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中国美術展(1) 「故宮博物院 黄金の至宝展」

1 黄金きらきら博物館

 平成13年6月23日、その日は朝から雨模様であった。
 JRの三宮駅に降り立つ親子が2人。誰あろう、私と長男(小五)である。
 目指すは神戸市立博物館。「北京故宮博物院 黄金の至宝展」が開催されているのだ。

 私達一家は、この8月、北京に旅行する予定である。

 本場に行くのに、なぜ日本で見なければならないのか?そうお考えのお方もおられることだろう。
 この展示会、JR各駅に赤と金のいかにも中国テイストのチラシ(右及び下の写真。Aー1などの文字は筆者が追加)が配置されて以来、気にはなっていた。

 それに、大阪へは、「中国文明展」とか「国宝展」が来なかったので、せめてこのくらいは行きたい、とも考えた。

チラシ表面
ちらし裏面  加えて、本展示会は会期が7月8日(日)まで。それから、北京に送り返したとしても、整理期間や何やらで8月の故宮には展示されないのではないか、と考えたのである。

 改札を出ると、駅員さんがJスルーカード(JRのプリペイドカード)等の出店を出していた。
 この展示会の前売券(写真)も売っている。
 今日買って、今日使っても可、ということなので、さっそく購入。
 

  大人1000円のところ850円、小学生400円のところ300円也。

 駅から10分も歩かずに博物館に到着。「3階へ」とのことなので、エレベーターであがる。
 降りたところに、解説用テープレコーダー貸し出し550円という受付があった。とりあえず無視して、中へ。

 入って正面にあったのが玉座の景観。(写真A−1)。

 中心となるのは、玉座(う)と衝立(あ)であって、いずれも荷花という伝統的な装飾文様が施されている。
 両脇の宮扇(い)は、高さ約3m。
玉座説明用図面

 雲龍文の施された香机(え)の上に乗せられているのは、「太平有象」という、宝瓶を積んだ玉製の象(お)。
 紫檀の机に乗っているのは、「ろく端(たん)」という伝説の神獣をかたどった碧玉の香炉(か)。

 両脇の碧玉香筒(き)は、雲龍文が透かし彫りされ、内部に置かれた香が馥郁と香るようになっていたらしい。
 下の敷物(く)は、地毯(ちたん)という。縦横とも、おおよそ4.5m。
 玉座の前には脚踏という足置きの台(け)が置かれている。
 なお、わかりにくいが玉座の上には、肘置きのクッションが置かれ(写真では、「う」の字の両脇くらい)、さらに向かって右のクッションの前には、青白玉の如意(おおざっぱな言い方だが、靴べらみたいな形をした皇帝の玩具)、そして左のクッションの前には、厚く紅漆を塗り重ね、精巧な彫刻を施した美しい入れ物が置いてある。これ、「彫漆痰ごう」といって、要は痰壷である。

珍妃の金印  左から回ると、珍妃の金印(写真B−2。データ→※参照)などの入ったショーケースがあった。


※ 金印「珍妃之印」(きんいんちんきのいん。清・光緒年間(1875〜1908)印面11×11cm、総高11.5cm、紐高8cm。亀のつまみ。印文は満文と漢文の篆書)

 その奥が乾隆二十九年編鐘。神社の鳥居みたいなものに、金色の鐘が8個ずつ2段、計16個ぶら下がっている。
 鐘の大きさ、形は同じだが、厚みによって音階が付けられているそうだ。ああ、たたきまくりたい!
 ショーケース右手、先ほどの玉座の裏手にあたる部分に、寝室(写真B−1)の展示。

