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(No3) 「桂あやめ講演会 笑いでコミュニケーション」 聴講記
「憲法週間記念事業 人権講演会」が旭区民センターで開催された。
講師は落語家の桂あやめさん。 タイトルは「笑いでコミュニケーション」。開催日時は平成22年5月9日(日)の午後2時から。
もちろん、講演なので、見出しなどはない。この見出しは石野が、読んでいただく便として勝手につけたもの。
また、この見出しごとに、前後する内容も適当に編集してまとめたので、実際に聴かれた方は「あれ?聴いたのと違うな?」と思われるかもしれませんが、ご了承を。
【 女に落語はムリ? 】
早いもので、落語家になって28年目になります。ほな、3歳からやってたんかって?(笑い)
まあ、この世界、何年に入門して、同期が誰で・・・というのがついてまわりますから、年をごまかすゆうのはできませんが。
落語というものに触れたのは中学の時だったんです。「時うどん」という噺を聴いて、ああ、おもしろいな、と。
ただ、それ以来、わき目もふらずに落語家を目指して・・・というのではありませんでした。
その後、漫才ブームというのがあって、でも、私、漫才より、一人でしゃべる落語の方がいいなって思ったんです。
そしたら、ああ、私、そういえば、中学の時も、落語っていいなぁと思ったことを思い出して。
(右写真は、『桂あやめの艶姿(あですがた)ナニワ娘』)
それから落語会とかも行くようになったんですが、「あれ?女性の落語家さんて、いないなぁ」って気付いたんです。
それで、周りの人に訊いてみました。
「なぁなぁ、落語家って女では、なられへんの?」
答えは、「・・・・・・いやぁ・・・、なられへん・・・・ゆうことではないんやけどな。
ちょっと前、何人か女性の落語家がいた時期もあったけど、皆、やめてしもた。師匠方も、女の弟子は取りたがらんようやで」
もし、私がなりたい!と思ったもんが歌舞伎やったら、答えははっきり「無理」なんですね。
しかも、その家に生まれてこないとダメ。
海老蔵さんは、團十郎の家に生まれてきたから歌舞伎役者になれて、そのうち團十郎になるんでしょう。
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でも、松本幸四郎の家に生まれてきても、松たか子は、女優にはなれても歌舞伎役者にはなれない。
寺島しのぶは、世界的な賞を取るような人やし、尾上菊五郎と富司純子の間の娘やけど、歌舞伎役者にはなれない。
まして、私みたいな庶民の女の子には全く可能性がないんですね。
でも、落語というのは、伝統芸能にしたら、びっくりするほど世襲が少ない。桂米朝師匠も別に、落語家の家に生まれたわけやないですからね。それでも、人間国宝、文化勲章・・・と、一代で頂点までのぼりつめることができる。
でも、落語家になりたいって言ったら、相談した百人が百人ともに反対されました。
やめとき、女に落語は無理やって言われました。でも、それはただの「思い込み」やったんですね。
【 運転免許 】
落語会に通っていた頃、ある日、桂文枝、当時はまだ小文枝ゆう名前でしたが、小文枝師匠の方から声かけてくれはったんです。
(小文枝師匠の口調の物真似)「自分、よぉ顔見るけど、どっから来てんねや?」
「はい!神戸から!」
「へぇ〜。えらい遠いとこから来てくれてんねんなぁ」
私としたら、憧れの小文枝師匠が声かけてくれはったんやから、何か、言葉返さなあかん思て
「師匠は、いつも落語会には何で来てはるんですか?」ってゆうたら、
「電車やぁ。今、車の免許持ってる弟子がおらんさかいなぁ、家の車、ほこりかぶってんねん」
それを聞いて私、「ほな、私、免許取ります。そしたら、弟子にしてください!」
師匠にしたら、落語会に珍しく女の子が来てくれてる。しかも、こんな若くてかわいい子が!(笑い)ほんで、ちょっと愛想で声かけただけや思うんです。
でも、私、それからすぐ運転免許の合宿ゆうのに入りました。17日間で免許、取れるゆうやつ。島根県の益田市の山の中でね。
ええのは、田舎やから信号ない、踏み切りない、対向車はない、人は探しても、だぁ〜れもおらん。
しゅ〜っと回ってきたら、ハンコ押してもろて、免許が取れました。
すぐに師匠とこ行って
「見てください!免許、取ってきました!」ゆうたら、師匠も、あんまり無下に断るわけにも行かん思ったんでしょうなぁ。
「え〜?取ったん?うちゃ、女の弟子は取ってへんねんけどなぁ。・・・・・ほな、まあ、明日から来てみるか?」
次の日行ったら「ああ、ほんまに来たんか。・・・・・・ほな、今から落語会、行くねんけど、運転してくれるか?」(笑い)
今の今、取ったとこですよ?
