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中国美術展(5)大阪歴史博物館「上海博物館展」鑑賞記その3

1 展覧会の内容について

 前回分に引き続き、「第三章 陶磁器 土の造形と釉の輝き」の後半から。


2 鑑賞雑感

(1) 陶磁器(後半)

 前回に引き続き、金代の陶磁器から。

 リスト77の白地鉄絵褐彩虎形枕(しろじてつえかっさいとらがたまくら。磁州窯。金。1115〜1234年。高さ12.8、横39.6、幅19.5)は国家一級文物。
 磁州窯では様々な意匠の枕が焼造されたそうだ。
 全体を白化粧し、虎の体色は褐彩で、そして虎の縞や、頭を乗せる部分の鳥の絵などを鉄絵で表現している。
 なお、磁州窯については、「陶磁器ゼミ」の宋・遼・金又は元代の記載も参照ください。

 リスト78の白地鉄絵唐草文梅瓶(しろじてつえからくさもんめいぴん。扒村(はいそん)窯。金。1115〜1234年。高さ44.3、口径4.1、底径10.5)は、音声ガイドの20番目。
 扒村窯の位置については、「陶磁器ゼミ」元代分布図参照。


 リスト79の青花牡丹唐草文梅瓶(景徳鎮窯。元。1279〜1368年。高さ42.1、口径5.5、底径14)はいわゆる元染。落ち着きのある青である。


 リスト80の釉裏紅牡丹文稜花盤(ゆうりこうぼたんもんりょうかばん。景徳鎮窯。明:洪武。1368〜1398年。高さ9.5、口径45.5、底径28.2)は、音声の21。
 釉裏紅とは釉下に酸化銅で絵付けしたものだが、発色は紅から黒まで様々で、コバルトと違って安定しない。


 リスト82の青花松竹梅文碗(景徳鎮窯。明:宣徳。1426〜1435年。高さ8.5、口径22、底径6.9)は国家一級文物。
 無銘だが、宣徳期らしい端正な文様。


 リスト84の黄地緑彩龍文盤(おうじりょくさいりゅうもんばん。景徳鎮窯。明:正徳。1506〜1521年。高さ3.9、口径18.5、底径11.7)も国家一級文物。
 描かれた龍は、もちろん五爪。


 リスト87の琺瑯彩牡丹唐草文碗(ほうろうさいぼたんからくさもんわん。景徳鎮窯。清:康煕。1662〜1722年。高さ7.25、口径14.5、底径6.6)は、景徳鎮で焼かれた白磁の上に、宮廷画家が絵付けをした国家一級文物で、音声の22。
 実に華麗で美しいが、私の好みではない。
  なお、画像はチラシの裏面を。


 リスト88の粉彩人物図筆筒(ふんさいじんぶつずひっとう。景徳鎮窯。清:雍正。1723〜1735年。高さ13.3、口径17.4、底径17.1)は音声の23。
 表面に非常に細密なタッチで描かれた絵は、李白と友人たちとの夜宴「春夜宴桃李園」というそうだ。


※注
 大阪歴史博物館HPの「陶磁器」のページで、上記の白地鉄絵褐彩虎形枕青花牡丹唐草文梅瓶琺瑯彩牡丹唐草文碗の画像が見られます。
 上海博物館展が終わってしばらくしたらリンク切れになると思われますので、お早めにどうぞ。 


(2) 絵画・書

 続いて「第四章 絵画・書 文人たちの高雅な境地」

 リスト90の草書杜甫詩巻(そうしょとほし・かん。祝允明(しゅくいんめい)。明。16世紀。縦35.1、横748.4)は、唐寅文徴明徐禎卿とともに呉中四才子と呼ばれた祝允明(号は枝山)が、杜甫の詩「詠懐古跡」など六首を狂草で書いたものだそうだ。
 なお、狂草とは、草書をもっとも柔らかく、ほしいままにくずした書体のこと。


 リスト93の琴高乗鯉図(きんこうじょうりず。李在。明。15世紀。縦164.2、横95.5)は国家一級文物で、音声ガイドの24番目。
 この絵は、『列仙伝』の中の、龍の子を取りに潜った琴高が、赤鯉に乗って現われたという話を描いているそうだ。
 入明した雪舟李在に画技を学んだという話も伝わっているとのこと。

 左右に分割されているがチラシの表面では大写しで、また、裏面でも画像が見られます。


 リスト94の双雉図(そうちず。呂紀。明。16世紀。縦128.4、横84.9)も国家一級文物で、音声の25。
 ちらり、と応挙をおもわせる華麗な色合いの写実的な雉。そして、その雉が乗っている樹木は水墨画の様式的手法で荒々しく描かれている。
 画像はチラシの裏面参照。


