移動メニューにジャンプ


中国美術展(22) 「唐時代の工芸」聴講記 〜「特別展 大唐王朝 女性の美」〜

1 概要

 大阪市立美術館で平成17年4月9日から5月22日まで「特別展 大唐王朝 女性の美」が開催された。
 また、記念講演会として、5月14日(土)に守屋雅史学芸課長代理による「唐時代の工芸」も開催されたので、その聴講記も併せて掲載する。



 展覧会場最初に目をひくのは、灰陶加彩 女子立俑(山西省長治市 王恵墓 出土。唐 上元3年(676)。高さ50.5cm)。

女子立俑  左写真(展覧会チラシより転載。以下同じ)をご参照いただきたいが、右手を前方に伸ばし指を差す格好。そして、右足を少し踏み出そうとしているような、非常に珍しいポーズの立俑である。

 その近くで、さらに目をひくのが、三彩 女子坐俑(陝西省西安市出土。唐 8世紀初め。高さ47.2cm) 。
 顔の部分の彩りこそあせているが、服装の部分の三彩が非常に鮮やかである。

 胸元が大きくあいて、セクシーな感じ。緑色のハイウェストな裙(くん。もすそ)には、一面に白と茶色の四弁の花模様が施されている。
 前から観ると、この女性は軽く膝を曲げて立っているように見えるのだが、陳列ケースの後ろに回ると、大ぶりな籐座(スツールみたいなもの)に腰掛けているのがわかる。

 変ったポーズ、特徴的な髪型というと、加彩 双環髻女子立俑(陝西省長武県 張臣合墓出土。唐 総章元年(668)。高さ36.6cm)。

 双環髻(そうかんけい)というのは、髪を両側で大きく細い環形に結っているもの。例えて言うと、頭の両側に大きなゼンマイ(発条)のネジを差しているような感じ。
 両手を腹前に揃えて、人さし指だけをぴん!と上に立てている。ダンディ坂野の「ゲッツ!」に少し似ている。
 ウェストは異常に細い。若い頃からコルセットをはめ続け、大人の指ならぐるりと回せそうな、世界一細いウェストの女性というのをギネスブック特集番組か何かで見て「ハチじゃん、これじゃ」と思った覚えがあるが、そんな感じ。
  ハイウェスト(ネックレスのすぐ下あたりにベルト)なのでやたら裙が長く、膝前の前垂れからは左右3本ずつ横に、細い帯みたいなのが出ているので、何かシャコエビみたいに見える。

 横に展示してあった加彩 女子立俑(唐 7世紀後半。高さ37cm。大阪市立東洋陶磁美術館所蔵)も、髪型こそ違うが、服装やポーズはよく似ているので、同館HP(「中国陶磁 漢〜唐」上から5番目)でご参照いただきたい。




 

 続くコーナーでは絵画が多く展示してあった。

 右写真は、石槨彩色 墓主夫妻図(写真は一部分。山西省大同市 智家堡北魏墓 出土。北魏 5世紀前半。高さ132cm、幅256.9cm)。
 「石槨(せっかく)」とは、墓室内で棺を納めるために設けられた石組みのこと。
墓主夫妻図

 また、本展示会のポスター、チラシ、図録の表紙などに使われているのが、仕女図(陝西省長安県 韋浩墓出土。唐 景龍2年(708)。高さ181.5cm、幅171.7cm)。
 チラシの表紙はここで見ていただけるが、チラシではトリミングの加減で本図の一部しか見ることができない。右側の男装の女性が、肩に乗せた鳥に餌をやっているところが確認できないのである。
 よって、リンク切れになるまで、大阪市立美術館HPの本展示会の「主な展示作品」のページに飛んでいただいて、画像を確認いただきたい。
(なお、そのページでは、この仕女図のほか、前掲の女子立俑、墓主夫妻図、そして後掲の仕女図屏風、菩薩立像、三彩七星盤の画像もご覧いただける)

仕女図屏風

 左写真は、仕女図屏風(陝西省長安県 韋家墓出土。唐 8世紀前半。高さ160cm、幅60cm)。

 大きな樹の下でゆったりと片膝を曲げて腰掛けたふくよかな女性が琵琶を奏でているさまを描く。
  この写真には写っていないが、樹の右側には振り返って琵琶の音色に耳を傾けているかのような男性が描かれている。遠近感がむちゃくちゃというか、だいの大人のようだが、この女性のすぐそばに位置しているにもかかわらず、彼女の腰までもないくらいの大きさで描かれている。

 すぐ近くに紙本着色 正倉院鳥毛立女図屏風安田靫彦氏の筆による模写。縦124cm、幅50.8cm)が展示してあり、唐時代の女性の絵画的表現として非常に似ていることがわかる。

