移動メニューにジャンプ


中国美術展(4)大阪歴史博物館「上海博物館展」鑑賞記その2

1 展覧会の内容について

 前回分に引き続き、「第二章 仏像 救いへの厳かな祈り」から。


2 鑑賞雑感

(1) 仏像

 本章では、出品リストでいくと「47 仏立像」から「56 菩薩立像」までが展示されている。

 リスト48の張匡造菩薩立像(北魏。神亀元年(518)。高さ24.6)は音声ガイドの12番目。
 北魏の仏像は細面(ほそおもて)とよくいわれるが、図録の解説でも「細く痩せた面貌と両側に尖った裳裾は神亀仏の特徴」とあった。

 リスト49の釈慧影造仏三尊像(しゃくええいぞうぶつさんぞんぞう。梁。中大同元年(546)。高さ34.2)は、国家一級文物。
 南朝の仏像は、あまり残っていないそうだ。北魏の仏像に比べるとふっくらとした穏やかな面相をしており、全体的にも三角形の落ち着いた構図となっている。
 
 画像については、チラシの裏面をどうぞ。


 リスト50の道常造太子半跏思惟像(どうじょうぞうたいしはんかしいぞう。北斉。天保4年(553)。高さ52)は音声の13。太子とは、悉達多太子のこと。つまり、悟りを得て釈尊となる前のシッタルダ王子のことである。


 リスト52の観音菩薩立像(隋。6〜7世紀。高さ148)は、宝冠の化仏で観音菩薩と判断されるそうである。


 リスト55の仏坐像(唐。8世紀。高さ19.6)も国家一級文物。
 図録には「面貌などに盛唐像のような豊満さは見られない」とあるが、盛唐像は展示されていないので、比較はよくわからない。


※注
 大阪歴史博物館HPの「仏像」のページで、上記の張匡造菩薩立像釈慧影造仏三尊像道常造太子半跏思惟像観音菩薩立像仏坐像の画像が見られます。
 上海博物館展が終わってしばらくしたらリンク切れになると思われますので、お早めにどうぞ。 


(2) 陶磁器。

 続いて「第三章 陶磁器 土の造形と釉の輝き」

 リスト57の彩陶渦巻文双耳壷(さいとううずまきもんそうじこ。新石器時代。馬家窯文化。紀元前26〜前23世紀。高さ39.69、口径13.6)は国家一級文物で音声の14。

 何が印象的たって、渦巻文の真ん中に大きく「※」(こめじるし)が描かれていること。
 4000年以上前から、「※」ってあったのですねえ。


 リスト61の紅陶吹笛人物俑(こうとうすいてきじんぶつよう。後漢。25〜220年。高さ73)は音声の15。
 四川省で出土した俑は表情が生き生きしているものが多いそうで、横には同じく四川省で出土した、琴を演奏しているリスト60の紅陶撫琴人物俑(こうとうぶきんじんぶつよう。後漢。25〜220年。高さ75)も展示されていたが、どちらもニコニコと微笑んでるかのようである。


 リスト63の青磁堆塑人物壷(せいじついそじんぶつこ。婺州窯(ぶしゅうよう)。三国(呉)。220〜280年。高さ36.6、底径12)は国家一級文物で音声の16。 瓢箪のような形の瓶の口の周りに小さな四つの壷がくっついている器形は、五連罐(ごれんかん)とか子持壷などと呼ばれる。神亭壷という
 壷の胴のところには、狼に襲われている人間や、逃げ切れずに転んでしまい、足が持ち上がった逆エビ状態の人間の像がくっついている・・・・・と思ってたのだが、図録の解説によると主人にじゃれている犬や、雑技の像だそうだ。 


 リスト66の三彩女子俑(唐。618〜907。高さ33.8)は音声の17。


 リスト67の青磁四耳壷(越窯。唐。618〜907。高さ21.3、口径12)は、本体部分と蓋の色合いが違っていて、見ていて非常に違和感があったのだが、図録にも何も触れられてないから、ちゃんとしたセットものなのだろうか。


 リスト69の白磁家形枕(五代〜北宋。907〜1127。高さ13.6、長さ18.4、幅22.9)は国家一級文物で音声の18。
 四角い枕ではなく、いわゆる如意頭形(ちょっと桃に似たような形)の陶板に頭を乗せるタイプ。宮殿のような家形の透かし彫りの作例は極めて珍しいとのことである。表、というか首を乗せる側の扉は両方閉まっている。そして、裏というか先端(頭頂部が乗る方)の扉は半分開いて人物がみえるという凝ったデザイン。


