移動メニューにジャンプ
(No167) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その6
第3章 伝来の名宝と美術
105 国宝 三十六人家集(躬恒集・元輔集・業平集) 平安時代・江戸時代 12世紀・17世紀 京都・西本願寺 公式HPの解説文は以下の通り。
三十六歌仙の私家集の最古写本。
唐紙(からかみ)・染紙などに重ね継ぎ等の技法、箔散らし、金銀泥で草花・花鳥を描くなどの贅沢な装飾を施した料紙に、当時の能書家(のうしょか)によって和歌が書かれる。 平安貴族の美意識の粋を結集した総合芸術品で、見るものを飽きさせない。 天文18年(1549)、後奈良天皇より本願寺第10世証如(しょうにょ)に贈られた。 (展示期間:4月12日〜5月1日) 私が行った時は、躬恒集が展示されている期間だったが、上記の画像みたいだったかなぁ?紙にそれほど色の濃淡があった記憶がないのだが。 109 石山切(貫之集下 題しらす・をむな) 藤原定信筆 平安時代 12世紀 京都国立博物館 絵巻物や冊装になっていると一度に鑑賞できる人数が限られる。そこで採られる究極の手段が、絵巻や冊装をバラバラにして、それぞれを掛け軸に表装すること・・・・と会場展示の解説文にあったと思う。 本作も昭和4年に、西本願寺本『三十六人家集』三十九帖一具のうち、『伊勢集』と『貫之集下』を分割してつくられた断簡であって、本願寺の故地摂津国石山にちなんで石山切と呼ばれている。 一つにまとまっているものを切断して個別に軸装する。それはきっと「鑑賞できる人間を多くする」なんてキレイゴトの理由からなされる暴挙ではないだろう。 全体だと何億円、いや値段のつけられないものも、バラバラにすればウン千万円とかで、何とか売買の対象にできる。単価を下げて、数で勝負・・・・・という計算にほかならないのではないか。
112 尾形切(業平集 みすもあらす) 伝藤原公任筆 平安時代 12世紀 東京国立博物館 展示されていたものではないが、根津美術館所蔵のものはここで。 同美術館の解説文は以下の通り。 藤原公任の『三十六人撰』にもとづく三十六歌仙の、それぞれの家集を集成したものが『三十六人集』で、「本願寺本三十六人家集」(京都・西本願寺蔵)は、その12世紀初めの古写本である。 慈円は『愚管抄』の作者で天台座主を4度務めた延暦寺の僧侶。 確か会場での説明文では、大神宮が玉女に変じ聖武天皇に東大寺造営をすすめた云々という内容が書かれているそうだ。
画像は新聞で。国宝である飛雲閣の襖絵。
展示解説では、白書院一の間(紫明の間)の襖絵。作者は渡辺良廣とあったように思うのだが、どうも私の誤記で「渡辺了慶」が正しいのではないかと思う。 中国の古帝尭は、舜という人物が有徳ときき、自分の後継者として娘の娥皇と女英を嫁がせた場を描く。
西本願寺の『日次記』憲政9(1797)年9月14日条に還堵の間が耕作の間に改名されたという記事があるので、その頃に製作されたものと思われる・・・・と会場の解説にあった。
118 能画(絵馬・井筒・猩猩) 吉阪鷹峯・下村良進・吉村了斎画 江戸時代 19世紀 京都・西本願寺 能の場面を描く。画題と作者は、記載順で対応している。 「絵馬」はよく分からないが、「井筒」の絵では、棒を簡単に組んで井戸を象徴する作り物が置いてあり、そこには薄(すすき。私は井戸べりなのでカキツバタか何かかと思った)が結び付けられ、その脇に女性が描かれている。 「猩猩」(しょうじょう)は赤い長い毛が描かれていたんで多分これなんだろうな、と。
120 雲龍図 狩野探幽画 江戸時代 寛文11年(1671) 京都・興正寺
三幅。中央に「行体」で蘇東坡を描く。両脇は夏の花鳥。 以前「狩野永徳」展を観たが、系図はすっかり忘れていた。元信の子が松栄、その子が永徳、探幽は永徳の孫。
123 雪中松鹿図/渓流香魚図 円山応挙/伝長沢蘆雪 江戸時代 18世紀 京都・東本願寺 衝立の両面にそれぞれ貼られていた。 反対面に、奔流を遡上する鮎(と思う)の姿を描く。
現物は観ていない。 公式HPの解説文は次の通り。 金地に群青と緑青で躍動的な獅子の姿が鮮やかに描かれる。 128 御影堂門楼上天井画「飛天舞楽図」草稿 竹内栖鳳画 明治44年(1911) 京都・東本願寺
お疲れ様でした。
|