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中国美術展(14)「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」Part4

1 概要

 平成17年1月5日から2月13日の会期で、大阪市立美術館において「特別陳列 館蔵 中国書画名品展」が開催されました。
 平成17年1月15日(土)の午後2時から学芸員の方によるギャラリートークがあったので、その内容も含めてレポートいたします・・・・・の第4部(完結)。


2 清代以降の書画

 
時間切れで学芸員さんのギャラリートーク(解説)はなかったので、解説はもっぱら『選集』の記載を中心に。


(1) 書画合璧 清・順治6年(1649) 

 王鐸(1592〜1652)の作。
 王鐸については、ある講演会記録の中に、なかなかおもしろいことが述べてある。そうか、王鐸は黄道周とか倪元璐と並べてはいかんのか。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P52所収。


(2) 山窓寄傲図(さんそうきごうず) 清・順治14年(1657)

 作者は祁豸佳(きちか。1594〜1676)。
 画題は陶淵明の「南窓に倚りて、以て傲を寄す」をふまえているそうだ。
 また、「祁豸佳の画法の特色は、主山に柔らかく引かれた披麻皴」とある。確かに披麻皴でも細い線を執拗に描き連ねられると煩わしい感じがするが、本作は淡くていい感じである。

 『選集』P63所収。


(3) 断崖飛帆図 

  傅山(ふざん。1605〜90?1607〜84?)の作。解説では、題で「古人でこのように粗劣な樹をかくものがあろうか」と述べているが、これは「保守的な権威を無視し、老年に至って達した無碍の境を披瀝したもの」としている。

 ま、書でいうと「狂草」というとこなんでしょうか。
 有名な人が描いたものという先入観を抜きにしたら「何や?これ」となるのではないか。画面左下の樹なんか、本人解説の通りだと思うし、高楼みたいなのは何だか「塗り絵」っぽいし、崖のてっぺんに帆舟が浮かんでるし。

 関係作品は、例えばここから。

 『選集』P65所収。


(4) 秋景山水図 清

 作者の査士標(1615〜98)は、「中国絵画史ノート」というサイトによると、査昇査慎行とともに「三査」とよばれているそうだ。何にでも「三大〜」とかがあるものだ。

 画面中央部の赤と緑が目をひくのだが、赤い葉っぱの樹と、緑の葉っぱの中央で真っ直ぐ伸びてる樹が何かもひとつだなあ。画面手前の樹の根元の岩の感じは好きなんですが。

 『選集』P63所収。


(5) 看竹図 清・康煕21年(1682)

 作者は毛奇齢(1623〜1716)。画面右上には「〜倪瓚」とあり、その横には「〜毛奇齢」、絵のすぐ右上には「〜施閏章」、画面左下には「〜尤侗」とある。この4人は同期生だそうだ。毛が描き、あと3人も言葉を添え、木文という人物に贈った作品だそうである。

 彩色はない。いかにも水墨画!って感じで、さらさらっと描いたようでもあり、それでいて、高士のポーズは、右手に扇を持ち左手は右膝の上、そして脚を組んでいるさまが上手く表現されている。この絵は好きです。

 『選集』P65所収。


(6) 彩筆山水図 清

 会場資料で朱耷の作とあるが、八大山人(1624〜1705)という名前の方がはるかに有名だろう。彼は、「中国絵画史ノート」というサイトによると、明太祖朱元璋の16子寧王朱権の9代目とある。明朝滅亡後出家したが55歳で発狂、八大山人と名乗ったのは59歳のときだそうだ。
 「その技法、表現はともに旧来の伝統を否定したもの」とある。詳しくはわからないのだが、濃く短い横線で、強く「刻み」をつけるようなタッチは特徴的だなと感じた。

 『選集』P64所収。


(7) 葉鶏頭図 清・康煕15年(1676)


 王武(1632〜90)の作。「花卉図冊」の一部。

 『選集』P67所収。

(8) 木蓮・木瓜図 清

 本図の作者ツ寿平(うんじゅへい。1555〜1636)は、「四王呉ツ」と並び称されているが、その中でも特に高名だそうだ。(「四王呉ツ」の詳細については、またまた「中国絵画史ノート」というサイトを参考にさせていただいた)
 チラシ表面でも大きく扱われるなど、本展においての「イチオシ絵画」という感じだ。(『大阪市立美術館蔵品選集』の表紙にもこの絵が載っている)