 リスト70の青磁盤(汝窯。北宋。960〜1127。高さ2.8、口径17.2、底径9.5)も国家一級文物で音声の19。

 図録にも「伝世品の汝窯の作例は極めて少なく、全世界で80点程度確認されているにすぎない」とある。
 また、『故宮』(NHK出版)3巻には「雨上がりの空を写した青磁は汝官窯青磁と呼ばれる。全世界で60点ほどしか現存しないという貴重な青、その色は多くの人を魅了してきた。10年ほど前、ニューヨークのサザビーズで競売にかけられたところ、小品であるにもかかわらず2億円近い値段がつけられたという」とある。

 いずれにせよ、大変な名品なのだ。それがわかっていて、あえて生意気を言わせていただくと、口縁部の色のくすみ、見込み部分に小さな傷がいくつかある、ごく薄い高台部分に十分釉がかかっていない等の点から、ややランク的には劣る品かな・・・と感じた。


 その点、リスト71の青磁盤(哥窯。宋。960〜1279。高さ2.6、口径15.7、底径5.5)は、薄手の花弁のような器形、青灰色の器全面に青黒い貫入が網目状にびっしり入っているさま、どれをとっても典型的な「哥窯」だな、と思わせる一品だった。国家一級文物。


 リスト72の白磁刻花蓮華文碗(定窯。宋。960〜1279。高さ6.1、口径19.4、底径5.8)も、豆乳のような(←何のこっちゃ?)、クリームっぽい白色の器面に浅く刻まれた蓮華文、そして茶色の覆輪・・・と、絵に描いたような定窯。


 リスト73の月白釉三足洗(げっぱくゆうさんそくせん。鈞窯。宋。960〜1279。高さ8.95、口径23.8)は、植木鉢の受け皿として使われていたそうだ。
 月白釉とか澱青釉と呼ばれる青白い釉が厚く掛けられるのが特徴。
 とりわけ、口縁外周部や突起、そして足の部分にみられる紫の釉色が「なるほど、鈞窯だな」と思わせる。(←先ほどから似たような表現が多いな)


 さて、官窯、哥窯、汝窯、定窯、鈞窯は「宋時代の五大名窯」と呼ばれる。その筆頭である官窯の作品が、リスト76の青磁管耳瓶(官窯。宋。960〜1279。高さ12.8、口径3.2、足径5.2)。
 しかし、残念ながらこの作品は「さすが、官窯・・・」と思わせるものではなかった。
 管耳瓶は投壷と呼ばれる古代遊戯具の器形であると図録にあった。
 投壷というくらいだから、壷を投げるのか、と思ったらそうではなくて、離れた所から壷の中へ矢を投げ入れる遊びらしい。
 非常に小さく感じられた。南宋官窯といえば、「二重貫入とよばれる複雑に貫入がはいった清浄無垢、澄みわたる幽邃な青磁釉のかかった焼物」(『中国陶磁の八千年』矢部良明)というイメージがあるのだが、釉色も貫入の具合もやや物足りなかった。

 宋の五大名窯の作品がすべて一堂に会する展示会はめったにない、と記念講演会で出川哲郎氏(大阪市立東洋陶磁美術館学芸課長)がおっしゃっていた。
 それで、五大名窯分を先に紹介したくて、73から76へ飛んだ。

 74は龍泉窯の青磁j形瓶(宋)なのだが、酸化炎のいわゆる米色青磁であるのが残念。わざわざ龍泉窯で黄色いのを展示せんでも・・・と思った。
 また、75は耀州窯の青磁刻花唐草文瓶(宋)で、これはオリーブグリーンの釉色といい、片切り彫りの文様といい、いかにも耀州窯って感じの選択。

 それと、鈞窯の図録解説で「編年については異説もある」とあった。この異説というのは、どうやら記念講演もし、本展示会の監修もしている出川氏の意見らしい。異説の内容の詳細については、もう少し勉強してからご紹介したい。

 


 今度はスピードアップといいつつ、好きな陶磁器のところで時間をとった。
 金代以降の陶磁器と、絵画・書については次回にまわしたい。

※注
 大阪歴史博物館HPの「陶磁器」のページで、上記の彩陶渦巻文双耳壷紅陶撫琴人物俑青磁堆塑人物壷青磁盤(汝窯)、白磁家形枕の画像が見られます。
 上海博物館展が終わってしばらくしたらリンク切れになると思われますので、お早めにどうぞ。  

 

inserted by FC2 system