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中国美術展(10)「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」Part2

1 概要

 平成17年1月5日から2月13日の会期で、大阪市立美術館において「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」が開催されました。
 平成17年1月15日(土)の午後2時から学芸員の方によるギャラリートークがあったので、その内容も含めてレポートいたします・・・・・の第2部。


2 宋代・元代の書画

 次の展示室で「みねの」学芸員からは、ここが今回の展示のメインですと言われた。

(1) 五星二十八宿神形図

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P26所収。ただし本書には、鎮星神として黒い牛に乗った黒い顔の男、鳳凰のような神鳥にまたがり、鶏冠をかぶった女性、そして二十八宿神形図として辰星神からでかい「すっぽん」に乗った氐星神までの四人の絵しか載っていない。
 展示されていたのは『選集』の写真のほか、牛の前に、「鹿のような獣に犬みたいなのが乗っている」絵があったし、「すっぽん」の後ろには足にびっしり鱗がはえた二十八宿神の姿などもあった。

 北宋の張僧繇(ちょうそうよう)の作と伝えられるが、唐の呉道士とか閻立本という説もある。


(2) 伏生授経図

  伏生(伏勝)は漢代の学者。漢文帝(劉恒)の代、鼂錯(ちょうそ)に秦始皇帝の焚書から免れた『尚書』を授けるところを描いたもので、作者は唐代の詩人王維と伝えられている。
 重要文化財。
  腕がやたら細い。伏生はこの時90歳を越えていたそうだ。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P26所収。


(3) 読碑窠石図(どくひかせきず) 北宋

 「魏の武帝(曹操)楊脩を伴い、曹娥の碑の下を通り過ぎた時の逸話を描く」(『選集』P26)。曹操は白馬にまたがり、楊脩は杖を携えている。
 この碑の「クイズ」については、本サイトの色いろクイズ解答か、「臥龍庵」さんというサイトの雑学楊脩編をご参照ください。

 本画の碑の側面に小さく「人物は王暁、樹石は李成(919〜967)が描いた」と書かれているそうなのだが、私は確認していない。
 李成の画法の特色の一つが、本画にみられる「蟹爪」のような形の樹木の描き方なんだそうだ。

 『選集』P28所収。


(4) 明皇避暑宮図 北宋

 「明皇とは唐の玄宗〜避暑宮は〜九成宮」(『選集』P29)とされる。
 楼閣は、郭忠恕(?〜977)が最も得意とした界画法(輪郭線を定規で精密に描く)で描かれているが、遠山の部分などは元代の李郭派の筆墨法に似ている。


(5) 江山楼観図 北宋

 燕文貴の唯一の真筆とされる。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。又はチラシ裏面。『選集』P30所収。


(6) 行書李白仙詩 北宋・元祐8年(1093)

 前に観た蘇軾の書もずいぶん右に曲がっていて、「ええ?こんなんでええんかいな」と思った覚えがあるのだが、これもそう感じた。
 で、記憶をたどって『海を渡った中国の書』展の鑑賞記を読み返してみると、その時も本書が出展されていて、(つまり「前に観た蘇軾の書」ってのがこれであって)それで右に傾いているなと感じたのであった。

 「王羲之の書体に拘泥する唐代の書を改め〜右上がりの字形が、墨の濃淡、字の大小などと巧みに調和し、筆勢に変化を与える」と解説にある。確かに濃淡、大小、太い細い、真っ直ぐ曲がりと変化には富んでいるのだが、その良さというものがもう一つ私にはよくわからない。
 
 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P151所収。


(7) 草書四帖 北宋

 米芾(べいふつ。1051〜1107)の手になる草書四帖というが実際は五帖であり、さらに、もともとは九帖で、残り四帖は徳忱帖草聖帖家計帖奉議帖。うち、徳忱、草聖は現在台北故宮博物院に収蔵され、家計、奉議は所在がわからないそうだ。
 そして、この五帖を四帖と呼ぶ場合は、元日帖吾友帖、そして中秋帖目窮帖を一体化して一つとし、あと海岱帖で草書四帖と呼ぶとのこと。
 米芾が海岱に赴任していた時期から、およそ米芾が46、7歳の頃の作ではないかと考えられるそうだ。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。元日帖については、チラシ表面。『選集』P148所収。


