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(No116) 大阪市立美術館 国宝三井寺展 鑑賞記

 平成20年11月29日(土)に、智証大師帰朝1150年 特別展 国宝三井寺展の記念講演会を聴きに行き、その時にこの特別展を鑑賞したので簡単にメモを残しておく。



 JR天王寺駅のみどりの窓口で(当日だけど)前売り券の値段で買えた。この手の割引は、奈良国立博物館では近鉄奈良駅の近鉄営業所、京都国立博物館では京阪七条駅から坂を上がり始めてすぐのタバコ屋さんでもやっているので利用しない手はないと思う。

 右写真はチケット。

 展覧会場は2階からのスタートであった。

 だいぶ記憶が薄れているが、見学ルートを再現していきたい。



第一章 智証大師円珍

一 肖像と伝記
ニ 出自と僧歴
三 入唐の足跡
四 求法の成果と教学
五 天台座主円珍

 

 最初の方は書が多く、はっきり言って地味。

23 国宝 円珍俗性系図

 景行天皇から円珍に至る「堅(たて)系図」と呼ばれる、やたら縦に長い系図。

 その他、いろいろな記録文書やら持ち帰った経典の目録やら円珍の手記、手紙類などなど。
 その多くが国宝に指定されている。


第ニ章 円珍ゆかりの仏たち

一 円珍ゆかりの神仏
ニ 円珍請来図像とその展開

 この第二章で印象に残るとゆうと、会場入ってすぐのところに聳え立つ(高さ約160cmと大きい)
65 重文 護法善神立像

と、赤ん坊を抱いている
66 重文 訶梨帝母倚像

の二点だろうか。
 前者は全体が白っぽく、表情などは乏しい。
 後者は彩色は赤、茶色など派手さはないが、着物の截金のような文様など細部は凝っており、表情も柔らかである。

 あと、ここでは
97 国宝 伝船中湧現観音像

99 国宝 善女龍王像
が有名なのだろうが、折悪しく展示替えで観ることは出来なかった。
 
しかし、97については、奈良博で以前に観た時のやたら華麗な截金文様が忘れられないのである。 

第三章 不死鳥の寺の歴史と遺宝

一 歴史と門跡
ニ 絵画
三 彫刻
四 工芸


 ここでは、曼荼羅が数多く展示されていた。仏教絵画ゼミナールを受講していた頃なら欣喜雀躍していたことであろうが、今では知識もうろ覚えとなっており、どっちが金剛界曼荼羅で、どっちが胎蔵曼荼羅やったっけ?とか、不動明王の横の子供は矜羯羅(こんがら)童子と制多迦(せいたか)童子なのだが、どっちが「ええもん」やったっけ?などと悩む体(てい)たらくである。

139 大威徳明王像

 
私は牛にまたがり足が六本ある大威徳明王が好きなのだが、この図像では蔵王権現よろしく、牛の背に立ち片足を(・・・といっても、3本ずつ計6本あるので、3本上げてることになるのだが)上げている。
 こうゆうのを「走り大威徳明王」とゆうのだと以前大阪市立天王寺美術館の石川先生に教えていただいた。 
 
さらにこの絵では明王の四方に獅子や虎などにまたがる童子が描かれている。やたら威勢がよいのだが、揃いも揃ってどこへ急いでいるのだろう?って気がする。

159 不動明王坐像

 最新の調査で平安時代(9C)に遡る制作で日本最古級であることが判明したそうである。

 チラシには「重文級」と書いてあった。

 

 

第四章 信仰の広がり

一 肖像と伝記
ニ 出自と僧歴
三 入唐の足跡
四 求法の成果と教学
五 天台座主円珍

 


 1階へ降りる。

秘仏開扉 

 入ってすぐ左は

1 国宝 智証大師坐像(御骨大師)

 
像内に円珍の遺骨がおさめられていると伝えられているので別名御骨大師と呼ぶそうだ。

 この写真は、毎日新聞の特集記事に掲載されていた写真。

 女性が眺めているのが、この御骨大師。
 で、女性の後ろ、展覧ケースの中の坐像が

2 国宝 智証大師坐像(中尊大師)

 である。

 

 頭のてっぺんが卵型で尖っているが、これが円珍の大きな特徴らしい。

 右写真は展示会チラシに掲載された正面からの画像。

 会場では、独立した展示ケース(壁付きではなく、いわゆる「行灯」)に入っていたので後ろにまわることができた。

 左の絵は情けない表情の白覆面の男ではない。
 ケースの後ろに回って観た、御骨大師の後ろ頭だと思ってほしい。 

 ちょうど「ぼんのくぼ」とゆうのだろうか、両脇のところにシワのような切れ目があった。
 これが木材の自然なキズなのか、あえてノミか何かで刻んだのかは分からない。しかし、いずれにせよ、実際に少しシワが寄ったりする部分に左右ほぼ均等にあるので、やたらリアルな感じであった。

 これについては、私がぐんままさんのブログに感想を書いた時、ぐんままさんも「そうそう。pupuちゃんとチェック済。ぼんのくぼの両側のしわっぽいやつですよね? これは作ったのか、傷付いたのか、どっちかな?と言ってました。」と書かれていた。
 観てるとこは一緒だなぁと感心したのであった。


