうとく)と朱宝印の写真。

 右の宝牘の方は、たとえが悪いが、年賀状なんかで自分の住所・氏名のスタンプを作ってもらうことがあるが、そのスタンプみたい。
 この宝牘を御香水(ごこうずい)で摺った牛黄入りの墨で刷り、その上から朱宝印を重ねて捺す。

 出来上がった札が左下写真。
 師のお話では、寄進を受けた人へのお礼に使ったりするそうである。 


 


【 差懸 】 
 今日は皆さんに謝らないといけません。というのは、木靴、差懸
(さしかけ)を忘れてしまったんです。去年聴いていただいた方はご存知でしょうが、もちろんここの舞台と堂内とでは音が違うのですが、去年、ここで差掛を鳴らすのを実演させていただいた。
 いちびってやってたんですが「もう、そういうことはするな」という天の声で、忘れたのかもしれません。

 そう言えば、演台に進まれる足元を見た時、「あっ、今日はサンダルなんだな?」と思ったのであった。

 左写真は以前に撮らせていただいた差掛の写真。

 

【 重衣 】

 重ねて着る衣と書いて重衣
(じゅうえ)というものがあります。
 これは重ねるというより重たい衣と言った方がいいと思います。いや、ほんまに重たいんです。ほんまに重たい。

 何でなんべんも重たい、重たいとゆうかと言うと、堂内はすべてお灯明です。
 菜種油に灯心入れて火をつける。堂内はススだらけです。
 習字の墨は、あれは油を燃やして出るススを固めて作るんですが、堂内の私らは、その墨と似たようなもんなんです。

 灯明皿の油がススで汚れます。それをどうやって掃除するかというと、皿の油の表面に抹香をふりかけ、そこに油をしみこませ、手でかき集めて掃除するんです。ですから堂内での私らの爪の中なんかは真っ黒です。

 重衣に油が飛ぶこともしょっちゅうです。そんな時どうするかというと、やはり油のとこに抹香をふりかけて、こするんです。

 ですから、重衣は、表面に油と抹香がしみこんで、サイのよろいのような皮膚みたいになっているんです。それは重たい、重たい。

 図録『お水取り』に重衣の写真が載っていた。藍色で襟付きの衣であった。防寒用のオーバーコートといったところだろうか。


【 上堂袈裟・食堂袈裟 】 

 念珠には上堂念珠と食堂念珠の区別がありますが、袈裟にも上堂袈裟
(じょうどうげさ)食堂袈裟(じきどうげさ)の区別があります。

 念珠は軽いものなので、うっかり間違えることもありますが、さすがに袈裟は間違えません。

 

【 中臣祓 】

 自分でお祓いする時に使うのが中臣祓
(なかとみのはらい)というものです。

 別火の間は、お風呂と朝、起きた時ですかね。これでお祓いをします。
 参籠宿所では本尊の前に中臣祓を置いています。

 下の方に参籠宿所の室内の写真を載せているが、壁に小さな出っ張りがあり、そこに本尊が置いてある。
 その写真では分かりにくいが、その前にこれが置いてあるのであろう。

 わかめ袈裟を掛けて祝詞(のりと)を言います。

 本行に入ると朝、起きた時ではなく上堂する時にお祓いをします。


 左写真は師に撮らせていただいた牛玉櫃の中。

 牛玉箱(白くて「二月堂」とか書いてある)の右横に見える棒の先に細い紙テープみたいなものが何本か付いているものが、この中臣祓。

 牛玉箱に乗ってる黒いひものようなものがわかめ袈裟。

 牛玉箱の左下、印籠のような形をしたものが本尊。
 下の、白いひものついた棒状のものが掛本尊。


【 念珠 】

 これは持念念珠
(じねんねんじゅ)です。

 数珠(じゅず)というのは、数を取るのが本来の仕事ですが、修二会では、この数珠は楽器の役目もします。

 ですから、いい音が出るように数珠の玉が「イラ高
(だか)」という形をしています。ちょうど算盤(そろばん)の玉のような形です。
 黒檀や梅で出来ています。

 声明の合いの手に数珠が入ります。

 紙袋に「上堂念珠」、「食堂念珠」と書いてあります。

 上堂念珠
(じょうどうねんじゅ)というのが、お堂に持って上がる念珠で、音がよく出るように算盤の玉の形をしています。

 食堂念珠
(じきどうねんじゅ)は、食堂作法の時に用いる念珠で、玉がつるっと丸い形をしています。ご飯食べる時に、あんまりやかましいと、かなんからねぇ。
 ちょっと鳴らしてみましょか?

