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(No36) 韓金科先生特別講演会「法門寺塔地宮の文物と密教」聴講記 その2 

 韓金科氏は、法門寺博物館の前館長。

 平成19年3月10日(土)に奈良国立博物館主催で上記講演会が開催された・・・・・の続き。

 

 


 法門寺塔の地下宮殿には前室、中室、後室、密龕があり、四つの舎利が発見された。
 そのうち、本物の舎利は一つだけで、密龕内のものである。
 前室・中室・後室内の舎利は「影骨」と呼ばれる。それに対して本物は霊骨と呼ばれる。

 
  (※ 石野注)

1.法門寺の舎利について

(1) 舎利伝説
 古代インドのアショカ王(阿育王)が釈迦入寂の200年後、仏の骨(舎利)を88400に分骨して、世界各地に塔を建て、供養したと伝えられている。
 中国では19基の塔が建てられた。

※ あるHPの記述では、19基のうち、法門寺が「第五基」という表現があった。五番目に舎利を受けたという意味なのだろうか?
 なお、韓先生のレジュメでは「那十八個被歴史淹没、而独法門寺佛之真身指骨舎利〜」とある。中国19基の塔に舎利が分骨されたが、そのうち18基については歴史の中に埋没してまったが、ひとり法門寺のみが舎利を伝えているという意味だろうか。

(2) 舎利発見の経過
 1987年旧暦の4月8日に地宮後室から1枚の指舎利が発見された。

(3) 霊骨と影骨

ア  霊骨(本当の骨)

第1枚 懿宗が奉納した金・銀・珍珠・白檀などを材料とした八重の箱内。
 最も内側、第八重目の純金製小塔内の銀柱に挿してある

※ 画像はHP「法門寺旅行」にて。

イ 影骨(複製の骨)
第2枚 漢白玉製の小塔内

第3枚 地宮後室になる小龕の中の鉄箱内。
 鉄箱の上辺には「奉納皇帝敬造釈迦牟尼仏真宝函」と刻まれている。

第4枚 地宮前室の彩色菩薩舎利塔内に安置されている。

※ 上記はHP「法門寺」の記載によったが、韓先生のレジュメには
前室 阿育王塔第四枚舎利(影骨)
 中室 漢白玉霊帳第二枚舎利(影骨)
 後室 八重宝函第一枚舎利(影骨)
 密室 五重宝函第三枚舎利(霊骨)
」とあった。

 霊骨は、韓先生のレジュメを信用して、密龕内にあったと解したい。


 

 


 

 前室にあったのは、阿育王塔である。塔内にあったのは影骨。
 阿育王塔内の銅ふと(ストーパ) 金塔?内部に銀棺?

 中室にあったのは、白玉霊帳で、第二枚舎利が発見された。
 鉄箱が発見された。

 後室にあったのは、八重の舎利容器であった。

 841〜845年に唐武宗による会昌の廃仏が行われた。

 873〜874年の間に、地下宮殿で密教曼荼羅が作られた。空海、最澄は中国でも有名である。

 1987年に地下宮殿が発見され、唐代密教に関する様々な遺物が見つかった。 

 多くは唐代の懿宗が奉納したものである。
 指舎利の容器を初めて開けた時、入っているものが何か最初はわからなかった。
 5月4日の午後に見つかった。旧暦では4月8日、奇しくも釈迦の誕生日である。

 舎利の内壁には北斗七星が刻まれている。


(※ 石野注)
 韓先生のレジュメを参考に整理するが、訳文はごく不正確と思う。ご容赦願いたい。

1.各室の舎利及び如来(佛)の構成について

(1) 前室:阿育王塔第四枚舎利 
   胎蔵界→東方宝幢如来、金剛界→南方宝生佛(影骨)

(2) 中室:漢白玉霊帳第二枚舎利 
   胎蔵界→南方開敷華王佛、金剛界→東方阿閦佛(影骨)

(3) 後室:八重宝函第一枚舎利
   胎蔵界→北方天鼓雷音佛、金剛界→西方阿弥陀佛(影骨)

(4) 密室:五重宝函第三枚舎利
   胎蔵界→西方無量寿佛、金剛界北方不空成就佛(霊骨)