  狆(チン)とおぼしき子犬を抱えた加彩 女子立俑(唐 8世紀中頃。高さ48.8cm。京都国立博物館所蔵。画像は、同博物館HPの収蔵品データベースで作品名に「加彩婦女俑(狗を抱く)」と入力して検索すると出てくる)を横目で観ながら、次のコーナーへ。



 次のコーナー最初の横長の陳列ケースには、ずらっと俑が並べられている。 

 後掲の騎馬俑とセットのように並べられていたのが、右写真の加彩 女子立俑(陝西省西安市 金郷県主墓出土。唐 開元12年(724)。高さ25.0〜25.1cm)。

 写真では2体だが、出土したのは4体。
あるある探検隊

 よく似た格好なのだが、顔の表情、髪型、服装の色、柄など微妙な変化がつけてある。
 右上写真の2体は、全体の中から一番かわいいのと、一番○○な二人を選んだような気がする。
 写真が小さくて判別しにくいと思うが、右側がかわいい方。顔の両側でお団子にした髪型もかわいいし、図録にも「朱色地に白い花柄をあしらった披帛が印象的」として大写しになっている。
 なお、披帛(ひはく)とは、唐代の女性が好んだ、両肩にかける帯状のきれのこと。

 一方、左側は、右側の俑は両手を胸前に「きゅん」と抱きかかえるようにしているのに比して、腹前で組んでいる。
 例えて言えば、漫才コンビの「レギュラー」が「ほな、”あるある探検隊”いくで、西川君」、「がんばってや、松本君」なんて言ってる「あるある直前」のポーズに似ている。(←この「例え」で、余計わけがわからなくなった人がいたら、失礼)

 顔も、あごを上に突き出しているので、余計に「何ざます、フン!」と言ってるような印象を与える。

琵琶俑  上掲の立俑と同じ墓から5体出土したのが、左写真の加彩女子騎馬俑(陝西省西安市 金郷県主墓出土。唐 開元12年(724)。高さ34.7〜35.6cm)。 

 5体のうち、3体は琵琶、箜篌(くご。正倉院にも伝わるハープのような楽器らしい。画像は、岡山市立オリエント美術館HPのここで)、腰鼓を手にした演奏俑。

 上写真は、これまた写真が小さくてわかりづらいと思うが、琵琶の俑。

 私が一番おもしろいと思ったのは腰鼓(腹の前に小さめのコンガを横置きにしている)俑。楽器ではなく、帽子がおもしろいのだ。
 頭の上から鳥の首が生えている。鳥の帽子かあ、よくバラエティ番組とかでダチョウのかぶりものとかするよなあ、と思いながら、陳列ケースの裏に回って驚いた。
 頭の上の鳥は孔雀だったらしく、その美しい尾羽根が女性の肩口から背中まで、ちょうどロングヘヤーのようにおおっていた。実際んとこ、頭の上にホンモノの孔雀を乗っけてるとしか見えない。

 加彩 演奏女子坐俑(山西省長治市出土。唐 7世紀後半。高さ14.8〜19.5cm)は、アーチ状に並べて陳列してあったので、オーケストラというか女子十二楽坊みたいな感じだった。(8体しかないけど)

 また、炊事をしている2体の加彩 女子坐俑(山西省襄垣県出土。唐 永徽3年(652)。高さ9.0〜16.3cm)も、おもしろかった。
 一方は立て膝して、両手で箕を持っている。箕といえば竹か何かで編んでつくるのだろうが、その模様が細かく描かれている。

 また、もう一方は上体を深く横に曲げているのだが、図録では「何かを覗くような格好」、「おそらく竃の火の様子を見ている」とある。
 私は、京劇「貴妃酔酒」の臥魚というポーズを連想した。(うちのサイトでは、ここ
  
 あと、このコーナーで興味深いものというと、「本展覧会で日本にはじめて紹介される作例」という三彩 抱鴨壷女子坐俑(山西省長治市 李度墓出土。唐 景雲元年(710)。高さ34cm)だろうか。
 やはり、スツールのようなものに腰掛けている。
 そして、口の広がった、大きな鴨の形をした壷を抱きかかえている。
 右足を曲げて、足の先を左足の膝の所に乗せているので、楽器を抱えて演奏しているようなポーズである。

 あと、先ほど名前を挙げた三彩 七星盤(陝西省西安市 熱電廠二号唐墓出土。唐 8世紀前半。口径16.5cm。画像はここから)などを観た。

 さて、ここまで展示室は連続していたが、ここでいったんロビーに出て、向かい側にある最終展示室へ。

 


