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中国美術展(28) 新シルクロード展記念講演会「シルクロード〜楼蘭・小河墓の謎」聴講記その2(完結編)
1 概要 兵庫県立美術館で平成17年8月13日(土)から10月10日(月・祝)まで「新シルクロード展」が開催されている。
9月23日にNHKエグゼクティブプロデューサーの井上隆史氏による「シルクロード〜楼蘭・小河墓の謎」という記念講演会が開催された。その聴講記の第2回(完結編)。
会場前面のスクリーンでは、いよいよ棺の蓋が開けられる映像が流れる。
この女性は、フェルトの帽子をかぶっていました。
そして、老婆の顔は厚くクリームのようなものが塗られていました。
このクリームについては、現在成分を分析中です。防腐剤としての効果があると思われますので、彼らの文明は相当高度なものであったと想像できます。
3000年もの間、美を保ったのですから、もし成分が判明したら、すばらしい美容品ができるのではないでしょうか。
小河墓遺跡は、約70年前、1934年に、ヘディンの片腕ともいわれるフォルケ・ベリイマンによって発見されました。
前面スクリーンには、スウェーデン国立民族博物館に残された、ベリイマン作成の地図の映像が流される。
小河墓遺跡の場所には、「エルデックのネクロポーレ」と書かれています。エルデックというのは、現地ガイドであるウィグル人の老人の名前。ネクロポーレというのは「死者の町」という意味です。
「あそこは、千の棺の眠る町だ」と言って嫌がるエルデックを説得し、案内させ、砂漠をさ迷うこと1ヶ月。河のほとりで見つけたのが小河墓遺跡でした。
しかし、この遺跡は、2000年に中国の調査隊が入るまで、忘れ去られていったのです。
スクリーンでは、現地調査隊を苦しめる砂嵐の映像。砂嵐は三日間続いて、ようやくやんだようだ。
青黒く冴え冴えと澄みわたった、こわいほどの夜。何もない砂漠に無数の柱が立ち並び、その上に十六夜の月が出ている。
一転して、夜中に集合した調査隊の面々。砂嵐による調査の遅れを取り戻すべく、翌朝を待たずに活動を再開したようだ。ベルトコンベアで遺跡の砂を運び、組成を調べているようである。
遺跡の砂には、胡楊の枯葉が大量に混じっていました。約3000年前の葉っぱです。
これは、隊長が遺跡近辺を調査しているところ。タマリスクコーンと呼ばれる丘にのぼって、周りを見ています。
あの、白い所、あの部分が昔、川が流れていた所です。70年前には水があったのですが、今はないのですね。水があったということは、そこには魚がいて、また、その魚を食べる鳥もいたということです。
これは、その川があった部分に落ちていた貝、モノアラガイという淡水貝が転がっていた映像なのですが、実は、私、この貝殻を日本の研究所で時代を調べてもらったんです。
すると、何とおよそ5000年前のものだ、という結果が出ました。私は、せいぜい川があった時代、まあ100年くらい前のものかと思っていたのですが、まったくどんなものがあるか、予想がつかないんですね。
これは、立ち枯れた胡楊のうろの中にあった鳥の巣の映像ですが、この鳥の巣も、いったい何年前のものかわかりません。
これは、柱を1.5mほど掘り下げたところです。枯葉が層のように積もっています。昔は、この周りは林であったのでしょう。そして、草原では牛が飼われていたに違いありません。
新たな棺が発見された。牛の毛皮の下に、さらに羊の毛織物の布がかけられている。
棺の蓋を開けると若い女性のミイラが。
白いフェルトの帽子をかぶっている。まつ毛がとても長い。マスカラをしている現代女性のようだ。帽子の横には鳥の羽根飾りがついている。
顔にはやはりクリームが塗られているが、先ほどの老婆に比べると非常に薄い。
鼻梁が薄く、とても鼻が高い。唇は薄い。およそ160cmくらい。コーカソイド(ヨーロッパ系白人種)で20代と思われる女性。羊の毛織物の服を着て、牛の革の靴を履いている。
調査隊のみんなは「美しい。今でもこれだけ美しいんだから、生きていた頃はどれほど美しかっただろうか」と興奮している。
美女が発見されて、正直嬉しかったですね。実際、おばあさんだけじゃ、テレビ的にどうかな、とも思ってましたんで(会場笑い)
実は、あの棺には底板がないのです。つまり、遺体は砂の上に直接置かれていて、その上に、ちょうど舟を伏せたように棺がかぶせられていたような状態なのです。
小河美女は、NHK新シルクロードHPのビジュアルアーカイブス「楼蘭」のシーン07で。
腰の横のところには、草で編んだ、縦長の壷のような形のバスケットがあった。フェルトで蓋がされている。開けてみると小麦の種籾が入っている。
こうした籠はいくつも見つかったんですが、必ず入っているのは小麦です。ヨーグルトやお粥が入っている例もありました。