2.後室八重宝函胎蔵界曼荼羅について

(1) 八重の箱の構成について
ア 第八重 銀棱 頂黒漆宝函(檀香木函)
 ※ 全体は紅錦袋に包まれている。一番外側の箱は保存状態が悪いが、他の保存状態は良好。
イ 第七重 鎏金四天王 頂銀宝函
ウ 第六重 素面(※ 箱の各面に飾りがない) 頂銀宝函
エ 第五重 鎏金如来坐佛説法 頂銀宝函
オ 第四重 六臂如意輪観音純金宝函
カ 第三重 金筺宝鈿珍珠装純金宝函
キ 第二重 金筺宝鈿珍珠装 石宝函
ク 第一重 宝珠頂単檐四門純金塔(※ 四方に門の開いた金製の塔。内部に銀の柱があり、舎利はそこに挿したような形で安置されている)

※ 既出だが画像はHP「法門寺旅行」にて。

(2) 第四重如意輪曼荼羅の研究
ア 宝箱正面の造像→唐密六臂如意輪観音曼荼羅
イ 同左側面の造像→薬師曼荼羅
ウ 同後面の造像→大日金輪曼荼羅
エ 同右側面の造像→唐密釈迦金輪曼荼羅

(3) 第五重釈迦説法曼荼羅の研究
ア 宝箱正面の造像→唐密釈迦説法曼荼羅
イ 同左側面の造像→唐密文殊説法曼荼羅
ウ 同後面の造像→唐密大日説法曼荼羅
エ 同右側面の造像→唐密普賢説法曼荼羅
オ 同頂面の造像→唐密金輪曼荼羅

(4) 第七重四天王曼荼羅の研究
ア 右側面→東方持国天
イ 前側面→南方増長天
ウ 左側面→西方広目天
エ 後側面→北方多聞天


3.秘龕五重宝函金剛界曼荼羅について

(1) 頂面唐密中台方壇内為金剛界大日如来、四波羅密、内四供養曼荼羅

(2) 頂面唐密中大方壇外四供、四摂、四大神、四大明王曼荼羅
ア 四供→東方阿閦如来、南方宝生如来、西方阿弥陀如来、北方不空成就如来
イ 四摂(菩薩)→金剛鈎菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩
ウ 四神→地、水、火、風神
エ 五大明王→不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王
※ レジュメには最初「四大」明王とあり、その下に「五大」明王とあった。どちらが正しいのだろう?

(3) 頂面変唐密金剛界曼荼羅宝珠、宝生草及三股金剛杵界道

(4) 後側面為唐密東方阿閦如来及四親近曼荼羅
※ 前方:金剛薩凱菩薩(※ レジュメでは字が脱落していた。JIS基準外で印字されていなかったのだろう)、右方:金剛王菩薩、左方:金剛愛菩薩、後方:金剛喜菩薩

(5) 右側面唐密南方宝生如来及四親近曼荼羅
※ 前方:金剛宝菩薩、右方:金剛光菩薩、左方:金剛幢菩薩、後方:金剛笑菩薩

(6) 前側面唐密西方阿弥陀如来及四親近曼荼羅
※ 金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩

(7) 左側面唐密北方不空成就如来及四親近曼荼羅
※ 金剛業菩薩、金剛護菩薩、金剛牙菩薩、金剛拳菩薩

4.中室捧真身菩薩曼荼羅について

(1) 捧真身菩薩曼荼羅

 
地宮中室には鎏金や珍珠で装飾された捧真身菩薩像がある。これは懿宗が咸通12年(871)に敬造したものである。
 菩薩像は吉祥天女的な造形をしている。

※ 画像については、HP「耀州窯と法門寺」右下の方の「法門寺地宮珍寶之謎」というポスター参照

(2) 金剛界五方五佛、大日如来三身陀羅尼、四波羅密、内四供、外四供、四摂之曼荼羅、十六大菩薩生、四大天王

ア 五佛→大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀(無量寿)如来、不空成就如来
イ 四波羅密菩薩→金剛波羅密菩薩、宝波羅密菩薩、法波羅密菩薩、羯摩波羅密菩薩
ウ 十六大菩薩→阿閦如来之四親近:上記3−(4)参照、宝生如来之四親近:上記3−(5)参照、阿弥陀如来之四親近:上記3−(6)参照、不空成就如来之四親近:上記3−(7)参照
エ 八供養菩薩
 内四供養菩薩:金剛嬉菩薩、金剛鬘菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩
 外四供養菩薩:金剛香菩薩、金剛華菩薩、金剛灯菩薩、金剛塗菩薩
オ 四摂菩薩 上記3−(2)イ

※ 四天王→東方持国天、南方増長天、西方広目天、北方多聞天

(3) 胎蔵界中台八葉種子曼荼羅の研究

(4) 八大明王曼荼羅の研究
ア 降三世明王・・・・・金剛手菩薩
イ 大威徳明王(六臂六頭六足金剛)・・・・・妙吉祥菩薩
ウ 大笑明王・・・・・虚空蔵菩薩
エ 大輪明王・・・・・弥勒菩薩
オ 馬頭明王・・・・・観音菩薩
カ 無能勝明王・・・・・地蔵菩薩
キ 不動明王・・・・・除蓋障菩薩
ク 歩擲明王・・・・・普賢菩薩

※ 大笑明王は軍荼利明王と同一と考えられている。

 



【 質疑応答 】

質問1 法門寺は、なぜ現在の位置に建てられたのか?

