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(No105) 特別展「美麗 院政期の絵画」鑑賞記 

 2007年9月1日から同月30日まで開催された特別展に26日、参加してまいりました。


 


【 第一章 美麗のほとけ 】

 
★ 1.国宝 五大力菩薩像 和歌山・有志八幡講十八箇院 ★

 私が観たのは特別展後期だったので、展示されていたのは龍王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)。縦304.8、横179.5(cm)と、とにかくデカい。
 前期の金剛吼菩薩は縦は同じだが、横は237.6とさらに迫力があったようだ。

 『仏像案内』(佐和隆研。吉川弘文館)によると、鳩摩羅什による旧訳仁王経(にんのうきょう)では、五大力菩薩というのは上記二菩薩のほか、無畏十力吼菩薩、雷電吼菩薩、無量力吼菩薩で、不空による新訳仁王経で金剛手菩薩、金剛宝菩薩、金剛利菩薩、金剛夜叉菩薩、金剛波羅蜜多菩薩の五方菩薩に名が改められたとある。

 なお、同著では、前期で展示された金剛吼菩薩の写真を載せ、「五大力吼(中尊) 高野山巡寺八幡講」というキャプションがついている。
 金剛吼菩薩は中尊(中心となる尊像)だから、龍王吼菩薩より幅がでかいんだろうか?

 また、金剛吼は座っているが、龍王吼は蔵王権現のように右足、右手を上げている。
 
 金剛吼の画像はここで。

★ 2.国宝 聖徳太子及び天台高僧像 兵庫・一乗寺 ★

 前期展示の聖徳太子像が観たかった。

 図録を観ると、太子の周りの童子で、体の前で合掌しながら首は後ろにのけぞってる変な子がいてる。
 この子が観たかったな。

 全体画像はここで。

 後期展示は善無畏像など。

 


★ 4.国宝 釈迦金棺出現図 京都国立博物館 ★

 これも初めて観た時は感動したが、現金なもので、むしろ前期展示の「3.国宝 仏涅槃図 和歌山・金剛峯寺」が観たかったなと感じた。画像はここで。またはここで。

 涅槃図については、以前ここでまとめたように手枕をしてるか、してないかなどいくつかの特徴で大きく二つに分けられる。画像はここで。またはここで。

★ 5.国宝 十六羅漢像 東京国立博物館 ★

 羅漢像は、よく禅月様(ぜんげつよう)と李龍眠様(りりゅうみんよう)に大別される。禅月大師貫休による羅漢図に代表される粗い水墨系のものを禅月様、そして着色された穏やかな画風のものを李龍眠様と呼び分けるようだ。
 参考はHP「中国絵画史事典」の「貫休」又は「李公麟」にて。

 本画は、図録解説に「彩色を施して温雅な画風」とあるように、分類すれば龍眠様なのだろうか。
 しかし、図録解説には「宋元画を基礎とする鎌倉時代以降の羅漢図の多くとは異質で、唐画の伝統に連なる」とある。
 また、上記HPによると龍眠居士こと李公麟は北宋の人、禅月大師こと貫休は唐末の人である。宋代の龍眠様ではなく、唐代の禅月様なのか?やはり龍眠様だと思うのだが。




★ 10.国宝 五大尊像 京都・教王護国寺 ★

 教王護国寺とは、いわゆる東寺。展示されていたのは金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の絵。

 五大尊とは五大明王とか五忿怒(ふんぬ)ともいい、中央に不動明王、そして東方に降三世(ごうさんぜ)、南に軍荼利(ぐんだり)、西方に大威徳、北方に金剛夜叉の各明王を配するものである。

 金剛夜叉明王の見分け方としては、中央の顔に眼が五つあること。

 中央画像がこの東寺の金剛夜叉明王だが、五つ目か(額の一眼を別にして、両目が縦に二つずつあるか)がちょっとわかりにくい。

 右端は「31.重文 金剛夜叉明王像 京都・醍醐寺」の画像。これはよくお分かりかと思う。 

 

★ 11.国宝 十二天像 京都国立博物館 ★

 前期展示が帝釈天、羅刹天、梵天。後期が火天、毘沙門天、月天。

 印象的なのは「変なオヤジ」的顔の火天だろうか。

 ここで、画像がてんこもりになっている。




★ 13.国宝 孔雀明王像 東京国立博物館 ★

 画像はここで。博物館だよりでも。ここはどうかな。
 具色(ぐいろ。白っぽい柔らかい色彩)や照暈(てりぐま。白のハイライト)、衣の截金(きりがね)文様など、仏画ゼミ(11)でまとめた平安後期仏画の特色満載で、まさにタイトルの「美麗」に相応しい絵。

 孔雀明王は、忿怒の男性像がほとんどの明王界にあって、唯一の女性像で菩薩形。ちょうど観音菩薩なのに怒ってる馬頭(怒ってるからと言っても、「罵倒」ではない)観音と対照的な存在。

