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(No114) 奈良国立博物館 国宝法隆寺金堂展記念講演会 立松和平氏「金堂は生きている」聴講記

 平成20年7月5日(日)に、特別展 国宝法隆寺金堂展の記念講演会として作家立松和平氏による「金堂は生きている」と題した記念講演会があった。
 抽選に当たったので聴いてきた。聴講記をご紹介したい。なお、不十分なメモなので『法隆寺の智慧 永平寺の心』(著:立松和平。新潮新書)やネットで適宜補足したい。

 なお、各章のタイトルは私(石野陽虎)が勝手につけたもの。 



1 法隆寺金堂修正会

 私も会場を観てきましたが、百済観音以外は暗い金堂の、しかも金網の中ですからね。こんなに近くで観ることができるのは幸せです。

 法隆寺でも今回公開の四天王などは金堂内だが、百済観音は大宝蔵院という公開施設に安置されているので、明るい場所に置かれている。

 この13年間ほど、正月になると法隆寺で修行をさせてもらっています。承仕(じょうじ)といって、僧侶のアシスタントにすぎないんですが。

 寺務所で寝泊りするのですが5時起床です。
 仏供
(ぶっく)といって、干し柿とか餅などのお供えを持って金堂に行きます。
 金堂の一番手前にまず多聞天がおられますので、礼拝してお灯明をあげます。灯明皿の菜種油には灯心草というものが入っています。

 私、最初は伊勢神宮などでは聖なる火ということで毎回、枇杷
(びわ)の木をこすり合わせて火を起こす・・・・なんてこと聞いてましたから、天下の法隆寺ではどうやって火をつけるのだろうと思ってました。
 ところが・・・・・・・・チャッカマンでした。これは、よそでは言うなと言われてるんですが。正直、「何だ、うちの寄せ鍋と同じだ」と思いました。仏教はその辺、あまりこだわりがないんです。

 最初にあげたお灯明からほかの灯明に移す時は火縄といって紙に蝋を浸したものを使います。

 真っ暗い中でお灯明をあげていきますと、示現されたというか、たった今、そこにその仏様が現れたような気持になります。功徳というか、そこが浄土になっていく感じがします。

 やがて、般若心経を唱えながら僧侶の方々が来られます。

 私が参加させていただいてるのは、修正会(しゅしょうえ)といいます。この修正会で行うのは吉祥悔過(きちじょうけか)です。悔過というのは懺悔のことですね。

 仏弟子にとっては、戒律を破るのが罪です。代表的な罪を十悪といいます。殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご。嘘)、綺語(きご。戯言、中傷)、悪口(あっく。粗暴な罵言)、両舌(りょうぜつ。二枚舌)、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい。憎しみ害する心)、愚癡(ぐち。誤った見解)

 十悪については、新書を参考にした。私のメモでは「ばっく」とか「ぎょうれつ」、「しんいん」となっていた。

 しかし、この十悪を犯さずに生きていけるでしょうか。殺生は無理ですよね。私、ここに来る途中、新幹線の中で800円の鶏飯弁当を食べました。人間は食物連鎖の中で生きています。食物連鎖というのは、強い者が弱い者を食べるということです。

 私、知床で毘沙門天を祀った関係でよく行くのですが、豊かな海です。1日にカラフトマスや鮭が15000匹くらい獲れるんです。でも、それは15000の死ってことですね。

 妄語。嘘をつくなってことですが、「私は今まで一度も嘘をついたことがない」・・・・・・って言ったらそれが嘘ですしね。


 昔の僧侶は、戒律を守ってるかチェックし合ったそうです。比丘と比丘尼
(びくに)が集まって、戒律ごとにこれを犯した者はいるかと問われて、告白しなければならなかった。
 自分で申し出るだけでなく、「○○さんは、△△を破っていた」ということも言ったそうですが、これは密告ではなく慈悲の心でその人を救うためなんだそうです。

 戒律を破っても懺悔すれば仏によって摂受
(しょうじゅ。教化するため、相手を受け入れ導く)され、無罪総懺悔(むざいそうざんげ。懺悔により罪のない状態になること)になるのです。

 仏教は色即是空、因縁果。すべては移ろっていくと考えます。柔軟なんですね。

 この辺も新書で補足。メモでは「しょうじ」とか、ひらがなで「むざいそうざんげ」としか書けなかった。用語の説明はなかった。
 この儀式は、昔のインドで「釈迦を中心に仏教教団が形成されていた時代」に「布薩(ウポーサッタ)」という名で「半月ごとにおこなわれた」そうである。