回答1
 
長安でなく、なぜ都から100km以上離れた土地に建てられたのか?という意味だと思う。
 法門寺の地理的歴史的条件に関係する。
 シルクロードなど漢代における西方との交流においては要地であった。
 長安に建立すると、隋の文帝が仏教復興の象徴又は国教寺院として建立した大興善寺と区別が難しいという面もある。


質問2 玳瑁による開元通宝は地下宮殿用のニセ金か?

回答2
 市場に通用する金ではない。金色や黄色は密教と関連が大。

※ 講演中、玳瑁(タイマイ)製の「お金」が紹介されていた。画像としてはHP「遥かなる西安」のかなり下の方に「珍貴的古代貨幣玳瑁開元通寶」として載っている。

質問3 塩入れなどの茶具は菩薩供養用か?実用ではないのか?


回答3
 (特に回答はなかったように思う)  

質問4 八大菩薩や八大明王を胎蔵界と決め付けているが、それは何故か?何があれば胎蔵界と考えているのか?

回答4
胎蔵界
1.八重舎利容器
2.捧真身菩薩の下

大日金輪曼荼羅・・・・・・・・・・隠・・・・・・・顕・・・・・・・・・体
六臂如意輪曼荼羅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・相
大日如来・・・・・・・・・・・・・・・・放・・・・・・密・・・・・・・・・・用⇒胎蔵界

八重宝函            不顕相

一字金輪法

教相
    証悟  → 隠
事相

如意輪観音
         醍醐寺系二相 
大日金輪
 韓先生は一生懸命しゃべっているのだが、いかんせんさっぱり伝わらない。(ほとんど訳されないので、それもやむを得ない)

 先生も焦れてしまって、ホワイトボードに左図のようなものを殴り書きするのだが、これまたさっぱり分からない。

 この質問は、会場に来られていた頼富本宏氏によるもの。韓先生は講演途中にも仏教研究上の尊敬する先輩の一人として頼富教授の名前を挙げていた。
 それで余計必死に答えようとされていたように思うのだが、頼富氏も苦笑しながら「(回答は)それで結構です」と返していた。 


質問5 舎利の中に北斗七星が描かれていたとのことだが、その意味と背景は?

回答5
 
宇宙の思想と関係がある。
 第一舎利と第三舎利に描かれている。
 唐代の仏教教義と解すべきか、宇宙的解釈を取るべきか。つまり、北斗七星というのは元々中国にあったものか、仏教を通じて入ったものか。北斗七星のことは仏教経典にも書かれているが、中国独特の部分もある。

 密教的解釈からいくと「七星護摩壇」と関係がある。

質問6 捧真身菩薩は膝を立てた姿勢だが、これは身分の低い者が高い者に対してする姿勢である。これは、身分の低い皇帝が、身分の高い仏に対して敬意を表していると解することができるのか?

回答6
 この姿勢自体はよくある姿勢である。座り方自体に上下はない。
 舎利を捧げ持つことが身分の上下を示す。単に捧げ持つことで、この姿勢(「跪座」)をとっている。

質問7 舎利信仰と曼荼羅について、日本では時代が違うが、唐代では、この二つがくっついているのか?法門寺だけか?

回答7
 
法門寺の特徴は、舎利供養のための曼荼羅であること。
 舎利供養は、唐朝における一大イベントであった。30年に1度聖なる函を開け、長安に舎利を迎えた。日本の醍醐寺は50年に1度開けた。

 舎利を迎えることの2つの目的は
(1) 舎利を大げさに迎えることで時代の華やかさを演出する。
(2) 現実の世界のほか、天上の仏世界を荘厳する。

 舎利を迎えることで現実世界と仏世界の二つを荘厳することになる。
 そのための文物が地下に2000件あった。小乗、大乗、密教すべての器物があった。

 開元の三大師とは不空恵果空海の三人だが、すべて法門寺で供養している。
 智恵輪懿宗の国師となった。



 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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