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(No108)−4 第26回東大寺現代仏教講演会「真如親王 〜平安時代の大仏修復と天竺への旅〜」聴講記 その4 

 2007年10月20日に開催された講演会の聴講記。

 後半は、西山厚奈良国立博物館教育室長の講演・・・・の続きで完結編。




 なぜ、真如親王は天竺に行こうとしたのでしょう。

 渡航には多くのお金がかかります。
 その費用を調達するため、真如は伊勢興房を揚州に派遣しました。

 その後、一行は南下して広州に向かうことになりました。
 そこで、真如は宗叡を興房のいる揚州に派遣し、
(資金が調達できたら)長安でなく、広州に来いと伝えさせました。
 今なら、電話で連絡すれば瞬時に伝わりますが、当時は大変です。

「今、興房を待てども、遠からず進発の期有りて、稽留すべからず。仍って正月廿七日、安展、円覚、秋丸等を率いて、西に向かうこと已に了んぬ。須(すべ)からく赴き来ることを停(とど)め、早く李延孝の船に駕(の)り、本国に帰るべし」
(『頭陀親王入唐略記』

 そして、揚州にいた興房、宗叡のもとに「我々はお前らを待たずに天竺に出発する。お前らは広州に来なくていいから、日本へ帰れ」というメッセージを伝える使いが来ました。

 真如は、寧波の貿易商、李延孝らと手を組みました。鎌倉時代の重源上人も宋の工匠陳和卿
(ちんなけい)と組んでいたのと同じです。南大門の狛犬を造ったのは、明州の工人で、明州の石を持ち込んで造ったと伝えられますが、真如も中国人とのネットワークがありました。この点でも真如親王は重源上人の先駆者といえます。

「親王、先に震旦(しんたん。中国)過ぎて、流沙(りゅうさ。中国の西北方の砂漠の古称)を度(わた)らんとす。風聞、羅越国より到る。逆旅(げきりょ)に遷化(せんげ)すと」。

(『三代実録』元慶五年十月十三日戌子条)


「海を過(よぎ)るに、俄(にわ)かに悪風に遭(あ)い、舳艫(じくろ。船首と船尾)は破損し、円載和尚、及び李延孝等は、一時に溺死す」。

(『天台宗延暦寺座主 円珍伝』)

 
 円載は中国で40年も勉強していました。40年ぶりに日本に帰ろうとして、李延孝の船に乗ったのですが、沈没し、李延孝もろとも溺死してしまいました。真如上人の船出から10数年後のことでした。

 最後に資料を一つ紹介して終わりにします。

 源実朝は28歳の時、鶴岡八幡宮で暗殺されました。奥さんは一つ年下。実朝暗殺後、実家の京都に戻り尼僧になっていましたが、53年後の80歳の時に、自分の死後尼寺をこうしてくれという遺言を残したのが源実朝室置文(大通寺)です。

 「むかし真如親王仏法をもとめんために、天竺へおもむき給き、流沙道けあしくして、その身むなしくなりはてぬ、いのちを忘れてのりをひろめる心ざし、ひとえに利益衆生のためなり、このゆえに、我寺にこの宗を学すべし」と書き残しています。

 先ほど「最後に」と言いましたが、もう一つだけ紹介します。冒頭に挙げた澁澤龍彦の『高丘親王航海記』の一節です。

 とたんに姫は目をかがやかして、
「それでしたら、よい考えがありますわ。餓虎投身という故事を御存じでしょうか。ミーコは仏典の学識がおありだから、きっとよく御存じでしょう。この国をずっと南まで行きますと、つい海をへだてた北方に羅越という国があり、そこには虎がおびただしく、その虎はつねに羅越と天竺のあいだを渡り鳥のように往復して、けっしてほかの土地へはみだりに足を向けないといいます。しかも虎はつねに飢えていて、生きた人間の肉を欲しております。ただし屍肉には見向きもしませぬ。もしも死んでから天竺へついてもかまわないとおっしゃるなら、この虎にみずからすすんで食われ、虎の腹中に首尾よくおさまって、悠々として天竺へ乗りこむのも一法かと思いますが、いかがなものでしょうか。」
 親王、われにもなく声をはずませて、
「それはおもしろい。まるで牛車(ぎっしゃ)にゆられて、ゆるゆると物見遊山に行くようなものじゃ。虎がわたしのかわりに、わたしを腹中にかかえて、天竺まで足をはこんでくれるとは、なんたる妙案だろう。」
 ふたりはそこで、思わず顔を見合わせて大いに笑った。

澁澤龍彦『高丘親王航海記』



 この作品では、真如は病気になって、とても天竺に着くのは無理だったという設定になっています。これは、1987年に出された澁澤龍彦最後の作品です。

 真如親王は喉頭がんになったとの設定です。(※ 石野注 同書には「耳ざわりな、水気の涸れた、かすれたような声しか出ない。やはりのどに異常があるらしい。〜のどの痛みは本物だった。〜もしわたしが一年以内に死ぬとすれば、これで死ぬ以外には考えられないだろう」という一節などがある)

 澁澤も晩年は声が出ませんでした。真如親王は澁澤自身と同じ、化身なのです。

 非常に感動的な講演であった。

 記憶も記録も不確かなうえ、私の文章がつたなくて、その感動が充分にお伝えできないのがもどかしく、残念である。

 その後、薦められていた『高丘親王航海記』を買って読んだ。
 文春文庫でお求めやすいので、ぜひご一読をおすすめしたい。

 この『高丘親王航海記』を読むことで真如親王についてのイメージもふくらむし、真如親王の予備知識をつけておくと、幻想的な『高丘親王航海記』も、より楽しめることだろう。



 西山先生に、サインをお願いしてしまった。

 西山先生と言葉を交わさせてもらったのは、以前の重源上人に関する講演を聴いた後に質問させてもらった時以来のことである。

 ああ、幸せ。

 

 
 


 どうもお疲れ様でした。

 
  

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