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(No117) 修二会講演会 聴講記 その1

 平成21年1月31日(土)に、毎年恒例の修二会講演会が学校行事であった。ご講演いただいたのは上司永照(かみつかさえいしょう)師。

 それを聴かせていただいたので、メモを残す。なお、前回の講演メモ守屋長老講演メモでもそうだったのだが、後の資料検索の便のため、予め整理した項目順に整理していきたい。

 当日は資料配布はあったが、レジュメは配られなかった。

 下記の「見出し」(【 】で表示)は、私が整理上勝手につけたものである。

 したがって、この講演を聴かれた方がもし私のメモを読むと「こんな順番で話してなかった!」と思われるかもしれないが、ご了解いただきたい。



 

【 1 はじめに 】

 こないだまで寒かったですが、ここ数日暖かいですねぇ。お水取りが終わったようです。もう、(お水取りを)やらんでええんちゃうか、思うくらい。

 先ほど16回とご紹介いただきましたが、多分18回参籠していると思います。昭和63年から22回の機会があって、そのうち18回。

 この講演、「初めて」という方、何人いらっしゃいますか?
(半分くらいは手を挙げたと思う。聴いている側のレベルがバラバラだから講演される先生の方も大変だろう)

 2月20日から参籠が始まります。別火
(べっか)という準備段階ですが。ですから、毎年、この講演をさせていただく頃は、正直言って、もうすぐ始まる別火のことで頭がいっぱいで、つい前行のことばかり話してしまって、本行のことは時間がなくなってしまうことが多いんです。

 今年は、私、参籠から外れましたので、比較的気持ちに余裕があります。ですから今年は、できるだけ本行のことをお話したいと思います。修二会
(しゅにえ)のおこりとか趣旨については受付でお配りしたパンフに書いてあるので、後で読んでください。

 よく参籠は大変でしょ?と聞かれるのですが、確かに楽なものではありません。しかし、修二会に参籠できるというのはとても嬉しいことなんです。これがあるから修行に耐えられると思うくらい。
 お水取りというと、「お松明」という印象がありますが、肝心なのは内陣での法要です。その時唱えるのが声明
(しょうみょう)。お経を節をつけて唱えるのですが、これが音楽的で、リズミカルで唱えていても楽しい。大変かもしれないが喜びもあるのです。



【 2 意義 】

 修二会って何、というと「さんげ」なんです。キリスト教などでよく知られた読み方ではざんげ(懺悔)ですが。正式には悔過
(けか)といいます。
 これは殺生、もちろん直接的に命を奪うという意味ではないですが、お米を食べるというのも米の命をいただいているということですから、それを感謝し、反省する。その反省というのは誰のためにするのか、というと人間に限らず、一切の生きとし生けるものすべてのためにするんです。
 ですから、しとかんと何か気持ち悪い。



【 3 歴史 】
【 (1) 起源 】
【 (2) 悔過 】
【 (3) 本尊 】


【 4 練行衆 】

【 (1) 発表と制限 】
 12月16日に参籠するメンバーが管長から発表されます。管長命令ですから逆らえません。でも事前に断ることはできるんです。それは例えば病気の場合です。体調の悪い者が参籠すると他のメンバーに迷惑がかかりますからね。

 あと、断るのではなく強制的に参加できない場合もあります。代表的なのは不幸事のあった場合です。親が亡くなったら1年間とか、祖父母は三ヶ月とか。
 師匠の死も1年だめですね。あと、精進料理ですからウサギなら3ヶ月、魚なら1日とかね。差別があるんです。

 事項と期間は服忌令
(ぶっきれい)というものに定めてあります。これは神道に由来したものです。仏教なのに・・・と思われるかもしれませんが、もともと日本の仏教は神仏習合など、神道に縁が深いのです。