 また、新書では「仏教とは人間の性善説なのである。因(原因)と縁(条件)によってどのようにでも変わるが、懺悔によって〜果(結果)はどのようにも変わって現れる。もし因縁が悪くて悪業を積んでしまっても、懺悔して心を変えれば、人はどのようにでもかわることができるという。これはまことに柔軟な考え方である」とある。


 アングリマーラという有名な仏教説話があります。
 アングリマーラというのは元々学者だったのですが、師匠の妻に誘惑されました。しかし真面目な彼がそれを拒絶したところ、妻は逆恨みで彼に乱暴されたと夫、つまり彼の師匠に告げたのです。
 師匠は激怒し、彼に1000人の親指を集めたら許すと言いました。アングリマーラは大量殺人鬼に変わりましたが、1000人目が釈迦だったのです。
 アングリマーラは許され、仏弟子になりました。因縁を変えたら果も変わります。懺悔すれば結果は変わるのです。

 有名な説話とのことだったが、私は知らなかった。
 アングリマーラについては、ここここで。
 1000人目の満願の相手に敗れて仕えるというのは、何か弁慶の刀の話と似ている。


 法隆寺金堂修正会は滅罪の儀式ですが、それは僧侶個人の懺悔ではなく、世間全体に代わって懺悔しているのです。

 吉祥天は多聞天の后です。
 修正会は768年に画像を本尊として始まり、平安時代、1078年から仏像を本尊としました。

 修正会は、768年以来、脈々と受け継がれています。宝亀2年(771)に2年間だけ中断されたと『続日本紀』に記載されていますが、それから1239回、法灯が守り続けられています。
 修正会として日本で最も古いものの一つです。朝廷の命令で始められたのですが、今日でも続けられているのは法隆寺と薬師寺くらいでしょうか。

 新書では「法隆寺吉祥悔過は〜768(神護景雲2)年から〜当初は講堂で吉祥天と毘沙門天の画像を本尊として営まれた。続日本紀によると、771(宝亀2)年正月に停止され、翌年11月に復活されたとある。2年間の中断をはさんで、1078(承暦2)年には吉祥天と毘沙門天が造顕され、翌年から金堂で行われるようになり〜今日まで厳修しつづけているのは、私の知るかぎり法隆寺だけなのである」とある。


 修正会は聖徳太子をおまつりしている所で半鐘を叩くことから始まります。
 1月7日の夜から8日の朝にかけ、開白導師の声明で作法が始まる。

 椿の葉をまき散らしながら真言を唱える場もあります。薬師如来の浄土を瑠璃光浄土というのですが「るりこんせん〜」といったりするのです。私はうまく言えませんが。

 吉祥天に帰依しますという真言を唱えます。
 そのうち「地味増長 五穀成就 万民富楽 天下安穏
(じみぞうちょう ごこくじょうじゅ ばんみんぶらく てんげあんのん)」という文句が人々が願う祈りの基本だと思います。
 私は日頃から日本の農業を大事にしようと主張しているのですが、地味増長 五穀成就、地が肥え、より農産物がみのるようにと、法隆寺は人びとの平和を祈り続けているのです。

 日本人は、寺院を美術館と間違えている人が多いのですが、寺院では祈りが受け継がれているのです。


2 知床毘沙門堂

 私は知床毘沙門堂をひらきました。来年で15周年を迎えます。
 地元の人に神社をつくってくれと言われたのです。その人に「私は僧侶でもないし、神社の関係者でもない。それなのになぜ私に頼んだの?」と訊いたら「何となくかなえてくれそうな気がしたから」と言われました。

 福島泰樹という歌人が法華宗の法昌寺という寺の住職をしています。彼に相談したら「神社じゃなく寺にしろ。うちの寺で分祀してやる」と言われました。
 手作りの毘沙門堂です。
 このことを法隆寺の僧侶に言うとたいそう誉められました。京都からみたら知床は北東にあたる。つまり、丑寅の方角、鬼門だと。
 京都の近くで鬼門、北東にあるのが比叡山延暦寺です。
 江戸の鬼門を守るのが上野寛永寺。上野の不忍池は琵琶湖、弁天堂は竹生島に対応しているのです。

「あなたのひらかれる毘沙門天は、日本で一番新しい毘沙門天。そして、今ご覧になっている多聞天は、日本で一番古い多聞天です」と。
 毘沙門天と多聞天は同じです。ビシャモンというのは音訳です。 

 知床では聖徳太子もお祀りしています。観音殿、観音さまのお堂もつくりました。
 法隆寺の管長が観音を譲ってくれるとおっしゃいました。私は百済観音は大きいから結構ですよ、と遠慮しました。・・・・・・・・・冗談ですよ。
 ああゆうものは「お身代わり」ですから、何でもいいんです。元々神社を造ってくれといわれたこともあって、鳥居もつくったんです。ごつごつっとした無骨な鳥居ですけどね。

