移動メニューにジャンプ

(No110) 上司永照師 講話 聴講記 その1

 PTA行事の折の講話の聴講記です。 




 今日は実は筋肉痛で体がパンパンでして。昨日は一年で一番しんどい日なんです。三界三千仏に懺悔、仏教では「さんげ」と申しますが、五体投地で懺悔をするのです。頭をつけますので、ここ(額)にあざが出来てますでしょ?
 もっとも、最近では3年に分けて懺悔するようになりましたので、過去、現在、未来ということで昨日は「過去」の千仏に懺悔しました。8時半から昼過ぎまでかかります。これはきつい。
 私、高校時代、野球部のエースでして、国体にも出ました。みんなと一緒に練習メニューを最後までこなした後に、「左打者インコースの低めのストライクコースに100球投げろ」って言われるんです。結局400球くらい投げなきゃいけない。しかし・・・・・・その練習よりしんどい。

 東大寺といえば南大門が有名ですが、北の方に転害門
(てがいもん)があります。その側のつさか小学校(※ 石野注 「つさか」と聞こえたが、どうも「鼓阪小学校」で「つざか」と読むようだ)が私の母校なんですが、転害門で、名前呼んで屋根の所でボールを投げて、その人が捕るって遊びあるでしょ?(※ 石野注 私の子供時代は「死刑」と呼んでいた。捕り損ないが3回とか5回になると、壁際に立たされ、他の者が離れた所からボールをぶつけるという罰ゲームをしていた)それをやっていて、えらい怒られました。国宝を壊すつもりか、と。もう時効だと思うから言いますけど南大門でもやりました。私、昔から野球部やったから屋根の上までボールが届くのが自慢でね。

 罰(ばち)とよく言いますが、仏教では罰というものはないのです。出家者にはあるが、在家の方にはない。戒律というのはあります。シーラというのは、いわば習慣です。決まりごとが崩れたら気持ちが悪い。これが戒律です。

六波羅蜜
奉仕の日 布施 みんなに喜ばれる事をしましょう
実行の日 持戒 約束ときまりを守りましょう
笑顔の日 忍辱 いつもニコニコ仲よくしましょう
努力の日 精進 何ごとも必ずやりとげましょう
反省の日 禅定 おちついて考えましょう
工夫の日 智慧 おかげとご恩にめざめましょう
感謝の日 念佛 み仏と共に明るく正しく暮らしましょう


  波羅密というのはサンスクリット語でパラミータ。真理ということです。多分、この資料は浄土宗か浄土真宗の方がお使いになっていたものと思います。日曜に念仏と書いてありますのでね。

 水曜日は忍辱
(にんにく)の日とありますが、それが笑顔の日とあります。これが深い。辱めを耐え忍ぶのも笑顔でなければならない。
 人格形成は他者とのコミュケーションで成長します。人間は価値観が違う者と出会うと拒否反応が出やすいものです。
 養老孟司
(ようろうたけし)さんの講演を先日聴いたんですが、教養を「他人の心がわかること」と定義しておられました。
 
 仏教の真理を理解しようとしても、いきなり立派なことを学んでも理解できません。そこで、「方便」、つまり準備段階というものが出てきます。正しい生活に向かう手立てを方便と呼ぶのです。布施は、そうした準備段階なんです。
 先ほど私は、お茶を出していただいて「ありがとうございます」と言いましたが、布施させていただいてありがとうございます・・・なんです。差し出す方もへりくだるんです。いい生き方につながるから、ありがとうございます、なんです。

布施(財施、法施、無畏施)
無財の七施:『雑宝蔵経』 (1)眼施(げんせ)、(2)和顔悦色施(わげんえっしきせ)、(3)言辞施(ごんじせ)、(4)身施(しんせ)、(5)心施(しんせ)、(6)床座施(しょうざせ)、(7)房舎施(ぼうしゃせ)
不純な七施:『倶舎論』 (1)随至施(ずいしせ)、(2)怖畏施(ふいせ)、(3)報恩施(ほうおんせ)、(4)求報施(ぐほうせ)、(5)習先施(しゅうせんせ)、(6)希天施(きてんせ)、(7)要名施(ようみょうせ)


 財施というのは、お金を布施することです。法施の法とはダルマ、真理とか智恵ということです。無畏施とは畏れないことです。真理が理解できると怖くなくなります。幽霊の正体見たり、枯れ尾花という歌があります。でも、真理がわかっていないと枯れススキが幽霊に思えて怖くなります。枯れ尾花と真理が判明すると怖くありません。

 しかし、金もない、物事の本質を教えることもできない、真理も知らない。そんな私ども庶民はどうしたら良いのでしょうか。
 その場合、ちゃんと無財の七施というものがあります。
 眼施、ちゃんと視ることです。科学者茂木健一郎という方のお話を聴いたんですが、成長して不良になる子供には共通項があるそうですな。それは何か、と言うと子供の時に逃げ場、安全地帯のない子は不良になるそうです。

 少し前に流行った言葉でコンピュータ脳というのがありますね。あれは何も根拠がないそうなんですが、コンピュータゲームばっかりやってると遇有性がなくなる傾向があるそうです。
 遇有性というと難しく聞こえますが、要は自分でルールを作る力のことです。RPGでは、すべて最初からルールも、たどるストーリーも決まってしまっていますね。しかし、子供どうしで遊んでいると、例えば野球をやっていて人数が足りなければ透明ランナーとかをつくります。こうゆうことがドーパミンを出すようなんですね。
 先ほどの安全地帯に話を戻すと、目が合うことが安全基地なんだそうです。目を合わせてしっかり叱られた経験がないと不良になりやすいそうです。
 和顔施とゆうぐらいですから無表情ではダメなんですね。
 言辞施ですから、ていねいな言葉を使う。私のように貧相な語彙ではダメなんです。
 身施は身のこなし。同じ謝るのでも池乃めだかみたいに「ごめんなさい!」とゆうのではダメなんですね。え?わかりませんか?
(※ 石野注 吉本新喜劇で背が小さい、猫の物真似などで有名な池乃めだかという俳優は、失礼なことを言って周りから「謝れ」と言われ、しぶしぶ謝るのだが、口では「ごめんなさい」というものの思い切り不貞腐れた態度で謝るというギャグがあり、上司先生はそれを言っている)
 床座施というのは、まあゆうたら席を譲ってあげることです。席を譲ってあげても、「いや、結構です」て断る人いてますよね。あれは、どうでしょうか。譲られて「ありがとう」とゆうて相手をええ気分にしたることもええことなんです。
 房舎施というのは、旅人を泊めてやることなんですが、これは今は難しいですね。まあ、気持ちのいいもてなしをすること、くらいに考えていたらいいかな、と思います。

 一方、布施でもこんな布施はいかんという例もあります。

 随至施というのは、しつこく乞われて仕方なくやる布施です。
 怖畏施というのは、応じなければ怖いからする布施です。
 報恩施といって、恩返しのための布施もダメなんですね。
 求報施といって、この布施をしといたら・・・・と返礼を期待する布施もダメです。
 習先施といって、習慣とか先例でやる布施もダメです。
 希天施というのは、極楽往生を望んでする布施のことです。
 要名施とは、名前を揚げてもらうためにする布施のことをいいます。

 

 
 


 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system