 我々も毎日お祓いをしますし、別火は神官のお祓いで始まります。

 メンバーは11人発表されます。本尊が十一面観音だから・・・と説明する人がいますが誤りです。元々は20名以上だったのです。江戸時代の初めは26人ほどいたそうです。
 しかも、修二会は昔から二七日
(に・しちにち)といって14日間、2週間で、前半の上七日(じょうしちにち)と後半の下七日(げしちにち)に分かれるのですが、途中でメンバーを交代させていたようです。ですから総勢50人くらいだった時期があるのです。

 それが東大寺の疲弊に伴い、スケールダウンしていって江戸時代中期には14人、明治の初めには12人。それが明治の中ごろに11人になって現在に至っているようです。
 これは、いわば野球を8人でやっているようなものだと思います。外野が2人とか、ファースト、セカンド、サードはいてるけどショートはいてないとか。
 もっともこれを12人に戻す考えはいまの東大寺にはないと思います。

 文化庁の考え方がとにかく「現状維持」が大原則なんです。
 ですから、例えば大仏に創建当時のような鍍金をしたい・・・と言ったら経費や工事ももちろん大変ですが、何より現状変更の手続をすることが大変でしょう。
 極端な話、境内にできた水たまり、タイヤなんかでえぐれた所に砂を埋めるというだけでも現状変更の書類を出さなければならないのです。

 二月堂などは国宝指定されていますが、これらは行事を含めての指定だと考えています。ですから、行事の内容を変えるなんてことは「いやあ、そんな煩わしいことは・・・」というのが本音だと思います。

 
【 (2) 分担 】
【 ア 四職 】
【 (ア) 和上 】

 11人のうち、4人が管理職で、7人が平
(ひら)です。
 管理職4人を四職
(ししき)といいます。
 四職の1番目が和上
(わじょう)です。会社でいえば、会長というところでしょうか。名誉職的要素が大きいので名誉会長かもしれません。

 和上の一番大きな役目は、本行の最初に戒を授ける、授戒(じゅかい)ということです。
 我々は和上から戒を授かるのですが、和上自身はどうするのでしょう?
 和上は長老格ですから、様々な能力を持っておられます。ですから和上は自分で観音から戒を授かるのです。これを自誓授戒
(じせいじゅかい)といいます。

 授戒は食堂(じきどう)で行います。
 修二会の行事は民俗行事的側面と舞台芸能的側面があり、マニアというか、はまってしまう方もけっこういます。
 そうゆうマニアの方が、食堂の周りに集まって聴いておられるんですねぇ。
 夜中の1時頃ですし、灯りは小さな松明だけですから、中は見えないと思います。でも、多分和上が「〜〜保つや?」と問われ、我々が「よく保つ、保つ」と答える声は聞こえると思います。

 最初に一度授戒すればそれでいい筈なんですが、実は8日にも授戒をします。これはおそらく、昔上七日、下七日で人が交代していた時代、下七日の初日に来た新たな人に授戒していた名残だと思います。

【 (イ) 大導師 】

 大導師
(だいどうし)はリーダーです。寺なら執事長、会社なら社長です。
 野球でゆうなら、単なる監督でなくプレイング・マネージャー。4番で監督兼任といったところでしょう。
 他の練行衆の数倍の仕事があると思います。

【 (ウ) 咒師 】

 咒師(しゅし)は呪術的、密教的側面を担当します。道場を結界するのが主な仕事です。
 28日は大中臣祓
(おおなかとみのはらい)が行われます。中臣祓は個々で毎日やるのですが、それの大規模なもの。
 紙衣
(かみこ)の上に湯屋小袖(ゆやこそで)を羽織ります。袈裟は、今私がしているような金ぴかなものじゃなくて、真っ黒な袈裟。
 そして細殿
(ほそどの)のとこで、つくぼってる(しゃがんでる)と咒師がおまじないをしてくれる。

