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(No238) 東日本大震災被災者による防災講演会 その1
講師の熊本 正紀さんは宮城県石巻市で被災し、津波に巻き込まれながらも九死に一生を得られた方です。 熊本さんを紹介している新聞記事はここで。
3月11日、その日はとても暖かい日でした。私は事務所兼工場である建物の1階にいました。 国道398号線に出ると、側溝から黒い水が噴き上げてきて、膝まで波が来ました。私は転んでしまい、立ち上がった時に波にさらわれてしまったのです。この時の波は、ガレキも混じっておらず、きれいな波でした。 津波というと、普通は逆巻くような激しい波、男波を連想します。石巻市は北上川の下流に位置します。海から来る波は激しいんですが、川を逆流する波は、広がっていく波なんです。 私は、最初は静かに流されました。ダウンジャケットが救命胴衣の代わりになりました。すると、横から自動車が吹っ飛んで来ました。左右から車。私が流されている流れの他に、左右から別の波がやって来ているのです。私は、この車にぶつかったら、逃げられないなと感じました。 そのうち、車は少なくなっていきました。沈んでいくんです。中には人がいるんです。手を上げて「助けてくれ〜!!」と言っている。でも私にはどうすることもできません。私は流れてきたタクシーの行灯(あんどん。タクシーの屋根についている表示物)にすがりました。 家が1軒流されてきました。見ているとその家は電柱にぶつかって、裂けてしまいました。私は2階建ての家の屋根にすがりました。あと15mくらいで山だったのですが、見る間に多くのガレキが流れてきて山へ逃げられなくなりました。このガレキというのは、今壊れたばかりの家や車などです。がんがん、そのガレキがぶつかります。逃げられないんです。 次に引き潮が来ました。皆さんは海水浴場などで満ち潮は大したことないけど、引いていく潮の勢いの強さを感じられたことはないでしょうか? 私がすがったガレキの横を人も流されていきます。いまだ、1100人余りの人が行方不明です。北上川に吸い込まれ、太平洋に流されてしまったのです。 自動車もたくさん北上川に吸い込まれていきました。みんなシートベルトをしたままです。警察の方がいたら、ごめんなさい。地震や大雨の時はシートベルトを外してください。 私は二階建ての家の屋根にすがっていたのですが、すごい勢いで水位が下がっていきました。家が斜めになって崩れそうになりました。 次に第二波の満ち潮が来ました。これは家も何も飲み込んでしまう渦巻く波です。私は丸太につかまりました。他のガレキが当たりますが、多すぎて避けられません。 木造の2階建ての家が流れてきました。私は大阪に2ヶ月ほどいた時(注 熊本さんは被災後、しばらく大阪府豊中市に避難しておられた)、夜、眠れませんでした。その光景を思い出してしまうのです。 流れてきた車が私のつかまった丸太の進路を妨げます。私は電柱に流れ着き、電柱のはしごにすがりました。 津波に耐えても寒さに耐えられない。本当に気持ちよく、眠くなっていくんです。私も真っ青な空を2回見ました。私のおでこには2か所傷があります。 他の人も落ちていきます。そのうち、火災が起こりました。火災で命を落とす人もいますが、私は火災で助けられました。 朝方になって、自衛隊の方に助けてもらいました。避難所に向かう人が見えたから「助けてくれ」と声をかけたんです。そうしたら「そこへは行けないから自衛隊を呼んでくる。そこを動くな」と言われて。待ってたら本当に呼んできてくれた。 避難所に行って、まず何をしたかと言うと、水を飲みたかったですね。ヘドロを飲んでいるから体調が悪かったんです。 後で、自分の家に戻りましたが、生活用品は1階に置いていて、全部ダメになっていました。 自衛隊や消防、警察の方々は本当に立派でした。竹竿の先に赤い布を結びつけたものを立てて、ここに遺体があるぞと示すんです。そして、必ず遺体に最敬礼してくださってからブルーシートで包みます。 石巻には「乾き組」と「濡れ組」という言葉が出来ました。地震の後、津波の前に素早く避難所に逃げこんだ人は「乾き組」です。家族を2階まで上げようと時間をくったりした人間は「濡れ組」になります。 ともかく、まず逃げることです。では、どこに、どうやって逃げたらいいのか。ここ旭区と石巻は何だか似ています。もし、堤防を越える津波が来たら、まあ、地震から30分か40分で来るとしたら、3階以上の鉄筋コンクリートの建物を歩いて10分以内の所で見つけておいてください。 普段なら10分でも、地震で気持ちが動転したり、ブロック塀が崩れていたりしたら倍はかかります。上に上る時間もいります。それでギリギリです。避難所まであと5mの所で津波に流された車いすを押された親子連れの例もあります。 いつでも上れる非常階段のあるビルを探しておくことです。 それと、防災グッズも皆、役に立ちますが一番大事なのは普段使っている薬です。 災害の時、薬は手に入りません。みんな、体調が悪くなります。私も血圧が上が190で下が120くらいになりました。 それと2階の押入れに下着やタオルケットなどを置いておきましょう。時間がたてば支援物資も来ます。でも、それまで「寒いでしょ?私のシャツを着なさい」なんて言ってくれる人はいません。 「真冬の真夜中」に津波が来ると想定して準備をしましょう。 大事なのはライフラインです。電気、ガス、水道はすぐには復旧しません。電気が切れたら冷蔵庫ももちろんですが、ファンヒーターも動きません。(注 これは私も阪神大震災の時、痛感した。「石油」ファンヒーターって、停電したら使えないんだというのは、それまで意識したことがなかった)
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