 観音さまは、あなたの望む姿で現れるといわれます。毘沙門天を祀ればその姿で現れるのです。

 また、法隆寺では聖徳太子は観音の化身といわれ、上宮化身観世音菩薩という呼び方もします。

 知床にはずっと法隆寺の管長も来ていただいておりますし、中宮寺の門跡も、相国寺も、永観堂も聖護院も清水寺からも皆さんが来てくれるんです。こんなことは珍しいようなんです。
 お金がないから飛行機代も出さないのに。

 菅原文太さんも来てくれるんです。その時は村のみんなが携帯の着メロを「仁義なき戦い」にするんですよ。文太さんは、それはやめてくれとおっしゃってましたけど。

 ここの文章は立松氏が知床毘沙門堂開堂10周年に寄せた文章のようで、毘沙門堂が東京下谷七福神の毘沙門天を分祀されたこと、法隆寺の聖徳太子御壮年像を本尊としていることなどが書かれている。
 ここの文章も同じ。上の文章では福島春樹となっているが、この文章では「泰樹」となっており、おそらくこちらの方が正しいのだろう。

 毘沙門堂の例大祭に関する写真は例えばここで。

 


3 聖徳太子

 聖徳太子は十七条憲法を定め、日本の国としてのイメージを最初につくった人だと思います。
 仏教をベースにしよう、「救世」
(くぜ)、菩薩の国にしようと考えました。

 太子が請来し、推古天皇に講義した『勝鬘経』
(しょうまんきょう)では十大誓願(じゅうだいせいがん)という言葉が出てきます。
 『勝鬘経』とは勝鬘夫人
(しょうまんぶにん)という女性在家信者が宗教心を告白する経典です。

 十大誓願については「私の意訳ですが・・・」と前置きして紹介していただいたが、メモしきれなかった。
 「ししょうじ」という単語も耳にしたが、漢字はわからなかったので新書で全体的に補足する。

十大誓願
1.これから後、私は、戒めを破るような心は決して起こしません。
2. 〃 不敬の心を決して起こしません。
3. 〃 人々を怒ったり害したりする心を決して起こしません。
4. 〃 他人の幸福や成功を羨む心を決して起こしません。
5. 〃 物惜しみをする心を決して起こしません。
6、 〃 自分自身の享楽のために財産を蓄えることはせず、その代わり貧しさや孤独に苦しむ人のためには財産を蓄えます。
7. 〃 布施(真理を示し人に施す)、愛語(やさしい言葉をかける)、利行(りぎょう。身体で行い、口で言い、意(こころ)で思う三つの善行を積む)、同事(どうじ。人々と同じ仕事に励む)の四つ(これを四摂事=「ししょうじ」という)で人々の役に立ちます。
8. 〃 身寄りのないもの、貧しきものら、あらゆる苦しみにあうものと出会ったならば、必ず彼らを助け、あらゆる財産をなげうちます。
9. 〃 仏の教えをないがしろにするものを見たならば、こらしめるべきは折伏(しゃくぶく。説法等で信者にすること)し、救うべきは摂受(しょうじゅ)し、世間に正法(しょうぼう。真実の教え)をあらしめます。
10. 〃 真実の教えを身につけることを忘れません。これを忘れることは大乗の教えを忘れることで、ひいては波羅密(はらみつ。究極的な智慧の完成)を忘れることであり、大罪人となります。

 太子が著したとされる『三経義疏(さんきょうぎしょ)は、『勝鬘経』のほか、『維摩経』(ゆいまきょう)と『法華経』(ほっけきょう)の解説も含まれています。
 『維摩経』は維摩居士という在家の賢者が出てきます。
 『法華経』で有名なのは白い蓮華の教えでしょう。
 蓮の花は、泥の中に生えますが、泥にまみれず白い綺麗な花を咲かせます。

 聖徳太子は一生在家でした。太子の願いはまだ果たされていません。

 今日、ここに集われた皆さんも蓮の華だと思います。

 イベント案内では「1:30〜3:00」とあった。
 しかし、2時20分くらいから「もう時間がない」と言い出しているので「え?」と思っていたのだが、2時30分過ぎに何か唐突な感じで講演は終り、立松氏はそのまま引っ込んでしまった。

 私としては、法隆寺修正会が日本最古、最長とおっしゃったが東大寺修二会の方が(正月と二月の違いはあるが)古いし、中断もないのでは?と質問したかったが、それも叶わなかった。

 レジュメとかはなかった。今回の法隆寺金堂展の図録に関連資料が載っているとのことだったが、全員が持っているわけでなし、私もたまたま新潮新書を持っていたのでよかったが、そうでないと理解しにくかっただろうなと感じた。 

 

 

 
 


 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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