 普段我々坊さんは袈裟を左肩から右脇へかけるのですが、その時、咒師は袈裟を左肩から外し、右肩に掛け直すのです。

 この袈裟を替えるというのはどういうことか、と言うと、その時、僧侶でなくなって別の者になるんです。僧侶から神官に変わるんですね。簡単な変身方法ですが。

 ここでいう袈裟は、服のような袈裟ではなく、細い帯状の、駅伝の時の襷(たすき)のようなものを指すのだと思う。
 普段は、左肩から右脇へ斜めに掛けるるのだが、いったん首から外し、右肩から右脇へ真っ直ぐ下に掛けるということ。

 なお、ここのブログの写真で、咒師の右肩に黒い紐のようなものが掛かっているのが見える。これが掛け直された袈裟だろう。

 私ら、トイレに行く時は袈裟を外すんですよ。でも、そういうことは、坊さんはトイレに行ったらいけないんでしょうか?

 主催者の方にお礼言わないといかんのですが、先ほど美味しいパンをいただきました。サンドイッチやったんですが、卵とかハムが入っていると、ちょっと袈裟を外す。
 まあ、坊さんは精進料理食べることになってますからねぇ。私は、本来、僧侶というものは出されたものは何でも食べるのがほんまだと思います。
 ただ、日本は中国から来た仏教の影響で、精進でないものを食べる時には、少し坊さんを離れることになっています。

 戒律
(かいりつ)というのは、違反しても罰則はないんです。私らだと重大な戒律違反は、僧籍追放・・・とかあるかも知れませんが、本来罰則はない。そうしたら破ったらどうするんか、とゆうと懺悔(さんげ)して、やり直す。
  戒律というのは古代インドの「シーラ」という言葉を訳したもので、「
(良き)習慣」といった意味です。破ったら反省する。
 例えば、学校で先生に大きな声で元気に挨拶すると気分がいい。これは良い習慣ですね。
 ところがある日、家でおもしろくない事があって、何となく上の空で、先生に挨拶せずに通り過ぎてしまった。厳しい学校なら、それで立たされるとか罰則があるかもしれませんが、うちの学校ではそうゆうことはない。だから、後は、その良き習慣を破ってしまったこと、挨拶を忘れたことを気持ち悪いと感じるか、どうかということなんです。
 その時は懺悔する。そうした懺悔の集大成がお水取りなんです。

【 (エ) 堂司】

 堂司
(どうつかさ)は進行役です。舞台監督・・・といったらよいのでしょうか?
 外部との折衝役は堂司です。例えば参詣客や報道関係との折衝は堂司の役割です。非常に煩瑣な役目です。


【 イ 平衆 】

 平衆
(ひらしゅう)は7人です。

 二月堂の中は北座
(きたざ)南座(なんざ)に分かれます。

 北側に位置するのが北座衆。南側に位置するのが南座衆。昔はこの両者の間に厳然たる差別がありました。
 北座衆は学侶
(がくりょ)といって学問をする僧でエリート階級。
 南座衆は堂衆(どうしゅう)とか堂僧(どうそう)といって、堂を守る役で、いわば実務者でした。そして堂衆よりも学侶が上とされていたのです。
 昔は、どの役は学侶でないとなれないなどと決まっていました。

 お松明が振られる欄干に対して向って左に階段があります。参籠宿所や食堂からその歩廊を上がって行って、お堂に入ります。

 お堂に入る、上堂する時の入り口を出仕口といいますが、昔は南北に分かれて入っていました。

 昔は20数名もいたので、一つの入り口から入ると時間がかかったのでしょう。

 エリートである学侶は、階段をあがってすぐの北出仕口からすっ!と入れたのですが、堂衆は堂の西側にあたる、今、お松明が振られる欄干のところをぐるっと回って南出仕口から入らねばなりませんでした。

 

 どの役は昔学侶しかなれなかった・・・等は仏教(97)の4−(2)「練行衆の分担」参照。

 出仕口の場所は右下略図参照。
 なお、右上の周辺略図も、右下の二月堂平面図も、左側が北。


 

 


 

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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