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中国美術展(20)「中国国宝展」鑑賞記Part6

1 概要

 平成17年1月18日から3月27日の会期で、国立国際美術館(大阪・中之島)において「中国国宝展」が開催されました。
 平成17年1月29日(土)の「中国考古学の新発見」という記念講演会、2月11日の関西オフ会のレポを兼ねてご報告します・・・・・の第6部。


2 仏教美術 三 仏教の隆盛 隋・唐・五代十国・北宋

 それでは、目についたものを適宜紹介する。 

(116) 二仏並坐像 隋・大業2年(606)

 河北省唐県北伏城出土。

 正面の光背を背にして釈迦と多宝の二仏が坐っており、そこに四脚の台座が二段にわたってついている。

 下段の四脚座には上部に六つ、前部に三つ穴が開いており、上部の穴には小さな菩薩、供養者、比丘計5体が差し込まれており、前部中央の穴には「地天が支える香炉」が一つ留められている。

 携帯用組み立て礼拝セットというような感じである。造りはかなり雑な感じで、そういった点でも、自宅でじっくり礼拝するというのではなく、旅先でちゃちゃっと組み立てて拝むってな感じを受ける。

 「各所に見られる仕上げの荒さは、隋の小金銅仏にしばしば見られるもので、多大な需要に応じるために手早く大量に制作しようとした一種の便法」ではないかと図録には書かれている。



(118) 薬師如来坐像 唐・8世紀

 陝西省麟游県九成宮鎮太平寺址出土。

 見学後のメモを見ると「118 ハチミツ」と書いてあった。何せ鑑賞オフ会があってからもう2か月もたっているので、これが何を意味するのかよく覚えていない。じっくり考えてようやく思い出した。

 この仏像の顔、誰かに似てるなあ・・・・・・・
あっ、「東京ダイナマイト」のハチミツ二郎だ、と思って、「ハチミツ」とメモしたことを思い出したのである。

 ちなみにハチミツ二郎といってもご存じない方がいるかもしれない(多分、かなり多い)ので、右に写真を挙げておく。

 なお、右写真は「ハチミツ二郎のファスティング日記」から転載しました。
 
ハチミツ二郎

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(120) 如来坐像 唐・景龍4年(710)

 山西省芮城県風陵渡東章出土。

 118の、ぎゅっと顔面中央に目鼻だちが集まったような感じの顔に比べると、目は非常に切れ長で、図録にいうようにおごそかといえばおごそかなのだが、ややパターン化したような印象も受けた。

 公式サイトに画像あり。
  チラシ表面及び裏面参照。


(124) 馬頭観音菩薩坐像 唐・8世紀中頃

 陝西省西安市安国寺址出土。

 何が残念だと言っても、馬頭観音なのに頭の上の「馬頭」が欠損してしまっているのが残念でならない。

 同じく(125)の宝生如来坐像(ほうしょうにょらいざぞう)も安国寺址から出土した仏像なのだが、これは首から上がそっくり欠損している。さらに蓮華座の下に有翼馬が7頭彫り出されているのだが、これらの馬の頭も欠損しているのである。みんな無いんかなあ・・・と思って像の裏手に回ったら、辛うじて1頭だけ「頭」が残っていた。



(133) 阿嵯耶観音立像(あさやかんのんりゅうぞう) 南詔末〜大理・10〜12世紀

 雲南省大理市崇聖寺主塔出土。

 かなり個性的なお姿である。
 「高い髻(もとどり)、平板な顔立ち、両手の印相、ややしぼった腰、直立した両足に裳(も)を密着させて裾をわずかに左右に広げる形、規則的に刻まれた衣文線、U字形に垂れる裳紐などで構成される像容は、中国の他の地域ではみられない」とある。
 あと、上半身裸なのか乳首がぽっちり浮かび上がっている点も印象的である。

 公式サイトに画像あり。
  チラシ表面及び裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。



(135) 阿弥陀経断簡(あみだきょうだんかん) 唐・9世紀

 浙江省麗水市龍泉塔出土。

  経文が下半分にみごとな楷書で書かれており、上半分にはその内容、具体的には、上段右に阿弥陀三尊、中央手前には七宝池などが描かれている。
 私は中国語はわからないのだが、この文章は阿弥陀経の一部なんだろうか。池底には金沙があって、池の周りの四辺(確かに池は四角い)には金銀「瑠璃頗梨」(るりはり。「玻璃」とは書かれていない)からなる階道が・・・なんて書かれているようで、えらい説明的な文章だなあと思い、図録にいうように経文の内容を図示しているのでなく、絵の内容を文章で解説しているように思ってしまった。

