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(No166) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その5
第2章 浄土真宗のひろがり
84 親鸞聖人惣御門弟等交名 南北朝時代 14世紀 滋賀・明照寺 親鸞門弟のリストというか、系図のようなもの。
87 重文 慕帰絵詞 第三巻 従覚作 詞書:一条実材・絵師:藤原隆昌 南北朝時代 観応2年(1351) 京都・西本願寺 本作は覚如の伝記であり、上人の次男である従覚が上人の亡くなった1351年に作った。
公式HPでの解説文は以下の通り。
「絵系図」と呼ぶことが多いが、「一流相承系図」が正式名称。
「序題」と呼ばれる冒頭の文章には、佛光寺第7世了源(りょうげん)の法脈が親鸞以来の真宗念仏を正しく継承することを述べ、一門の結束を図るべく制作した旨を明記する。 その筆跡は存覚であり、了源、存覚(ぞんかく)が相はかって制作したことが窺われる。 (展示期間:3月17日〜4月10日) 画像は上記HPのほか、ビラで。
展示時期の関係で上掲88は観ておらず、観たのはこれ。
次の92とほぼ同じ、幼き太子が合掌している像で、観ていた年配の女性二人連れが「かわいい〜〜」と絶叫していた。 寺を創建したおり、了恵が持参したと伝えられる。 92 聖徳太子立像(南無仏像) 鎌倉時代 14世紀 三重・厚源寺 合掌している小指の間に少し隙間がある。これは合掌した太子の小指の間から舎利が出現したという伝説に基づいているらしい。 93 聖徳太子立像(孝養像) 湛幸作・源圓法眼画 鎌倉時代 元応2年(1320) 京都・佛光寺 公式HPでの解説文は次の通り。
父用明天皇の病気平癒(へいゆ)を神仏に祈請(きせい)した姿と伝える太子孝養像(きょうようぞう)。
本品は、寄木造(よせぎづくり)で玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)する像で、髪を美豆良(みずら)に結い、袍衣(ほうい)に袈裟(けさ)を着用し、右肩には横被(おうひ)がかかる。 右手に笏(しゃく)を、左手には柄香炉(えごうろ)を持って直立する。 真宗では「真俗二諦像(しんぞくにたいぞう)」と称し、袈裟と柄香炉で仏法を、袍衣と笏で王法を象徴するとされる。 (展示期間:3月17日〜5月1日)
101 毘沙門天立像 平安時代 11世紀 滋賀・錦織寺
いわゆる阿弥陀三尊像で、両脇に観音と勢至の両菩薩がいるが、蓮台を持ったり合掌とかせずに同じ格好で立っている。
104 善光寺如来絵伝 南北朝〜室町時代 14〜15世紀 茨城・称名寺
第一幅は釈迦如来が不信心だった月蓋長者を救済し、帰依させる場。 第三幅は、守屋を聖徳太子が討伐。仏像も本田善光により堀江から引き揚げられる場。 第四幅は、善光の息子善佐が急死し、地獄に堕ちるが、仏のご加護で皇極天皇とともに蘇生。父子は信濃・甲斐の国司に任ぜられ、善光寺を建立する場。
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