 しかし、どうして真正面から鳥を描くとマヌケに見えるんだろうか。



★ 14.馬頭観音像 アメリカ・ボストン美術館 ★ 

 画像はここで。また、リンク切れになるまではここで。
 特別展チラシの表面を堂々ピンで飾っている。
 チラシの写真は、上下をカットしているので蓮華座は見えているものの台座の下の方や、華蓋は見えないが、そうした部分に至るまで彩色や截金が非常に美しい。



★ 16.国宝 十一面観音像 奈良国立博物館 ★

 画像はここで。以前観た「探検!仏さまの文様」という展示会で展示されていたし、奈良博の新館と旧館をつなぐ廊下のところでもX線写真による研究などが紹介されていたので、「お馴染み」の作品という感じがする。



★ 17.重文 両界曼荼羅(血曼荼羅) 和歌山・金剛峯寺 ★

 読売新聞の記事では「曼荼羅復元」ここで。
 縦424.2、横394.0と、とにかく巨大。

 なぜ本曼荼羅が「血」曼荼羅と呼ばれるか、というと平清盛が自らの血をもって描いたとされているからである。
 しかし、およそ4m四方の曼荼羅が2枚。全体的に確かに赤っぽいんだが、これだけの曼荼羅を描く分、血を使ったら清盛は出血多量で危ないのでは・・・・・?と思ってしまった。

 図録の解説によると、『平家物語』では、金剛界曼荼羅を常明法印が描き、胎蔵界曼荼羅を清盛が描いた。その際、胎蔵界の中尊である大日如来の宝冠は清盛が自らの頭の血を絵具に混ぜて彩色したと伝えている・・・・・・とのことであった。
 胎蔵界の、中央の、大日如来の、宝冠の、絵具の補助に使っただけなら大丈夫だろう。
(上記「胎蔵界の、・・・・」と「の」を続けて、どんどん対象を絞り込んでいくとこは「東海の小島の磯の白砂に・・・」と絞り込んでいく石川啄木のテクニックを借用させてもらった・・・・・って、そんなたいそうなもんやない)

 胎蔵界といえば、中心の少し上(専門用語を使うなら中台八葉院の上の遍智院の中央。なお、曼荼羅の各場所の名称については、仏画ゼミ(3)でご紹介している。)に三角印があるのが眼をひいた。
 こりゃすごい、めっちゃ特徴的や・・・・と思ったのだが、よく調べると、たいがいどの曼荼羅も同じような△のマークがあった。
 

    図録『国宝 子島曼荼羅』の解説によれば、この△マークは一切如来智印と呼ぶらしい。

 曼荼羅では△の中に卍マークがあったので(△の中に東映とある)東映のマークを連想した。



 おっ、後で気づいたが、さっきの変なおやじ火天が持ってた三角形のも一切如来智印なのか?



 

★ 18.重文 大仏頂曼荼羅 奈良国立博物館 ★

 画像はここで。
 「仏頂」尊て、釈迦如来の頭が尊いとして、仏の頭のてっぺん(頂)とか頭のてっぺんの肉髻(にくけい)を特別に神格化して信仰の対象にした・・・とか言われても、実際のとこ、よくわからない。

 

★ 20.重文 星曼荼羅 大阪・久米田寺 ★

 画像はここで。
 北斗七星を礼拝対象とする北斗法の本尊として星曼荼羅(別名、北斗曼荼羅)は平安時代中期以降盛んに信仰され制作されたとのことだが、その星曼荼羅は円形と方形に大別され、本図は後者の現存最古例とのことである。

そんな古い例とのことだが、下から二段目の左から二個目の丸には蟹さんが描かれ、「ああ、蟹座なんだろうか?」とか、


 下から三段目、右から二個目の丸に天秤が描かれ、これはてんびん座なのだろうか?じゃあ、他の星座はどこにあるんだろう?とか思った。
  それと、双子座っぽいのもあるし。

 

★ 23.国宝 伝船中湧現観音像 和歌山・龍光院 ★

  ともかく着衣が截金文様で埋め尽くされ、結果として黄色っぽくなっているのが特徴である。

 

★ 26.国宝 普賢延命菩薩像 京都・松尾寺 ★

 画像はここで。
 今回の展示会では普賢菩薩の像が多かった。像と引っ掛けているわけではないが、普賢菩薩といえば「象」に乗っているのが大きな特徴。
 しかも、ただの象じゃなくて「六牙」。いや、録画じゃなくて、左右3本ずつ牙が生えてて、吊り眼だったり、逆に垂れ眼だったりする不思議な象たちである。下に若干の考察を。

26.国宝 普賢延命菩薩像(京都・松尾寺)の象

平安時代(12世紀)
27.国宝 普賢延命菩薩像(広島・持光寺)の象

平安時代 仁平3年(1153)
↑ 眼が鋭く、キリリと吊り上っている。キリリ系の元祖と呼びたい。
 頭の「かぶりもの」がおおっている拘束範囲が小さいのが一つの特徴。眼の間に1本、縦のベルトがかからないのは、他にも(38、40)例があるが、鼻の上の横ベルトがないのはこれだけ。
↑ 眼の鋭さも左(26)よりだいぶ柔らか。左は斜めにそのまま目が吊り上がっているが、こちらは穏やかな目で、目頭がやや下に、目じりがやや上に上げってるだけって感じ。
 デヘヘ系の元祖と呼びたい。
 鼻の上の横ベルトも眼の間の縦ベルトもあるので拘束範囲が大きく、マスクマンっぽく見える。
38.国宝 普賢菩薩像(鳥取・豊乗寺)の象