 公式サイトに画像あり。
  チラシ裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


2 仏教美術 四 仏舎利の信仰 唐・五代十国・北宋

 
いよいよラストコーナー。
 仏舎利(釈迦の遺骨)への信仰は、釈迦入滅(前5世紀頃)直後から認められ、唐代などは国家をあげて仏舎利への尊崇熱が高まり、五代十国から北宋の頃はアショーカ王(前3世紀)にならい、小型の仏塔を多数建立して舎利を祀ることがよく行なわれたそうである。
 ・・・・・・骨、なんぼほどあんねん?と思わないでもない。



(138) 舎利容器 五代十国・10世紀

 甘肅省霊台県寺嘴出土。
 中国の棺の形をしているとのことである。蓋は傾斜している。

 身の一方の側面には涅槃が描かれている。釈迦の周囲の人物はポーズや表情をみても、(90)五層四面塔のそれとは違い、確かに嘆き悲しんでいるように見える。
 もう一方にはバラモンや楽人が配され、トゥルファン・ベゼクリク石窟の「涅槃を喜ぶ外道の姿を表わす」『衆人奏楽図』(東京国立博物館所蔵)を想起させるそうだ。

 (90)の「バンザーイ」は、ひょっとすると、その「涅槃を喜ぶ外道の姿」ってやつなんだろうか?いや、そもそも「両手をあげるバンザイ」ってのは、当時も歓喜の表現だったのだろうか???

 公式サイトのミニギャラリー参照。



(140) 長干寺舎利容器(銀) 唐・9世紀

 江蘇省鎮江市甘露寺鉄塔出土。
 側面に変な鳥のような人間のようなものが配されている。これは迦陵頻伽(かりょうびんが)というものらしい。
 何でも上半身は菩薩、下半身は鳥とのこと。しかも、この140の迦陵頻伽は、頭が二つあって、「たいへん珍しい姿」とある。


 公式サイトに画像あり。


(144) 銭弘俶八万四千塔(せんこうしゅく はちまんしせんとう) 五代十国(呉越)・顕徳2年(955)

 浙江省金華市万仏塔塔基出土。

 図録から転載する。
「呉越国は五代十国の一つで、銭弘俶(在位948〜978年)はその第9代王である。同王は仏教を篤く信仰し、中でもインド・マウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)が行なった造塔故事に倣って、八万四千の宝塔を作ったことで名高い。この作品はその1つ」

 呉越国の銭氏といえば、先年、「中国の陶磁器ゼミナール」を受講したおりに読んでいた『中国陶磁の八千年』(著:矢部良明。平凡社)で、小山富士夫氏は越州窯秘色青磁と銭氏の庇護を関連付けているが、それは誤りではないかと提起していたことで名前を覚えた。それと「呉越」というとどうしても春秋時代の「呉越同舟」が頭に浮かんでしまうので、その両国がセットになった「呉越国」という国名が奇異に感じられたことで余計記憶に残る。

 塔自体の出来は、というとけっこう粗いものである。


(151) 描金堆漆舎利箱 北宋・慶暦2年(1042)

 浙江省瑞安市慧光塔出土。

 堆漆(ついしつ)という、「漆と泥土、木粉などを混ぜ合わせて型に入れ、そうして形作った文様を器表に貼り付ける」珍しい技法で菊花文が流麗に表現され、要所要所に真珠も配された、実に華やかな、深い蓋付きの箱で、中には(150)の銀製鍍金の七重塔などが収納されていたそうだ。

 公式サイトのミニギャラリー参照。

 なお、慧光塔の出土品で同じく堆漆の技法によるのが(152)の描金堆漆経外箱で、その中に(153)の描金経内箱が納められ、さらにその中に(154)の金字宝篋印陀羅尼経(きんじ ほうきよう いんだらにきょう)が納められていたとのことである。



 講演会もオフ会も実に楽しかった。オフ会参加の皆さん、また、この鑑賞記を読んでくださった皆さん、お付き合いいただいてどうもありがとうございました。

(注 今回、公式サイトのミニギャラリーというコーナーでたくさん画像が出ていたので、これまでの回にも遡ってリンクしました。そのうち、公式サイトも閉鎖されて、こうした画像もリンク切れになると思われるので、できるだけお早めにご覧下さい)

 

 

 

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