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(No157) 京都国立博物館 法然上人特別展覧会「法然 〜生涯と美術〜」鑑賞記 その1


 平成23年4月22日(金)に行った時の鑑賞メモ。

 

 


 I 法然の生涯と思想

 京都国立博物館のHPにおける「I」の概要は次のとおり。

 法然の伝記絵巻の集大成ともいえる四十八巻に及ぶ国宝「法然上人絵伝」(京都・知恩院蔵)を軸に、同時代の人々との関係も視野に入れながら、その生涯をたどります。

 比叡山に入った法然が学んだであろう天台浄土教の代表的著作である源信『往生要集』、法然と善導を一対にして、その肖像と事績を描き込んだ「二祖曼陀 羅図」(京都・知恩院蔵)、専修念仏の教えに帰依した九条兼実のために撰述した『選択集』、また法然のもとで出家した熊谷直実に与えた自筆書簡、往生の道を描いた仏画としての「二河白道図」などを紹介します。

 また、法然在世時の像との伝承がある重要文化財「法然上人坐像」(奈良・當麻寺奥院蔵)と、長らく真言宗寺院に伝えられたものの、像内文書より法然の高弟・源智が法然の一周忌を期して造立したと判明し、近年復籍した重要文化財「阿弥陀如来立像」(浄土宗蔵)が初めて対面します。

 


(1) 念仏への道

1 国宝 法然上人絵伝 四十八巻のうち巻一  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 前期展示なので現物は観ていない。第二段は、法然誕生時の様子。

 画像はここここ法然誕生の際には、天に紫の雲がたなびき、二本の幡が降る奇跡が起こったとされる。


 第二段は、父の死の場面。館内で上映されていたビデオによれば、人望のあった父はねたまれて襲われ命を落とした。幼名勢至丸といった法然も弓を射ていた。
 画像はここの上のあたり(2段目)。小さくて分かりにくいと思うが、絵の左の方、屋敷の中で弓を引いているのが勢至丸だろう。


3 国宝 法然上人絵伝 四十八巻のうち巻三  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 父の遺言にしたがい比叡山にのぼる場面。画像はここ(3段目右)。

 幼き法然源光に入門するが、源光は才能を認め、比叡山随一の学僧皇円に師事させる。剃髪出家の場面の画像はここで(3段目左)。

 しかし、法然は隠遁し、黒谷の叡空に師事する。

4  空也上人絵伝  室町時代(16世紀) 大倉集古館

 上下細長く、六段に分かれて描かれている。最下段の白犬、黒犬が人骨をあさっているところに目を奪われたが、空也の念仏に聴き入って猟師に射殺された鹿を憐れみ、その鹿の角を杖につけたところや、口から南無阿弥陀仏の化仏が出ているとこを注目すべきなんだろうな。

 

7  往生要集絵巻 六巻のうち巻二  室町時代(16世紀) 

 絵が文章より先・・・というのは中国風らしい。

8 国宝 六道絵 十五幅のうち 閻魔王庁図  鎌倉時代(13世紀) 滋賀・聖衆来迎寺

 絵の中に大きな鏡があった。多分、これが落語にも出てくる浄玻璃の鏡なんだろう。

 

9 重文 融通念仏縁起 二巻のうち巻上  室町時代 寛正6年(1465) 京都・禅林寺

 良忍往生の場を描くが、いわゆる阿弥陀如来からの「ビーム」の出所も行き先も分かりにくい。

 


I−(2) 浄土開宗念仏への道

10 国宝 法然上人絵伝 四十八巻のうち巻六  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 第三段は、人々に専修念仏の教えを説く場。画像はここここ(4段目左)。

 

11 国宝 法然上人絵伝 四十八巻のうち巻七  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 第五段は、法然の転機。夢で唐時代の善導に会う。善導の衣は上の方が黒で、下が金色。画像はここ(4段目右)。

 

13  二祖曼荼羅図  南北朝時代(14世紀) 京都・知恩院

 善導法然を描く。右が善導だが、後期なので観たのは左の法然。

 画像はここで。


14 重文 浄土五祖絵伝  鎌倉時代 嘉元3年(1305) 神奈川・光明寺

 善導が寺で説法しているところ。堂内の椅子に座っている善導の口からは「化仏」が出ている。空也上人像では立像だから口に針金を差して、そこに小さな仏像が立っている(また、そうしか出来ないだろうし)のだが、絵でも口から何か糸みたいなのが出て、そこに仏が立っているのが何か面白い。

 堂の周りの民衆の中には、座り込み、おっぱいを出して授乳しているお母さん(さすがに大師には背を向けている)もいたりするのが庶民的な感じ。

17  浄土五祖像  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩寺

 浄土宗には法の継承がないという批判に対抗して、中国の善導ら五僧を描いた絵。権威付けのために企画したんでしょうね。

 前期展示なので会場では観ていないが、ここで画像が紹介されているのが、
16 重文  浄土五祖像  中国・南宋時代(13世紀) 京都・知恩寺

18 重文 善導大師像  鎌倉時代(13世紀) 京都・知恩寺

 前期展示なので会場では観ていないが、京都博物館だよりに画像が載っていたので紹介する。ここ。可愛らしい感じの絵。下の立像でいくと「20」の方のタイプ。

19 重文 善導大師立像  鎌倉時代(13世紀) 京都・知恩院

20 重文 善導大師立像  鎌倉時代(13世紀) 京都・善導院

 19と20は並べて展示してあった。違いは・・・というと、19は顔が正面を向き、丸くて比較的若々しい。それと像内納入品として結構リアルな「五臓六腑」が。
 有名な空也上人像みたいに口から「化仏」が出ていたらしく、針金を差していた穴が空いているそうだ。

 一方、20は、顔がやせ、シワが多く、さらに左上方を見上げている格好。衣には金泥が残る。顔を見た時、ちょっと落語家の桂雀松に似てるなと思った。

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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