 師は、それぞれの数珠を手に通し、ジャラジャラっ!と鳴らしてみせてくださった。
 上堂念珠は確かに、ギロ(中身をくり抜いた瓢箪の外側に刻みを入れて棒でこすって音を出す楽器)みたいな、楽器っぽい音がした。
 場内、おもわず「ほぉ〜」と感嘆の声。

 次に食堂念珠。上堂念珠とは全く違ったおとなしい音が鳴るのかと、一同息をひそめて聞き入る。
 しかし、師が勢いよくこすり合わせた食堂念珠から出た音は、正直言って上堂念珠とそれほど違わないものだった。

 と、師は「変わらへんでしょ?」とおっしゃったので、場内大爆笑になった。


(まず、上堂念珠を取り上げ)
 房が黒くなってるでしょ?これは堂内が油の煙だらけなんで、ススで黒くなるんです。

(次に食堂念珠を取り上げ)
 その点、食堂念珠は・・・・・・これも結構黒いですね。これは何でか、とゆうと持っていく念珠を間違えてるんです。
 先ほど、上堂念珠、食堂念珠と大書した紙袋を見ていただきましたが、室内では念珠は紙袋には入れてません。
 紙袋を下げ、その上に念珠を掛けているのです。

 ですから、上堂する時、うっかり食堂念珠をぱっと手に取ったりすると、食堂念珠の房が堂内のススで黒くなってしまうというわけです。

 

【 法螺貝 】

 今日は法螺貝(ほらがい)を持ってきました。
 昔はブラスバンドの経験者とかはいませんでした。ですから、いきなり法螺貝を吹けと言われても音なんか出ないんです。

 ですから、12月16日に参籠する指名を受けると、すぐに法螺貝を鳴らす練習を始めたものです。特に新入(しんにゅう)と呼ばれる、初めて参籠する人などは一生懸命練習しました。12月に、東大寺の境内のあちこちで法螺貝の音(ね)が鳴ったので師走貝(しわすがい)という言葉ができたそうです。

 この貝も立派でしょう?
 最近の貝は赤っぽくて薄いそうです。北の寒いところの貝の方が厚い。
 この貝には清水公照さんが金属の吹き口をつけました。

 二月堂内陣には有名な貝があります。尾切
(おぎり)と「こたか」という貝です。
 尾切は吹き口は付いていません。口を切っただけです。

 こたかは小さいのです。大きさは拳くらい。高い音が出るのですが、音を出すこと自体が難しい。

 これが「荒貝(あらがい)」という奏法です。
 これが「長貝
(なががい)」です。

  詳しいことは分からないが、「荒貝」という奏法の時は、とにかく思いっきり吹いたという感じ。
 一方、「長貝」は、抑え目で、同じ調子で長く吹き続ける・・・という感じ。

 吹き合わせということもします。例えばプ〜プ、プ〜プ、プ〜プと尾切を3回吹くと、「こたか」も同じように3回吹く・・・といったことを行います。

 もっと大きい大法螺
(おおぼら)もあります。よく修験(しゅげん。山伏など)の人が吹いているような貝です。これは、下っ端が吹きます。

 奈良博「お水取り」図録には「(大法螺は)処世界と権処世界が吹き合わせる」とある。下っ端が・・・というのは、そうゆうことだろう。

 これが貝を入れている貝箱です。

 黒いでしょ?江戸時代から使われているものだと思います。
 内陣の中は、お灯明の油煙だらけなんです。鼻に白い布を入れると黒くなるし、痰は、5月くらいまで黒いんです。きっと、肺の中は真っ黒なんでしょうね。
 でも、それが原因で死んだ・・・という人の話は聞いたことがないので、ニコチンと違って害はないんだろうと思います。

 内陣に入りますと「ちょうず」
(手水?)という時間があり、その時以外はトイレに行けません。
 しかし、どうしても我慢できない場合は、貝箱の中に抹香
(まっこう)を入れて、その中にしなさい・・・と聞いています。
 ・・・・・・そんなことをする人は実際にはいないんですよ!
(持参した貝箱の臭いを嗅いで)これも、使ってないと思います。・・・・・こんなんゆうたら、罰(ばち)当たるわ。

【 本尊 】

 これが私の本尊
(ほんぞん)です。
 梵字が書かれています。これは宿所の席に置いてあって、お堂には持っていきません。

 

 

 

 右上写真は、参籠宿所の室内の写真。
 部屋割りについては、仏教(95)で。要は部屋は四つで一人部屋はない。四職が一人ずつ各部屋に入る。
 右写真では、右側が四職のスペースで、左側が平衆。

 なぜそう分かるか、というと右側のスペースの壁下部には右から食堂念珠の紙袋、上堂念珠の紙袋が下げてあるが、その左にもう一つ紙袋が下がってあり、その上から少し立派な念珠が掛かっている。
 それは、四職しか持てない水晶念珠である。

 なお、念珠のさらに下にあるのは紙手(こうで)といって、メモなどを入れておく状差しである。

【 その他 】

 師は巻物のようなものを出され、広げて見せてくださった。

 先ほどの牛玉箱には「二月堂牛玉 平成○○年 △△(その人の名前)」と大書され、朱印が押してある。
 その牛玉びらの部分を切り取り、つなぎ合わせて巻物のような形にしたものであった。

 そして、師はややしんみりした口調で話し始められた。

 これを見ると、自分がいつから参籠を始めたか、いつ参籠したか分かります。自分の歴史が分かります。

 私の師匠が亡くなった時、「あっ、確かこうゆうものがあった筈や」と思って探しましたら、ありました。
 師匠を荼毘
(だび)にふす時、一緒に荼毘にふしました。紙ですから、跡形も残りませんでした。
 ・・・・・・・実は貴重なものですから、こっそり写真だけは撮りましたが。

 私が亡くなる時も、これが一緒に荼毘にふされることでしょう。

 


 

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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