平安時代(12世紀) 
39.普賢菩薩像(京都・細見美術館)の象

平安時代(12世紀)
↑ 26は「黒目」の部分が小さいため非常にキツい表情だが、これは黒目が大きく、ハンサムな象と言えるだろう。
 眼の吊り上がり方はストレートなので、キリリ系。
 眼の間の縦ベルトが無いし、目立たない白色なので素顔のようにも見える。
 眼の間だけでなく、額と頭頂部を結ぶ縦のベルトすらないのは、この象だけである。
↑ 国宝にも重文にも指定されていない理由はよくわからないが、こう並べるとわかりやすいと思うけれど、何となく平板というか、「新しい」感じに見える象さんである。

 とりあえずデヘヘ系に分類しておきたい。
40.重文 普賢菩薩像(奈良国立博物館)の象

平安時代(12世紀)
121.重文 普賢十羅刹女像(個人蔵)の象

鎌倉時代(13世紀)
↑ 押しも押されもせぬデヘヘ系の王道をゆくって感じ。 ↑ ま、もちろんデヘヘ系なのだが、眼だけ見たらごく普通というか、例えば「老僧」の眼に置き換えても何ら不思議はない。
 いわば、ちょっと耳がでかくて、鼻が長く、牙が6本生えてて、変なSMっぽいような「ひもマスク」かぶってるだけのオッサンの顔とゆうか(←そんなオッサン、どこにおんねん)


 普賢菩薩本体をほったらかして、象ばっかり取り上げて、申し訳ない。



★ 30.重文 大威徳明王像 奈良・談山神社 ★

 奈良国立博物館所蔵のものの画像はここで。
 大威徳明王の特徴としては、手が多い仏像は多いが足が多い仏像は大威徳明王ぐらいだということと、「牛」にまたがっていることの2点。

 

★ 36.国宝 訶梨帝母像 京都・醍醐寺 ★

 画像はここで。
 訶梨帝母(かりていも)とは、いわゆる鬼子母神(きしぼじん、きしもじん)。東京では入谷(いりや)と雑司が谷(ぞうしがや)で信仰され「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉が流行った。
 要は、もともと他人の子供を食べまくる恐ろしい鬼神であったが、釈迦に、鬼子母神最愛の末っ子ピヤンカラを隠され、子を失う親の悲しみにようやく思いが至り、その後改心し安産、子育ての善神になったと伝えられる。

 右手に石榴(ざくろ)を持っているが、石榴は「人間の肉の味に似ている」とのことで、いわば、また「人間の子供が食べたくなったら、代わりにこれを食え」と釈迦から渡されたそうだ。

 そういった先入観、偏見で観るせいか、眉の上り具合、横目視線などを見るにつけ、おい、膝んところで見上げてる子供、ぼけ〜っとしてたら食われるんで、と思ってしまう。

 

★ 42.国宝 板彫十二神将立像 奈良・興福寺 ★

 画像はここで。

 今回展示されている波夷羅(はいら)や迷企羅(めきら)は、いずれもユーモラスなポーズの作品である。

 

 

★ 43.国宝 四天王立像(増長天) 京都・浄瑠璃寺 ★

 画像はここで。より正確にいうと、四天王像としてアップされてる写真の後ろに少し映ってる写真が、増長天。

 彩色が非常にきれいに残っているのだが、衣の裾にぶらさがってる鈴がキュートで印象に残っている。

 

★ 44.重文 不動明王二童子立像 京都・峰定寺 ★

 本展図録には「繊細優雅な作品の多い院政期彫刻の中でも随一の美麗な作」とある。正直言って、会場のガラスケース越しでは、図録でアップ写真を観た時ほど華麗な文様や、鮮やかな彩色にまで注意が及ばなかった。

★ 45.重文 毘沙門天立像 東京国立博物館 ★

 まあ、毘沙門天像としては、彩色が鮮やかに残っているもののそれほどすごい!って感じの作品じゃない。
 平安時代、応保2年(1162)の作とされており、玉眼使用としては奈良・長岳寺阿弥陀三尊像(仁平元年=1151)や醍醐寺不動明王像(久寿2年=1155)に次ぐ早い使用例だそうだ。

 しかし、私が印象に残ったのは、こちらにお尻向けてる邪鬼の腰にど〜ん!と石突を突っ立ててるとこ。

 いつも、こんなとこばっか着目してて、ごめんなさい。

 以前ここで四天王に踏まれてる邪鬼についても分類してみたが、邪鬼が複数いる場合、これまで知ってるのは両方とも前を向いていたので新鮮な感じがした。 

 

 

 



 とりあえず、ここでいったん切る。 
 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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