これまで確認されていた漢の時代の小麦よりも1000年以上も古い小麦です。このように古い、3000数百年前の小麦が残っているのは奇跡と言ってよいほどのことです。
小麦はトルコのアナトリアが原産といわれています。彼らが小麦文化を中国にもたらしたのでしょうか。
発見された小麦の種籾は、NHK新シルクロードHPのビジュアルアーカイブス「楼蘭」のシーン08で。
1980年に前回の「シルクロード」の時も「楼蘭の美女」と呼ばれる女性のミイラが発見されました。その時も副葬品の籠の中に小麦がありました。
普通なら炭化してしまう筈なのですが、このように完全な形で残ったのは、やはり、その乾燥した気候のためなのでしょう。
私達は、小河の小麦のDNA鑑定をすることにしました。
二つの可能性が考えられます。一つには、もし小河美女の小麦が、中国の小麦と同じ系統のものであれば、小河美女たちが、西ヨーロッパの小麦を東アジアへ運んだ可能性が強くなります。
二つ目に、もし違った系統のものであれば、小河美女たちの小麦が、何らかの理由で中国に伝わる前に断絶してしまった可能性が強くなるということです。
また、小麦については、シベリア系統で中国に伝わり、それが日本へ伝わったという説もあるのです。
私達は、小麦を5粒だけ分けていただき、9月6日にウルムチの農業研究所へ行ってDNA分析をお願いしました。
小麦は原初的なものはマカロニ小麦といわれるもので、現在中国に伝わっているのは、新しいパン小麦といわれるものです。
実は、最終的な解析結果はまだ報告されてないのですが、中間報告を最近知ることができました。実は、この小麦は、いわゆる6倍体といわれる小麦。どうやら、新しいパン小麦のタイプのようなのです。彼女達が小麦の橋渡しをしたという可能性が出てきました。
彼女らはコーカソイドです。漢民族ではないので、中国側の対応は慎重です。ヨーロッパ系民族が住んでいたのだから、ここはヨーロッパの土地だ・・・といった具合に領土問題に発展する可能性があるからです。
人間のミトコンドリアDNAの分析技術が進んでいます。「7人のイブ」という言葉があります。人間はミトコンドリアDNAを、母のみから受け継ぐそうです。この母系の血統をたどっていくと、全人類の祖先は7人の女性に行き着くといわれることから、「7人のイブ」と呼ばれているのです。
男の記録は全く残らないのか・・・そう考えると悲しい気持ちになっていましたが(会場笑い)、最近ではY染色体というもので、男性の血統もたどれるようになってきたそうです。
ユーラシア大陸を5000年くらい前、何世代もかけてヨーロッパからアジアへ移動してきた人々がいるのではないか。人間というのは、固定したものではなく、昔から相当広い範囲で交流してきたのではないか。そう思います。
ワン・リーという美人の歴史学者がいます。彼女が、山東省の臨淄(りんし)、春秋戦国時代の斉の首都ですが、そこで発掘された人骨のDNA分析を行なって、春秋戦国時代に白人の集団が住んでいたと結論付けています。
臨淄といえば、孔子も住んでいた都市です。
この話を梅原猛先生にしたところ、「あれ?知らなかったの。孔子って白人だったんだよ」とおっしゃいました。確かに、孔子は背が高かったようですが。
モノが語るというのが考古学の強さです。いくら文献で考証していても、発掘物が出てしまえば勝てません。
小河墓と、楼蘭王国の間は「空白の一千年」といわれています。文献資料も、発掘資料も出ていないのです。
その間に何があったのでしょう。小河の人々は戦争で死滅したのでしょうか。
小河墓遺跡には墓はあるのですが、住んでいた遺跡がありません。金属器なども発見されていません。
農業はしていたのでしょうか。畑は?灌漑施設は?天水農業だったのでしょうか、採集農業だったのでしょうか?
人工衛星からの画像で人工物がないか解析しています。89分版DVDには、そうした衛星画像も収録しておりますので、どうぞご覧下さい。
この文章を書くに際して、録画していたNHK新シルクロード「楼蘭」を観返してみた。番組ではCGで、小河に住んでいた人々が「死者たちの宮殿」として、この丘を選んだ頃の情景を再現している。(NHK新シルクロードHPのビジュアルアーカイブス「楼蘭」のシーン10)
上部に麻黄を巻いた赤い柱が林立している。牛の頭も架けられている。そして・・・CGにより何千年もの時が一瞬にして流れる。胡楊の柱は立ち枯れ、次々に倒れ、牛の頭骨は地面に落ちる。柱の根元に差されていた何本かの矢も枯れて・・・・・そして、現在の小河墓遺跡の光景(NHK新シルクロードHPのビジュアルアーカイブス「楼蘭」のシーン11)へとつながっていく。
高い技術を感じさせるCGシーンだったが、まるで美しかった女性がミイラになっていくさまを高速度撮影で観ている思いがした。
それでは、皆さん、お疲れ様でした。
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