 確かに美しいのだが、私はその横に展示されていた「芙蓉図」の方がもっと好き。残念なことに『選集』にも、美術館サイトにも載っていない。
 こちら(「牡丹図」)が、イメージ的には似ている気がする。
 画法としては「没骨(もっこつ)の写生的な花鳥画」とある。輪郭線をとらずに花弁の色の組み合わせで、実に写実的かつ美しく表現しているのだ。

 『選集』P67所収。


(9) 倣巨然聴泉図 清・康煕22年(1683)

 「きょねんちょうせんずにならう」と読めばいいのだろうか。作者は(おうがい)。巨然とは、元代の偉大な山水画家。(「中国絵画史ノート」というサイトを参考にさせていただいた)
 この絵の披麻皴は、線が細かすぎてあまり好きじゃない。

 『選集』P68所収。


(10) 寒食図 清

 「東坡時序詩意図冊」という、蘇軾の詩から季節に関係するものを選び、詩と画をかいたもの。
   寒食は冬至後105日目で、前後3日間は火を焚くことを禁ずる。これは介子推
の抱木焼死の故事に由来するという説がある。(参考として、こちらのサイト。介子推については、うちのサイトの名セリフにも有り)
 本図は、山中での宴会風景で、けっこうほのぼのとした感じがする。書は筆勢が強いなあと感じた。

 
作者は(せきとう。1641〜?1642〜1707?)

 『選集』P66所収。

(11) 藤花山雀図 清

 作者は蒋廷錫(?〜1732)。解説に「流れるような柔らかい筆線で形どり、それに淡彩をほどこした花鳥図が多く、本図のように藤や小禽を精緻に着彩し、写実的に描いたものは数少ない」とある。
 藤の花の色合いが理屈抜きでとにかく美しい。

 「上部に乾隆帝の御題があり」とある。さすが、実に立派な書である。

 『選集』P75所収。


(12) 天保九如図 清・康煕47年(1708)

 天保九如とは、『詩経』の「天保」という詩で、天子の徳を「山の如し」など9種類に喩えたもので、画題として好まれた。
 作者は高其佩(こうきはい。1672〜1734)。
 本図は「指頭画で描いた」とある。指の腹や爪で描いたのだろうか。緑色の淡彩が柔らかくて、観ていて心地良い。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P68所収。


(13) 秋声賦意図 清・乾隆20年(1755)


 作者の華嵒(かかん。1682〜1756)が、唐宋八家の欧陽脩「秋声賦」を描いたもの。画面中央の遠山は皴法などを用いず、薄墨でぽわ〜んと塗られている。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P69所収。
 

(14) 草堂芸菊図 清・雍正5年(1727)

 作者の高鳳翰(1683〜1749)は、揚州八怪の一人とされることもある。晩年右手が麻痺したが、以後左手で描いたそうだ。

 『選集』P70所収。 


(15) 風荷図 清

 作者は李鱓(りぜん?1686〜1762?)で「揚州八怪のうちでも特に放埓奇行の士」だそうだ。
 そう言えば、上の書の字も、風に翻る蓮の絵もこだわらずに、一気にかき上げたもののように見える。

 『選集』P72所収。


(16) 仙子漁者図 清

 作者の黄慎(1687〜?1768?)も揚州八怪の一人。
 釣れた魚を左手に提げ、嬉しそうな白髪の老人。

 なお、上掲の高其佩、華嵒、高鳳翰、李鱓、黄慎については、「中国絵画史ノート」を参考にさせていただいた。

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P73所収。

 

(17) 春元瑞兆図 清

 斜めに傾いた岩。紅梅にのぼっている白猿を見上げる高士。侍僕の一人は雪の上に落ちた紅梅を拾っている。写実的ではなく、装飾用として様式化された描き方であるが、確かに目をひく出来である。
 
 作者は宮廷画家の金廷標

 『選集』P74所収。


(18) 古木寒鴉図 清・乾隆21年(1756)

