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中国美術展(9)「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」Part1
1 概要 平成17年1月5日から2月13日の会期で、大阪市立美術館において「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」が開催されました。
平成17年1月15日(土)の午後2時から学芸員の方によるギャラリートークがあったので、その内容も含めてレポートいたします。
2 コレクション概説
1階の美術ホールというところで、「みねの」学芸員から、まず今回の展示の中心をなす阿部コレクションと師古斎コレクションの解説があった。
<阿部コレクション>
東洋紡の社長をされた阿部房次郎氏が大正後期から集め始めた中国絵画のコレクション。
特徴としては、
(1) 明、清代の絵が中心、
(2) 阿部氏の好みとして、派手な絵は好まず、渋めの山水画や花卉の絵が多い。
また、蒐集の段階で内藤湖南京大教授などの協力を得ているので、良品が多いそうだ。
一般に日本に中国の文物が多量に流出してきたのは清朝滅亡後で、にせものの混入率もかなり高いとのことだった。
<師古斎コレクション>
岡村蓉二郎氏は財閥関係者等ではなく、一銀行員で、昭和10年頃から中国拓本を集めたとのこと。
特徴としては、
(1) 漢代ころの碑の拓本が多く、下っても六朝から隋まで。唐代以降のものは極めて少ない。
(2) 墓誌銘が多く、金文は少ない、
(3) 切り貼りでなく、全体像をそのまま拓本にしているものが多いので、資料的価値が高い。
「それでは、実際の作品を観ながら解説しましょう」とのことで、学芸員さんに従って2階に上がった。
3 拓本
最初の展示室は、拓本関係。
向かって右側が漢代から三国。左側は南北朝から隋まで。
時代順に観ていけば「篆書→隷書→楷書」という流れが大体わかりますとのことだった。
(1) 群臣上醻刻石(ぐんしんじょうじゅこくせき) 前漢・後元6年(BC158)
前漢最古の墓石拓本とたしか解説にあったと思うのだが、「師古斎コレクションの中で最古」という意味なのだろうか?質問すればよかった。
(2) 魯孝王刻石(前漢・五鳳2年=BC56)か、
(3) 三老諱字忌日記(後漢・建武28年=52頃)のいずれか忘れてしまったのだが、「及」という字の最終画が「双鉤刻」最古の例とのことだった。観ると、最後の右へはらう所が「一本」ではなく「輪郭」(中ぬき)のような形になっていた。
(4) 開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき) 後漢・永平9年(66)
長安のある関中から蜀(四川)に抜ける褒斜道(ほうやどう。褒谷=ほうこくと斜谷=やこくを結ぶ)開通を記念して褒河西岸の崖に刻まれた、いわゆる磨崖の拓本。
字の大小はまちまち。崖なので地の部分も当然平板ではなく、しわしわで複雑な様相を呈している。
画像としては、大阪市立美術館出品作品解説のページ及びチラシ裏面を参照のこと。
(5) 裴岑紀功碑(はいしんきこうひ) 後漢・永和2年(137)
新疆ウィグル自治区ハミ郊外で出土。波礫(はたく。特にはらいの部分など横画を波のようにうねらせ、長く伸ばすこと)はまだみられない。
(6) 石門頌(せきもんしょう) 後漢・建和2年(148)
波礫が現れる。
(7) 孟琁残碑(もうせんざんぴ) 後漢・永寿3年(157)
清末の光緒27年に出土。雲南省唯一の漢碑。
(8) 孔宙碑 後漢・延熹7年(164)
孔子19世の子孫孔宙の墓碑。「書体は、力強い波礫をもつ端正な隷書」(『大阪市立美術館蔵品選集』。以下、『選集』P144所収の「泰山都尉孔宙碑拓」)である。
(9) 史晨奏銘(ししんそうめい。『選集』P144所収の「魯相史晨饗孔廟後碑拓」) 後漢・建寧2年(169)
「整美な書風の隷書」(『選集』P144)で書かれている。
(10) 楊淮表記(ようわいひょうき) 後漢・熹平2年(173)
この石刻はトンネル内にあったもので、拓本もその湾曲をうつしている。このように原形を忠実に伝えるのが全套本の利点の一つである。
注 大きな碑であっても紙を貼り合わせ全面に墨をつけ拓本をとったものが全套本。拓本をとった文章を数行ずつページごとに貼って編集するのが剪装本。
(11) 沈府君神道闕(ちんふくんしんどうけつ) 後漢
はらいの部分が非常に長い特徴的な書体。左右一対だが特に左の方は、字を枠で囲み、さらにその枠を「はらい」がはみ出している。
上部には朱雀の文様。下部には饕餮等の文様がある。
(12) 受禅表 魏・黄初元年(220)以後
いわゆる魏隷。漢隷に比べると硬質で冷たい印象を与えるとのことだった。
(13) 天発神「言+籤」碑(てんはつしんしんひ) 呉・天璽元年(276)
呉の孫皓が正統の皇帝である旨を記す。三段に分かれている。
羅振玉の文章が書かれているとのことである。(どこにあるか確認していない)
拓本に後世の書き込みがなされているのは、師古斎コレクションでは珍しい。
書体は「篆書体を隷書の筆法で書いた」などと評されているが、「筆でなく刷毛を使うとこうした書体になる」という説があるそうである。
原石は清代に火災で焼失したそうだ。
『選集』P146所収。
続いて展示室左側のゾーンへ。
(14) 劉懐民墓誌 劉宋・大明8年(464)
南北朝時代、南朝は厚葬が禁じられていたため、墓誌自体が少ない。清末に発掘された貴重な南碑。
(15) 元髟謗(げんていぼし) 北魏・太和20年(496)
現存する北魏王族の墓誌としては最古のものとして知られる。筆画は鋭く、右肩上がりで、北魏時代の書体の特徴を良く表わしている。
『選集』P147所収。
(16) 元詳墓誌 北魏・永平元年(508)
北魏時代の書体の特徴は残しつつ、上記(15)に比べると端正になっており、北魏時代の碑文としてはベストの部類といえる・・・そうだ。
(17) 論経書誌(雲峯山全套のうち) 北魏・永平4年(511)
「山東省掖県にある雲峯山の磨崖には、北魏の高官であり、秀れた書人でもある鄭道昭による題や詩が数多く刻されている。本図もその一つで〜後世北朝第一の書と推賞された」(『選集』P145)。
(18) 蕭憺碑(しょうたんひ) 梁・普通3年(522)
蕭憺は梁文帝の十一子(?正確かどうかわからない)。貝義淵(ばいぎえん)の書。南朝楷書の典型。厚葬が禁じられていた南朝にあっては高さ3.5mほどの大きな墓は珍しい。
(19) 高慶碑 北魏・正光4年(523)
高貞碑、高湛碑とともに徳州三高碑といわれる。
(20) 高盛碑 東魏・天平3年(536)頃
東魏まで時代が下ると北魏時代に比べ、書体はやや平板になる。磁州三高碑の一つ。
(21) 朱岱林墓誌(しゅたいりんぼし) 北斉・武平2年(571)
横長である点が珍しい。
(22) 宮人何氏墓誌 隋・大業8年(612)
何氏は、晋朝で宰相をつとめた何充の末裔。隋の煬帝に仕えたが早逝した。
「みねの」学芸員は書が専門とのことで、絵のコーナーに行くまでに拓本のコーナーで丁寧な説明があったため、時間(ギャラリートークは約1時間といわれていた)がだいぶ経過した。
紙幅もだいぶ使ったので、ここで一度分けることとする。
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