(8) 送郝玄明使秦書画合壁(かくげんめいがしんにつかいするをおくる しょががっぺき?) 北宋 宣和4年(1122)

 読み仮名は適当なので、間違ってる可能性大。
 郝玄明という人物が秦へ赴くにあたり、胡舜臣が作画し(画面左上に五言律詩を賦し)、蔡京(さいけい。1047〜1126)が七言絶句を書している。その五言律詩に宣和四年九月二日という日付が入っている。

 保存状態が悪かったのか、画面はかなり荒れている。
 蔡京というと徽宗に取り入った「わるもの」というイメージが強烈なので、そいつがこの字を書いたのかあ・・・と思うと、何か「すごいなあ」と思ってしまう。

 『選集』P32所収。


(9) 秋江漁艇図 南宋

 作者は不詳。山石の皴法は五代宋初の李成、樹林の画法は北宋の郭熙に似る・・・そうだ。

 『選集』P34所収。


(10) 遠岫晴雲図(えんしゅうせいうんず) 南宋・紹興4年(1134)

 作者の米友仁は米芾の子。墨点を塗り重ねることで山を描く、米芾が創始したとされる山水画法、いわゆる米法山水による画。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P35所収。


(11) 湖畔幽居図 南宋

 「名賢宝絵冊」として牧牛図、本図、観瀑図古松楼閣図が展示されていた。
 楼閣や茅屋、瀑布を観る人物などは左下に寄せ、遠山は右上に小さく描くのは南宋代特有の描法で、余白の多いその構成は、「辺角の景」とか南宋院体画様式とかいわれるそうだ。
 私は確認していないが、懸崖の中央に隠し落款のような墨痕があり、それから夏珪(かけい。李唐劉松唐馬遠とともに南宋四大家といわれる)の作では、とも考えられているとのこと。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P36所収。


(12) 明妃出塞図 金

 重要文化財。作者の宮素然(きゅうそねん)については女道士と伝えられるが詳細は不明。

 明妃とは王昭君のことで、 エピソードについては本サイト「ギネス」選ぶきっかけをご参照ください。 

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P38所収。


(13) 蘭図 元・大徳10年(1306)

 作者の鄭思肖は宋朝の遺民。蘭は菊・竹・梅とともに四君子と称され、その蘭の根が描かれていないのは土地が異民族に奪われたことを象徴するものといわれている。ただ、根が描かれていないのは、特に不自然には感じられない。(土中の根を描くのは難しいだろうから、植わってる「土地」がないという意味だろう)
 それは別にしても絵として美しく感じられるので、私はこの絵は好きである。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P40所収。
 

(14) 駿骨図(しゅんこつず) 元

 作者の龔開(きょうかい)は宋朝の官吏で、元には仕えず杭州で売画生活をおくった。
 本図の痩せ馬は、主人を失い用いられなくなった駿馬を表わすという。非常に哀しい目をしている。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P41所収。
 

(15) 疎林図 元

 作者の倪瓚(げいさん。1301〜1374)は元末四大家(あと3人は、黄公望呉鎮王蒙)の一人。
 倪瓚は、遠山と手前に疎林、そして間に渓水という構図を確立したが、本画はその初期のものと考えられる。

 『選集』P42所収。


(16) 太白滝湫図(たいはくろうしゅうず) 元・至正20年(1360)

 作者は方従義。「龍湫」が「瀧」のことなので書き誤りとされているが、確かに画面右上の款のところにはしっかりと「さんずい」がついて「瀧湫」と書かれている。
 なお、「太白」は陝西省の名山太白山を指すとされている。


(17) 竹雀図 元

 画面左下の款の「若水」は作者王淵の字。
 特に画面中央の竹の葉の輪郭線が非常に強調されており、鮮烈な印象を与える。


 あと、明代の書画、清代の書画となるが、ここで再度分けることとする。

 

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