 リスト95の金台送別図巻(きんだいそうべつず・かん。戴進(たいしん)。明。15世紀。縦27.8、横90.7)は、音声の26。
 内閣翰林の衛靖が金台(北京)を離れる際、同僚が見送るさまを描いたものらしい。川べりに船が一艘つながれており、岸に赤い服の人物が一人立ち(これが衛靖だろう)、彼と向き合って赤い服の人が1人と青い服の人物が4人。
 皆、やや腰をかがめ「シェーシェー」のポーズ(子どもの頃よく、片方の袖口にもう片方の手を入れてつなげて、少し持ち上げながら「中国人の真似!」とかやったが、あの格好)をしている。

 明代は、南宋画院の馬遠夏珪に学び水墨を基調とする職業画家集団である浙派(杭州=浙江省が中心) と、黄公望呉鎮倪瓚(げいさん)・王蒙の元末四大家に学び淡彩を基調とする文人画家集団である呉派(蘇州=江蘇省が中心)とが覇を競った。
 戴進は浙派の祖と称される。余白が多いすっきりした絵で、私は好きである。なお、93の李在も浙派を代表する画家の一人だそうだ。


 リスト97の草庵図巻(そうあんず・かん。沈周(しんしゅう)。明。弘治10年(1497)。縦29.5、横155)は音声の27。
 沈周(号は石田)は、文徴明と並ぶ呉派のリーダー。なお、浙派・呉派の争いは呉派の勝利となって文人画全盛の時代を迎えた。
 さらに、どうでもいいことだが、この絵、池や水路の部分を白く塗り残し、道の部分を水色というか淡い緑色で塗っているので、最初見た時、何で人が溝の中に突っ立っているのだろうと思ってしまった。
 ごていねいに屋敷の前の道には、真ん中に敷石が細く並べて描いてあるので、それが橋のように見えたのである。


 リスト98の落霞孤騖図(らっかこぶず。唐寅(とういん)。明。16世紀。縦189.1、横105.4)は、唐の詩人王勃「滕王閣序」を題材にしているそうである。


 リスト100の棲霞寺詩意図(せいかじしいず。董其昌(とうきしょう)。明。天啓6年(1626)。縦133.1、横52.5)は国家一級文物で音声の28。
 董其昌は、いわゆる山水画を唐の王維から元末四大家に至る南宗と、唐の李思訓から馬遠・夏珪に至る北宗に分け、そのうち南宗を正統とする「南北宗論」を提唱したそうである。浙派再びの敗北といってもよいのだろうか。
 ただ、この絵は確かに図録にも「自然の骨格を白描風に画い」たとあるのだが、建物なんか鉛筆による下書きのように見える。


 リスト101の雅集図巻(陳洪綬。明。17世紀。縦29.8、横98.4)は、国家一級文物で音声の29。
 万暦年間の文人9人が集まり、その中で米万鍾(絵の中央で仏像に向かっているので背中しか見えない)が展開する仏説を聴き入るさまを描いているらしい。
 余白の部分にそれぞれの人物の名前がちょこちょこと書いてある。何か「重み」が感じられない。物真似で誰を演じるか連呼したり、新聞の下手な政治漫画で、人物名を大書しているのを連想した。

 図録に陳洪綬は「尚古趣味とデフォルメをないまぜにしたエキセントリックな画風で知られ」とある。
 「聴き入る」というが画面の右端には、すねたように背中を向けているおやじがいるし、仏像はやたら顔がでかいし、表情はトホホだし、何か見れば見るほどヘンな絵である。


 リスト103の双鷹図(そうようず。八大山人(はちだいさんじん)。清。康煕38年(1699)。縦172.2、横90.8)の作者八大山人は明の王室出身で遺民画家と呼ばれる。
 明滅亡後は清朝に仕えることなく僧となった。
 上目づかいの鋭い鷹の視線が印象的。
 

 出品リスト最終104の遊華陽山図(ゆうかようさんず。石涛(せきとう)。清。17世紀。縦239.6、横102.3)は音声ガイド最終の30番目でもある。
 石涛も遺民画家で、明滅亡後は出家した。

※注
 大阪歴史博物館HPの「絵画・書」のページで、上記の琴高乗鯉図双雉図落霞孤騖図棲霞寺詩意図草書杜甫詩巻双鷹図雅集図巻の画像が見られます。

 上海博物館展が終わってしばらくしたらリンク切れになると思われますので、お早めにどうぞ 


 展示物が精選され、コンパクトにまとまった良い展覧会だったと思う。
 しかし、会場で居合わせた老夫婦もこう言っていた。
「こんな空(す)いてるとは思わへんかったなあ。こないだの、そう、あれ、トルコ展とはえらい違いやな」
「やっぱ、こないだのんはTVでばんばん、コマーシャルやってたからな。これはやってへんやろ」

 私は記念講演会の関係で2回行ったが、確かに両方空いていた。まあ、入るのに待たなくていいし、中でもゆっくり観れて嬉しかったのですが、「大阪」のことを考えるとちょっと寂しい。
 金ぴかとか、でっかいエメラルドとかの「売り」に欠けたのか?



 

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