移動メニューにジャンプ

(No50) 国際シンポジウム 「北宋汝窯青磁の謎にせまる」聴講記 その2

 平成22年3月13日(土)、上記シンポジウムを聴きに行った時のメモの続き。


 今回は、「話し言葉」でなく、要約タイプとしたい。


 

汝州張公巷窯の年代について

               郭木森 河南省文物考古研究所副研究員

 

はじめに

 張公巷窯の年代は現在学術界の論争の的。

1 「汝州張公巷窯、きょう義黄冶窯考古新発見学術検討会」(2004年5月郭州)

 20名の国内外の専門家の8割張公巷窯=北宋官窯
 残り2割張公巷窯は金代以降(元代含む)の窯

 時代の認定にずれはあるが、官窯という認識は一致




一 張公巷窯の地層堆積、包含遺物からみる焼造年代

 
 張公巷窯の焼造遺物は北宋末から金代の地層に集中している。

 
   


二 張公巷窯の窯道具と汝窯、大峪東溝窯の相違

1 汝州張公巷窯の窯道具

 匣鉢、墊圏、墊餅、墊餅支焼、火照等。

  
2 宝豊清涼寺窯(汝窯)の窯道具

 匣鉢、墊圏、墊餅、墊餅支焼、火照のほか、墊圏支焼、火照挿座(色見を挿す台座)など。

 汝窯の墊餅支焼は、初期段階にみられ、餅は厚く重く、支釘は大きく粗い。成熟期では、墊圏支焼が中心となる。
 汝窯の操業停止年代は北宋徽宗の1111〜1118年代を遡らない(=それ以後)。


3 汝州大峪東溝窯の窯道具 

 墊餅支焼も墊圏支焼もみられるが、そうした方法は全体の3%にも満たない。
 大峪東溝窯の早期の地層からは建炎通宝(1127〜1130)が出土しており、焼造年代は金代を遡らない。


三 張公巷窯磁器の特徴と焼造技術

1 器形

  碗、盤など十数種の器形と、二十数種類の器種

2 釉薬 

 淡青色、青緑色、灰青色、卵青色など。薄胎薄釉が多く、ガラスの質感が強い。

3 胎土 

 粉白、灰白、純白、少量だが淡い灰色など。胎土は緻密で硬い。

4 高台 

 直立した削り出し高台が中心。外反した撥高台は比較的少ない。

5 支釘 

 器底には目跡(支釘痕)が見られるが、ほとんどは粟粒状の小さなもの。
 支釘の数で多いのは3〜5個。極めて少ないが6個の例もある。

6 焼造

 一部の碗等では、高台畳付上に透明釉が施されている。

 しばしば墊焼(墊餅による焼成)が採用され、わずかだが支焼(支釘による焼成)もある。 

 


四 汝州張公巷窯と清涼寺汝窯、南宋官窯及び汝州大峪東溝窯の関係

1 地層からみた特徴

(1) 張公巷窯

 地層的には金代から北宋代の地層に集中している。
 青磁や匣鉢のほか、比較的多く出土している白釉瓷、黒釉瓷、豆青釉瓷などは北宋晩期の造形特徴を有し、北宋より下る時期の遺物は発見されていない。

 よって、張公巷窯の焼造年代は北宋末年まで遡りうる。

  H88と名付けられた地層は比較的完全な堆積坑で、金代の典型的な器物片ほか、遺物が非常に豊富である。
 出土した白磁渋(?)圏底碗、白釉紅緑彩碗、黒釉凸線文(堆線文)罐、青磁碗、鈞釉磁碗などの破片資料のうち、前三者は北宋末年まで遡ると学術界の多くの専門家、研究者が認めるところだが、残り二者は、北宋末か金代か見解が分かれる。

(2) 大峪東溝窯

 2005年に河南省文物考古研究所が400u余りを発掘したが、出土した青磁碗、鈞釉磁碗は、張公巷窯H88内で出土した青磁碗、鈞釉磁碗の器形、胎土の質、釉色とほぼ完全に一致した。

 大峪東溝窯から建炎通宝(1127〜1130)が伴出したことから張公巷窯の焼造年代は金代に中心があったといえる。

(3) 張公巷窯と汝窯

 張公巷窯と汝窯の焼造技術と窯道具は類似するが、器物の造形、胎土の質、釉色の差は比較的大きい。

(4) 南宋郊壇下官窯、老虎洞官窯と汝窯

 南宋郊壇下官窯と老虎洞官窯の早期の製品の造形は、汝窯化したものが中心で、老虎洞官窯の碗、盤等は、汝窯の同種の器物と瓜二つである。
 地方色が濃厚となる製品のほとんどは、両者の後期段階に出現しており、ここには汝窯が南宋官窯に継承されていく過程がはっきりとうかがえる。


(5) 張公巷窯と汝窯

 張公巷窯と汝窯の継承関係は南宋官窯ほどではない。

 張公巷窯が汝窯よりも後代のものであるということは、陶磁史の研究者の共通認識である。
 汝窯の操業停止年代は政和年間(1111〜1118)より遡ることはなく、両者の年代的な差は明確である。

 したがって、張公巷窯の活動年代は金代に中心があったと考えられる。



五 結論


 張公巷窯の具体的焼造年代については、完全に解決したとはいえないが、現時点で把握できる地層資料からみて、張公巷窯の年代は北宋末年を遡ることはなく、筆者はその年代が金代まで下がる可能性があるのではないかとの考えを強くしており、張公巷窯元代説については否定する。


 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system