 2の中尊大師については、自然で写実的で穏やかな御骨大師の表情に比べると、かなり様式化され冷たい印象を受ける。

 

 



 入って右側の壁に吊り下げられていたのが、

3 国宝 不動明王像(黄不動尊)
である。

 チラシの裏面の黄不動尊の紹介記事では、写真はシルエットのみであり、「お姿の掲載さえ限られる秘仏中の秘仏」と書かれている。

 この画像が掲載されているだけで本展示会の図録は価値があろう。

 本図は、秘仏として公開が制限されていたせいか、平安時代(9世紀)の作品とは思えないほど色彩がきれいに残っている。と言っても、決して毒々しいような派手な色ではない。

 輪郭は赤の描線なのだが、この線がやたらシャープである。線は別に太くはないが、とてもクリアな力強い線である。
 全体的に若々しいというか、非常に現代的なセンスが感じられる絵画であった。

 左は毎日新聞の特集記事に掲載されていた写真で、

6 重文 不動明王立像(黄不動尊)
である。

 これは、3の画像の黄不動尊を模刻したものと伝えられる。

 つまり2−Dの黄不動を3−D化したもの。

 これまた秘仏として厳重に保管されてきたせいか、やたら彩色がきれいに残っている。
 つまり、腕の金泥などもびっくりするぐらい残っているのだが、そのせいか私には、この仏像がどうしても木製の質感に見えなかった。
 どう見えたかズバリゆうと・・・・・・マネキンである。

 剣を持っている右の前腕部の金泥が少し剥げている。
 それが、ますます「日焼けしている」てなイメージで茶色く塗料が塗られたマネキンの腕がどこかに擦れて、地の色が一部見えてしまった・・・・・という感じに思えて仕方ないのである。

 

 

 


 

 これは毎日新聞に出ていた写真。いかにもありがち・・・な写真ではある。

 手のしわとしわを合わせて・・・・南無ぅ〜なんてCM音楽が聞こえてきそうな感じ。

 

 

 これはチラシ掲載の写真。

7 重文 如意輪観音坐像 

 

 これは毎日新聞掲載の写真。 

 結論はただ一言・・・・・・飾り物派手過ぎ。

 これも後ろに回ることができた。
 ぽってりしたふくよかな肩で、「お疲れさんでした。いつも衆生の悩みをきかれて大変でしょう」とマッサージでもしてあげたくなるような肩だった。

 それと・・・・「その冠、首こらないですか?」とも訊きたい。

 

 

5 国宝 五部心観

 円珍が唐から持ち帰った密教図像集。 

 


第六章 フェロノサの愛した三井寺

のコーナーに引き続いて、

第五章 観学院障壁画と狩野光信

 

 上写真はチラシ掲載の

224 重文 観学院客殿障壁画 四季花木図

 桃山時代(16世紀)で狩野光信の作である。

 今回のメインは、昔はろうそくの光で鑑賞された・・・ということで通常の照明と、ろうそくの光を模した照明の二種類を7分サイクルぐらいで繰り返す・・・・という試み。

 私は、最初、ろうそくの光・・・・というのを「ごくわずかな光量」という意味と誤解しており、今観ている照明がそのまま暗くなったり、明るくなったりするのだと思い込んでいた。

 で、絵の前でその変化を確かめようと、ぼ〜っと立っていたのだが、どうも変化が無い。う〜ん、気付かないくらいの微妙な変化なのかなあ?などと思いながら、別のところを観に行って、また戻ってみた。 


 

 上写真は毎日新聞掲載のもの。照明の色そのものが違うのだ。

 黄色味を帯びた照明だと、金箔がより「金!」って感じになり、やはり冷たさを感じる蛍光色の照明で観るよりは遥かに味わいが感じられた。

 その前、変化が分からなかったのはぼ〜っと待ってると7分てのは長い時間なんで変化するまで待ちきれなかったのであろう。


 

 
 あと、
177 騎獅文殊菩薩懸仏(きしもんじゅぼさつかけぼとけ)

 も、おもしろかった。

 懸仏というのは、図録の解説によると「御正体(みしょうたい)ともいい、寺社の建築の軒下や厨子の上部に懸けている仏像」とのことである。
 本品は、丸い木の板で、下の方に小さな板が打ち付けてあり、そこの中央に蓮華座を背中に乗せた獅子が、その両脇に花瓶が置いてある。

 しかし残念なことに、肝心の獅子に乗ってる筈の本尊の文殊さんが亡失してるのだ。

 一応、展示品の横の解説文にも書いてあるのだが、なかなか気付きにくいだろうし、私自身も実をいうと最初「菩薩さんはどこや?」と探したのだ。

 ところが、もっと本格的なおばさんがいた。「あら・・・・・?ぼ、菩薩さんは・・・・・どこやろか・・・・・・・」と、上から眺め下ろしたり、下から見上げたり、横に回って覗き込んだり、なかなか捜索活動をやめようとしない。

 私は思わず、その人の耳元で「この菩薩さんはね、正直者とか信心深い者にしか見えないんですよ。あれ?まさか、お宅、ご覧になれてない・・・・・・・と?」なんて言いたくなった。

 


 


 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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