 睡蓮の絵は写実的で、落ち着いた雰囲気だが、寝台のところの幔幕や布団、枕なんかの派手さときたら・・・・・

 その前には、仏堂の景観ということで、チベット仏教、俗にいうラマ教の絵画や仏像等が展示されている。

寝室
宝石仏塔  それを見ながら少し進むと、期せずしてみんな一様に「おおっ」と歓声が。  

 金造珍珠宝石仏塔(写真B−3。データ→※参照)である。

※ 金造珍珠宝石仏塔(きんぞうちんじゅほうせきぶっとう。清・乾隆年間(1736〜95)高さ139cm、幅65cm)


 観る者をして思わず声をあげさしめるのは、その圧倒的なでかさである。
 なんと高さ139cmだから、小学生くらいの大きさはある。ちょっとチラシからは想像できないボリューム感。
 図録によると金三千両(何kgくらいなのだろう)を使ったとのことだ。


 でかいといえば、先ほどの金印もでかかった。
 横のカップルが「日本でも金印出たやん、九州の方で。あれも、こんなにでかいんやろうか」と言っていた。


 志賀島で発掘された「漢委奴国王」の金印ですね、 福岡市立博物館に展示されてるけど、あれは逆にびっくりするくらい小さいでえ。そう言ってやりたかった。
 日本のは、およそ2.3cm角。初めて見た時は、気抜けするほど小さく感じた。
  指でちょいとつまんで押す感じ。
 一方、今回の金印は金龍紐「広運之宝」印は約18cm角(珍妃金印でも11cm角)である。ちょっと片手じゃ押しにくいだろう。

 大きさでいくと、玉座は、まあ人が座るならあんなもんやろうという常識的な大きさだった。
 寝台なぞは、逆に、「やけに狭いな。金襴緞子でまばゆいけれど、カプセルホテルみたいやな」と感じられた。

 さて、その金印にせよ、この宝塔にせよ、金の「かたまり」の形で、しかも予想を上回るボリュームがあるということが、強いインパクトを生むのだと思う。

 その右手に展示されていたのは大威徳金剛壇城。非常に手のこんだジオラマというか、ドールハウスのようである。
 上部は精密な仏殿の建築模型。
 下部は、火焔墻、八大寒林、八大菩薩などがめぐらされているそうだが、いろいろな動物のミニチュアが人間(のミニチュア)をかじってたりする。
 チョコエッグの収集家なら、たまらんぜい!という感じである。

 そこをさらに右手に進むと、黄金の仏像が2体。文殊菩薩像四臂観音菩薩像である。
 よく細工が見えるようにと、本体と台座を分けて展示してるところは親切であるが、説明がないので、横の親子連れなどは「(あの仏像は)落ちたんやろか?」と悩んでいた。

 その右に第2の宝塔、金造嵌松石碧璽仏塔。これは、「週刊ユネスコ世界遺産故宮/万里の長城」(講談社)にも掲載されていたもの。
 高さは72cmで、まあ机上サイズ。(重さは28kgもあるそうだが)
 まあ、こんなとこが常識的な大きさか。
 デザイン的には、なかなかまとまりが良く、青い大きな宝石等が大胆に配置してある。塔頂の日月宝珠が印象的だ。

 長男は「お父さん、これええなあ。ぼく、これが一番気に入ったわ。さっき、よう似たやつあったやん。でも、こっちの方がええわ」と、いたくお気に召した様子。
 「そうか。でもな、まあ君。あっちのんと、こっちのんと、どっちか一つをあげますゆうたら、どうする?」
 息子は、しばらく考えこんでいたが、「やっぱ、おっきい方にする・・・」
 なかなか正直な息子である。

 あと、金の透かし彫りの円い器を観たら、元の玉座の所に戻ってしまった。えっ?これで終わり・・・?と思ったら、2階へお進み下さいとのことであった。

粉彩九桃瓶  階段を降りると、図録や絵葉書などの販売コーナー。そこを進むと第2展示場。

 入って右手が、朝袍(ちょうほう)や帽子、宝冠など。


裏焼き疑惑??

