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(No167) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その6


 平成23年4月30日(土)に行った時の鑑賞メモ。

 

 


第3章 伝来の名宝と美術

 

 公式HPの第3章概説は次のとおり。

 

 浄土真宗の門流はしだいに多くの人びとの支持を得て、信仰の潮流となり、やがては堂舎を構えた寺院として展開していった。

 長い歴史の中では、権力者との攻防もくり返された。

 大規模な伽藍の造営は、桃山時代以降のことで、狩野探幽
(かのうたんゆう)などの狩野派の系譜をひく絵師の活躍の場となり、さらには幸野楳嶺(こうのばいれい)、望月玉泉(もちづきぎょくせん)など近代京都画壇へとつらなる絵師達の数々の名品をうみだす京都文化の発信基地という側面を兼ねそなえていたのである。

 

105 国宝 三十六人家集(躬恒集・元輔集・業平集) 平安時代・江戸時代 12世紀・17世紀 京都・西本願寺

 公式HPの解説文は以下の通り。

 

 三十六歌仙の私家集の最古写本。

 唐紙
(からかみ)・染紙などに重ね継ぎ等の技法、箔散らし、金銀泥で草花・花鳥を描くなどの贅沢な装飾を施した料紙に、当時の能書家(のうしょか)によって和歌が書かれる。

 平安貴族の美意識の粋を結集した総合芸術品で、見るものを飽きさせない。

 天文18年(1549)、後奈良天皇より本願寺第10世証如
(しょうにょ)に贈られた。
(展示期間:4月12日〜5月1日)


 画像は上記HPのほか、ビラ新聞で。

 私が行った時は、躬恒集が展示されている期間だったが、上記の画像みたいだったかなぁ?紙にそれほど色の濃淡があった記憶がないのだが。

 頁替えがされてたのか、私の記憶がええ加減なのか?

109 石山切(貫之集下 題しらす・をむな) 藤原定信筆 平安時代 12世紀 京都国立博物館

 絵巻物や冊装になっていると一度に鑑賞できる人数が限られる。そこで採られる究極の手段が、絵巻や冊装をバラバラにして、それぞれを掛け軸に表装すること・・・・と会場展示の解説文にあったと思う。

 本作も昭和4年に、西本願寺本『三十六人家集』三十九帖一具のうち、『伊勢集』『貫之集下』を分割してつくられた断簡であって、本願寺の故地摂津国石山にちなんで石山切と呼ばれている。

 一つにまとまっているものを切断して個別に軸装する。それはきっと「鑑賞できる人間を多くする」なんてキレイゴトの理由からなされる暴挙ではないだろう。

 全体だと何億円、いや値段のつけられないものも、バラバラにすればウン千万円とかで、何とか売買の対象にできる。単価を下げて、数で勝負・・・・・という計算にほかならないのではないか。
 
 このHPの所蔵先をみても、石山切は個人蔵が多く、散逸しまくっていることが分かる。

 

112 尾形切(業平集 みすもあらす) 伝藤原公任筆 平安時代 12世紀 東京国立博物館

 展示されていたものではないが、根津美術館所蔵のものはここで。

 同美術館の解説文は以下の通り。

 藤原公任『三十六人撰』にもとづく三十六歌仙の、それぞれの家集を集成したものが『三十六人集』で、「本願寺本三十六人家集」(京都・西本願寺蔵)は、その12世紀初めの古写本である。

 「尾形切」の名は、尾形光琳の祖父・道柏
(どうはく)、父・宗謙(そうけん)などが所蔵したことにちなむ。


113 重文 慈円書状 慈円筆 鎌倉時代 12〜13世紀 三重・専修寺

 慈円『愚管抄』の作者で天台座主を4度務めた延暦寺の僧侶。

 確か会場での説明文では、大神宮が玉女に変じ聖武天皇に東大寺造営をすすめた云々という内容が書かれているそうだ。

 


115 雪柳図  江戸時代 17世紀 京都・西本願寺

 画像は新聞で。国宝である飛雲閣の襖絵。


116 帝鑑図 江戸時代 17世紀 京都・西本願寺

 展示解説では、白書院一の間(紫明の間)の襖絵。作者は渡辺良廣とあったように思うのだが、どうも私の誤記で「渡辺了慶」が正しいのではないかと思う。

 中国の古帝は、という人物が有徳ときき、自分の後継者として娘の娥皇女英を嫁がせた場を描く。


117 四季耕作図 呉春画 江戸時代 18世紀 京都・西本願寺

 西本願寺の『日次記』憲政9(1797)年9月14日条に還堵の間が耕作の間に改名されたという記事があるので、その頃に製作されたものと思われる・・・・と会場の解説にあった。

 

118 能画(絵馬・井筒・猩猩) 吉阪鷹峯下村良進吉村了斎画 江戸時代 19世紀 京都・西本願寺

 能の場面を描く。画題と作者は、記載順で対応している。

 「絵馬」はよく分からないが、「井筒」の絵では、棒を簡単に組んで井戸を象徴する作り物が置いてあり、そこには薄(すすき。私は井戸べりなのでカキツバタか何かかと思った)が結び付けられ、その脇に女性が描かれている。
 世阿弥『伊勢物語』「筒井筒」の段をもとに作った能の名曲とのことである。

 「猩猩」(しょうじょう)は赤い長い毛が描かれていたんで多分これなんだろうな、と。

 

120 雲龍図 狩野探幽画 江戸時代 寛文11年(1671) 京都・興正寺

 法印探幽70歳時の作。墨のにじみで雲を表す。墨をちらしているのが血しぶきのようで鮮烈。


122 唐人物図・花鳥図  狩野元信画 室町時代 16世紀 京都・東本願寺

 三幅。中央に「行体」で蘇東坡を描く。両脇は夏の花鳥。

 以前「狩野永徳」展を観たが、系図はすっかり忘れていた。元信の子が松栄、その子が永徳探幽は永徳の孫。

 

123 雪中松鹿図/渓流香魚図 円山応挙/伝長沢蘆雪 江戸時代 18世紀 京都・東本願寺

 衝立の両面にそれぞれ貼られていた。

 以前「円山応挙」展を観たが、雪中山水図とか雪松図とかが多かった印象がある。本図も雪深い山中で雪の乗っかった松と、ひっそりたたずむ鹿を描く。

 反対面に、奔流を遡上する鮎(と思う)の姿を描く。



124 唐獅子牡丹図 望月玉泉画 明治時代 明治28年(1895) 京都・東本願寺

 現物は観ていない。

 公式HPの解説文は次の通り。

 金地に群青と緑青で躍動的な獅子の姿が鮮やかに描かれる。

 御影堂
(ごえいどう)後堂に置かれるついたて衝立で、高さ2m、幅3mに迫る大作である。

 本図を描いた望月玉泉は、幕末明治期の京都画壇の重鎮で望月派四代を継いだ。本展には、他にも近代京都画壇の手になる東本願寺所蔵の名品が多数出陳される。 
(展示期間:4月5日〜17日、5月3日〜15日)

 
画像は上掲HPのほか、ビラで。

128 御影堂門楼上天井画「飛天舞楽図」草稿 竹内栖鳳画 明治44年(1911) 京都・東本願寺

 
 展示室を出て、玄関に至る途中の吹き抜けスペースを使って展示されていた。天井画の草稿だけあって、非常に巨大な線描画。


130 散華 竹内栖鳳画 明治43年(1910) 京都市美術館


 背景は「青」が主体で、この岩絵具は高いんだろうなぁ・・・・・なんて俗っぽいことを考えてしまった。



 お疲れ様でした。

 
 
  

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