 さて、最終展示室は、大き目の彫刻や石像が中心。

 ひときわ目を引くのが、右写真の石造 菩薩立像(山西省五台県 竹林寺址出土。唐 8世紀。高さ106.0cm)。 
 現在は茶色っぽいが、白玉石(白大理石)だから、当時はまばゆいばかりの壮麗な菩薩像だったのではないか。

 過剰とも思えるほど豪華な装飾である。お顔がないのが、非常に残念であった。
菩薩立像


 あと、この部屋では道教三尊像が3体ほど展示されていたのだが、「女性の美」というテーマとの関連はどうかな?と感じた。まあ、メインではないにせよ、女性らしき姿は見受けられるのだけれど。



 1時半から、守屋先生(中国の陶磁器ゼミナールでお世話になった)の講演があった。

 ごく簡単に、要点のみを記して、終わりとしたい。

唐時代の工芸

1.はじめに
 日本人における「唐」のイメージ→シルクロード、西方の隊商が運んでくる金銀器、ガラス器。豪華な宮廷生活など、日本人にとってはあこがれの対象。

2.「唐」とはどのような国か
 岡田英弘『中国文明の歴史』によれば、後漢期の中国の総人口は約5000万人だったが、三国鼎立期には約10分の1に激減。それまでの純然たる漢民族は絶滅に近い状態となり、北方異民族が入り込んできた。
 隋も唐も鮮卑族をベースとした王朝である。

 北方民族の特性からか女性の騎馬俑に象徴されるような、男女の倫理がかなり自由となった、男まさりの女性が活躍した時代といえる。

(石野注 ↓ここから)
 図録巻末の解説でも、唐時代の女性の服装で一般的なのは裙襦装(くんじゅそう)だとある。
 つまり、上は襦、下は裙を着けるのだが、襦の上(時には下)に「半袖」(又は「半臂」)と称する袖の短い上着を着て、両肩には披帛をかけることが多い。そして、裙は上端を胸元で着け、下端は引き摺るほど長く、爪先が反り上がった履(くつ)をはく。
 そして、唐時代の、とりわけ前期に顕著な特徴として「襦は体にぴったり合い、時には胸の谷間まで見せている(挿図5)。これは中国の歴史上、他のどの時代においても許されなかったファッションであり、唐時代の女性たちの大胆かつ開放的なさまを反映したもの」とある。

 ここでいう挿図5とは、永泰公主墓壁画のこと。図録巻末の挿図は白黒でしかも小さかったので、よくわからなかった。たまたま以前古本屋で「唐代壁画展」(福岡市博物館)の図録を買っていたので、それを観ると、たしかにそうであった。
 また、先ほどは触れなかったが、石槨線刻 仕女図 拓本(山西省万県 薜儆(へきけい)墓出土。唐 開元8年(720)。高さ125cm、幅60cm)の解説でも「胸元にはY字状の曲線があり、胸の谷間が表わされている」とある。
 胸の谷間、胸の谷間と繰り返して申し訳ない。
(注 ↑ここまで)

3.唐代工芸の諸相
(1) 金属器
 蝋型鋳造(隋代に広く普及)、響銅器(轆轤(ろくろ)技術)、金銀の鎚鍱(ついちょう)技術、螺鈿など。
 鏡:姿見などの日常生活品。後漢鏡と称されることが多い。鏡背の文様は、漢代は「四神」など神仙思想を反映したものが多かった。
 唐代以降は、唐草文、宝相華文、海獣葡萄文など西方伝来の文様が増えてきた。また、狻猊(さんげい)文、双鸞(そうらん)文、鳳凰文、龍文なども多かったが、安史の乱以後衰退した。

(石野注 ここから↓)
 響銅とは、いわゆる「さはり」であり、砂張とか佐波理とも書かれる。銅、錫、鉛の合金だから、要するに青銅である。
 鋳造後の整形に轆轤挽きの技術を用いるのが特徴で、敲(たた)くと響きのよい音がするそうだ。
 平成11年に和泉市久保惣記念美術館で「特別展 中国の響銅(さはり)」が開催されている。(私は行ってないのだが、たまたまチラシだけ持っている)
(注 ここまで↑)

(2) 陶磁器
 南北朝〜隋:華北の青磁など
 唐:白磁・白釉(河南省鞏県窯(きょうけんよう)、河北省邢(けい)窯など)、三彩(河南省黄冶(こうや)窯、陝西省醴(れい)泉坊窯、耀州窯など)、黒磁(鞏県窯など)、越州窯青磁、長沙窯青磁・緑褐彩、四川省邛崍(きょうらい)窯青磁・緑褐彩など。

※ なお、各窯の位置については、私(石野)のサイトのここで。



 それでは、皆さん、お疲れ様でした。

 

inserted by FC2 system