 左手は、首飾りやベルトなどの服飾品。さらには、花挿しや食器などが展示されていた。

 左は、粉彩九桃瓶(写真B−5。データ→※参照)である。

※ 粉彩九桃瓶(ふんさいきゅうとうへい。清・乾隆年間(1736〜95)高さ50.9cm、口径11.3cm、底径17.6cm。俗に「天球瓶」と呼ばれる形)

 ところで、右は「週刊世界の美術館 故宮博物院」(講談社)に、やはり粉彩九桃瓶として掲載されていたもの。ただし、「世界〜」の方は、「故宮博物院/台北」とある。で、この展示会は、「北京故宮博物院〜」となっている。

 そこで、宣和堂さんとこの掲示板で、故宮の番人宣和堂さんと、古美術の権威山科さんとに、以下の質問をぶつけてみた。
(1) 九桃瓶は北京故宮と思っていたら、台北故宮とする雑誌もある。
からくり時計

 これは、どちらかが誤りなのか?それとも、両方正しい、つまり、複数あって、両博物院に展示されているのか?

(2) デザインの絵を見ると、どうも左右対称というか、両方の瓶の図柄は、真ん中に鏡を立てて見ているかのようだ。
 こんなことは有り得る話なのか?それとも、私が疑っているように、どちらかの写真が裏焼きされたのではないか?

 結論からいくと、(1)については、優れたデザインのものは、複数造られても不思議ではないとのこと。
 それと、現在台湾で暮らしておられる川魚さんの情報によると、台北の故宮博物院で、複数見たとの情報もいただいた。どうも、いっぱいあるらしい。

 また、(2)について、わざわざ左右対称のデザインにするのは、あまり聞いたことがないので、やはり「裏焼きしたのでは?現物を知らなければ、写真を裏返しに焼いても気付かないからね」とのことであった。
 ちなみに、本会場で販売していた図録では、このチラシに掲載されていたのと同じ写真が用いられていることを申し添えておきたい。

 この他に、大きなからくり時計などもいくつか展示されていた。
 上の時計(写真B−4。データ→※参照)も、その一つで、蓮の花弁が開き、中から西王母、そして彼女に桃を献じる童子と白猿が現れるというものであった。
※ 掐絲琺瑯荷花缸鐘(こうしほうろうかかこうしょう。清・乾隆年間(1736〜95)高さ118cm、直径49cm)

 さて、全般的に気になった点として、説明用テープレコーダーの貸し出しをしていたせいか、それを持っていない女性カップルなどが「なんか、説明が少なくて、わかりにくいわあ」と言っていたことがあげられる。

 確かに説明文はやや少な目だったかもしれない。
 しかも説明文の掲示が導線と逆(展示物を見終わった辺に掲げてある)なケースがいくつかあったので、よけいそんな印象を受けたのではなかろうか。

 逆によかったのは、ところどころ「小学生向け」と題して、「ふたの所にコーモリがいるの、わかるかな?」なんて、クイズ仕立ての鑑賞時のヒントが出ていた点。

犠尊
 大人にも充分参考になるもので、例えば、でっかい(口径43cm)金ぴかのたらい、「金刻花面盆」の所には「かわいい金魚がいるよ」と出ていた。
 大人が次々そのたらいの前で立ち止まり、しげしげと眺めたあげく顔をしかめ、首をひねりながら離れていく。


 たらいの内部に細い線で波の模様が刻まれている。
 「金魚」というと、ついつい横向きの姿を思い浮かべる人が多いと思うが、この金魚、出目金のように両側にでかい目玉が分かれた姿を上から見た形で刻まれてるので、数としては多いのだが、わかりにくいのかな?と思った。

 犠尊(写真B−6。データ→※参照)のキョトンとした目がかわいかったなあ、と思いつつ博物館をあとにしたのであった。
※ 鏨胎琺瑯犠尊(ざんたいほうろうぎそん。清・乾隆年間(1736〜95)高さ19.9cm、長径21.2cm、短径9cm)


 息子とまわる美術展は、いいものです。

 

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