 作者は蔡嘉。清流の脇の古樹。画面手前は淵のようになっており、広い空には鴉の群れが飛んでいる。
 余白が効いた構図だなあと思う。

 『選集』P74所収。


(19) 虞山草堂歩月詩意図(ぐざんそうどうほげつしいず) 清・嘉慶18年(1813)

 右下写真のように、本展のチケットに使われている。

 画面左上には自作の七言律詩が書かれている。虞山の草堂で過ごしたある日に詠んだもの。門を開いて、帰る客を見送る。
  「歩月」とは文字通り、月影を踏みながら歩くこと。

 画中の青や朱の淡彩は、作者の銭杜(?〜1845)が画法を学んだという文徴明(1470〜1559。明の四大家で呉派の領袖)の作品に多く見られるそうだ。

 美しい絵なのではあるが、巨大な太湖石の描き様は、まさに「執拗」という表現がぴったりである。
チケット

 

 画像は市立美術館サイト解説ページ。『選集』P76所収。


(20) 観蓮図 清・道光21年(1841)

 解説に「池に舟を浮かべ蓮を鑑賞しているのは、宋の儒者、周茂叔であろう」とある。
 狩野正信筆の「周茂叔愛蓮図」(東京国立博物館収蔵。国宝)があるくらいで、蓮といえば周茂叔と決まっているようだ。

 緑や朱の淡彩が多用されており、非常に明るいというか、けっこう平面的な感じもする。
 作者は沈焯(しんしゃく)。

 『選集』P77所収。


(21) 田家秋光図 清・光緒29年(1903)

 画面右上に「写秋光先到野人家句意」とある。すなわち、陸游(りくゆう。1125〜1210。南宋の詩人で、秦檜生存中は冷遇された)の「城市尚お余る三伏の熱 秋光 先ず到る 野人の家」という詩句の意を描いたもの。
 解説によると「街には真夏の暑さが残っているが、秋の気配は野人の家に先に来ているという意を描いた〜わずかな自然の変化を伝え得た爽やかな佳作」とある。
 野人といっても、浦和レッズの岡野(←古い!)や新日本プロレスの中西ではないのだから、人里離れた草庵に住む人とかいう意味なのだろうか。
 おじいさんが左手でヒゲをひねくりながら立っており、右手は孫らしき小さな子と手をつないでいる。その幼児は団扇を持っているから、「秋」という感じは、私はあまりしない。
 作者は倪田(げいでん。1855〜1919)。

 『選集』P78所収。


(22) 山水図 中華民国3年(1914)

 題に書かれた「独樹老夫家」とは、唐の杜甫が詠じた五言律詩の一句なのだそうだ。筆の運びにスピード感があり、いいと思うのだが、ちょっと樹葉のところに用いられた濃墨が目につきすぎてしまうように感じた。
 作者は呉昌碩(ごしょうせき。1844〜1927)。詩・書・画・篆刻の四絶を極めたとされる。詩と篆刻はわからないが、書はこの図の左上に書かれているような勢いのある行書の手蹟が多いようだ。例えば多木洋一さんという書家の「書を楽しむ法」に別の作品が載せられている。

 『選集』P77所収。


(23) 山塢雲帰図(さんおうんきず) 中華民国3年(1914)

 山塢雲帰とは「山のくぼんだ所に雲のただよってくる様」をいうそうだ。
 別に倪瓚様式とまで言わなくて良いのだろうが、手前に疎林があり、水を隔てて向こうの山には石段が刻まれており、中腹に山門があり、その先、谷に面したところに建物が見える。
 そして、さらに向こうの連山との間の谷に、雲が吹き寄せられ、ちょうどその建物の前あたりは濃密にたちこめているようだ。
 心なしか、雲を運ぶ画面右手から左手に吹く風によって、樹々の葉も左へゆらいでいるように思える。
 作者は陸恢(りくかい?1851〜1920)。文化遺産オンラインというページに、別の山水図が載っていた。

 『選集』P78所収。



 大阪市立美術館の所蔵品だけで構成された展示会ということだったが、なかなか良品が多かったように思え、楽しかったです。

 

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