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中国美術展(29) 新シルクロード展 鑑賞記 

1 概要

 兵庫県立美術館で平成17年8月13日(土)から10月10日(月・祝)まで「新シルクロード展」が開催された。
 9月23日にNHKエグゼクティブプロデューサーの井上隆史氏による「シルクロード〜楼蘭・小河墓の謎」という記念講演会が開催された。その講演会の時に観た本展示会の鑑賞記。



 9月に鑑賞したのだが、これを書いている現在(いま)はすっかり記憶も薄れてしまった。図録を頼りに何とか思い起こしていきたい。

 展示会は5部構成となっていた。

 I 楼蘭

 まず、はじめはタクラマカン砂漠東端の「楼蘭」関係を。

 楼蘭故城の西100kmほどの地点に小河墓地は存在する。
 詳しくは、前回の講演会の記事などを参考にしていただきたい。

 そこで発見された遺品の一つが右写真の人物像(前2000〜前1000年)である。
 高さは約3m。胡楊(砂漠に生えるポプラの一種)でできた像である。(写真は、チラシ裏面でも)

 ここでは女性のミイラなども発見された。やはり、詳しくは前回の聴講録をご参照いただきたい。

 


II タクラマカン

 タクラマカン砂漠の南縁にはチェルチェン(且末)、ニヤ(尼雅)、ホータン(于闐)、ヤルカンド(莎車)などのオアシス都市が並ぶ。

 ダンダンウィリク遺跡は、ニヤとホータンの中間あたりに位置する。
 
 出展品として耳目を集めていたのは、嬰児ミイラ(前5〜前3世紀)か。チェルチェンのザーホンルック墓地で出土した。

 両目が黒い石で覆われ、鼻孔には赤い毛が詰め込まれているので、可笑しいんだけど、図録に「生後ほどなくして亡くなった幼子に対する悲痛な心情が滲み出ているかのようである」と書かれているのでツッコミにくい。

 ニヤ遺跡から出土した菱格子文襟巻(ひしこうしもんえりまき。2〜5世紀)は、デザイン上、藍と赤のバランスが良い。(左写真 参照)


 右写真は本展示会のチケット。

 大きく扱われているのは、2002年にダンダンウィリク遺跡で出土した壁画 如来図(7〜8世紀)。
 「西域のモナリザ」という愛称がつけられている。

 



 III 天山南路 

 天山山脈の南麓にはコルラ(庫爾勒)、クチャ(庫車)などのオアシス都市が並ぶ。

 インパン(営盤)墓地は、楼蘭とコルラの中間あたりに位置する。

 左写真のさらに左側が男子ミイラ衣装(墓主着装の衣) 2〜5世紀。

 1995年にインパン(営盤)墓地から出土したもの。

 



 IV 天山北路とトルファン

 トルファンは、天山北路と南路の分岐点である。

 IIのタクラマカンのところで写真が載っているのが、黄金の仮面(5〜6世紀)。1997年にボマ(波馬)古墓から出土したもの。目や眉、ヒゲの所に赤い貴石が嵌め込まれている。

 さて、トルファンのアスターナ墓地から出土したのが、墓主生活図(3〜4世紀)。

 もう何も言うまい。

 3〜4世紀のトルファンに「さくらももこ」がいたとは知らなかった・・・・・・
 う、まいった!

 助けてくれい! 

 う、うぎゃああぁ・・・・・。ただの落書き?

 上のIIIの写真で、男子ミイラの右に立っているトリ人間は、十二支俑(鶏)。8世紀のもので、やはりトルファンのアスターナ墓地から出土した。


 V 西安 永遠の都

 言うまでもなく、西安はシルクロードの終着点。(もっとも、終点は「日本」という考え方もある)

 左写真の上側が、壁画 献馬図。韋貴妃墓の壁画として描かれたもの。韋貴妃とは唐の太宗の妃で665年に亡くなり、翌666年に埋葬された。



 同写真の下側は、胡人騎馬俑。永泰公主墓から出土したもの。永泰公主は、神龍2年(706)に兄の懿徳太子とともに死を賜った。

 右写真は、流れるような造形が美しい(8世紀)。

 

 


 それでは、皆さん、お疲れ様でした。

 

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