ガレージ行ったら、クラウンゆう、見たこともないような大きな車です。
でも、運転手として来たんやから「運転できません」ゆうたら「ほな、帰ってくれ」てなるから、「はい」て言いました。
奥さんが心配しはってねぇ。あんた若葉マーク持ってんのんか?言いはったんで、持参してたマークを前と後ろにぺたぁ〜。
奥さんも、「私も用意しててん。これ、あった方が安心やゆうし」って、車の両側にぺたぁ〜。
前後左右に若葉マーク貼って(笑い)走り出しました。
私、大阪の道は全く知らなかったし、師匠も車、運転しはらへんからあんまり詳しくない。
「迷たらあかんから、阪神高速で行こか」(笑い)
あれ、乗り口のとこは、まあまあ行けるんです。でも、環状線に合流するところが大変で。
特に、右の方から、左へ合流せなあかんとこがあるんですが、右で運転してるから、左の方が見えへん。合流する手前で止まってしまいまして。
車が途切れたら合流しよ思ったんですが、昼間の阪神高速は、車が途切れんのです。(笑い)
次から次に車が来る。後ろからはパァパァ(クラクションを)鳴らされるし、ね。
「どないしたんや?」
「車線変更したことないんです」(笑い)
師匠も、このままでは仕事に遅れる、て思いはったんでしょうねぇ。
車の窓を開けて、顔を出して、いつもの営業スマイルで
「あぁ、どうもぉ〜。いつもお世話になってる落語家の桂小文枝でおます。ちょっと、車を通してもらえませんやろかぁ?」(笑い)
それから、役割が決まりましてね。
私は前向いて、ハンドル握ってるだけ。
師匠は前後左右を注意して車線変更を指示する・・・・・・。(笑い)
私は「ファン」という立場から入ったから、最初の反応が優しかったんですが、この世界、入門を願っても1回は断るもんなんですね。
断られても、それであきらめずにもう一度来るかどうかで気持ちを試すところがある。
私が入門してからしばらくたって、坊枝ゆう子、この子、今、旭区に住んでるんですが、坊枝が入門願いに来てね。
「師匠!お願いします!弟子にしてください!」
「・・・・・・・・自分、免許、持ってるか?」(笑い)
「え?はい!持ってます。仕事で、車使って配達とかしてた経験もあります」
「明日から来てくれるか?」(笑い)
【強盗に・・・】
マイナスに考えると、どんどんマイナスになっていきますが、プラスに考えると、プラスアルファまでついてくる。
大リーグのイチローさんて、ほんと吉本新喜劇が大好きで、日本帰ってきたら、必ず観に行きはるそうですが、みんながマイナスをプラスにしてるところが好きなんやそうです。
そらそうですね。ハゲとかデブとかチビとか、あごがしゃくれてるとか、普通やったら悩んで、隠したいような所が自分の売り物になる。
マイナスがプラスに変わるんやから、こんな強いものはない。
『ホームレス中学生』なんてのもそうですよ。
家族崩壊して、住むとこも、食べるもんもなくなった。悲惨な話です。
ほんまやったら、そんな過去、知られんようにするとこ「聞いてください、子どもの頃、こんなことあったんですよ!」てゆうたから・・・・TVになる、映画になる。本は200万部売れて、印税は2億やて。
私も、若い子は知らんねんけど、まあ、この会場に居てはる人は大概ご存知でしょう。17年ほど前に強盗に襲われましてね。
相手は、広域指名手配、スナックママ連続殺人事件の犯人でした。
ピンポンが鳴りましてね。前の日、遅くまで飲んでてしんどかったんですが、「隣の5号室に引っ越してきたんですが、ご挨拶に」ゆうから、「あ、こら出なあかん」思って、ああ、上下ジャージやけど、まあ、ええか思って、ドア開けて、話、してたんです。
ほんまに隣は空いてたし、いかにも引っ越してきた人がするような話をしてたから、こっちは何も疑わんと普通に話、してたら、急に首絞めてきた。
「こら、えらい人なつっこい人やなぁ」(笑い)
いや、一瞬そう思うほど、何にも警戒してなかったんです。
ほんで、気ぃ失のぉて、気ぃついたらお金取られてたんで、警察に届けた。
そしたら、指紋が、その連続殺人犯と一致したゆうから、えらい大事件になって。
さっそく緊急記者会見ですわ。
普通、こうゆう事件の後の記者会見ゆうたら、会社の人がついてくれて、「本人は事件のあとで、まだ憔悴してますから質問は短めに」とか、ちょっと答えにくい質問が出たりしたら、「では、会見はこの辺で・・・」とか仕切ってくれるもんや思てたんです。
そしたら、一応、吉本の人は来てくれてんねんけど、やたらニコニコしてる。
何でかなぁ思ったら、これまでは、記者会見ゆうたら、「この度は、うちの横山やすしが・・・」とか「うちのき・・・」(石野註 言いかけてやめたのは「桂きん枝」だから?)ばっかり。
吉本が生んだ、初の被害者やったからなんです。(笑い)
で、こんな事件の後やったら「君も大変やったなぁ。まあ、会社のことは気にせんと、ゆっくり心の傷を癒したまえ」・・・・なんてゆうてくれるもんやと思ってたんですけど、吉本ゆうのはポジティブ思考の会社やから。
「明日、東京で記者会見やからな」て、新幹線の切符渡された。
「あのぉ・・・・、私、一応、全治10日の怪我人なんですが」
「お前、今が旬やないか!」(笑い)
「でも、まだ、首には絞められた時のアザが残ってるんですよ」
「それが値打ちや!」(笑い)
どこ行っても、おんなじこと訊かれる。何でドア開けた?どんな会話した?犯人の印象は?とか。
そうすると、落語家としての職業病が出てくるんですね。(笑い)ちょっとでもおもしろくして、オチをつける。
どんどん話を膨らましてたら、大阪に帰ってから困った。
「天王寺警察の者ですが、あらためて事情聴取を」(笑い)
ほんまは、どうやったっけ?って。
事件があったのが正月の5日でした。
すぐに仕事に復帰しようと思ってたんですが、正月って、新年でおめでたい席が多いんですね。
ですから、強盗に襲われて、首絞められてお金取られたようなもんが行って、ええんやろか?と。
ところが、逆に、皆さん、「いや、来て!来て!あんな奴に襲われて生きてるだけでめでたい」ゆうてくれて。
で、寄席には出してもらえることになったんですが、楽屋に入るのが怖い。
みんな、どんな噂してたんかなぁ、とか気になって。
でも、私の顔見るなりある先輩が「おお!お前、あの事件以来、いろんなとこTVとか出てるやんけ!それまで、金のぉて首回らんゆうてたのに、首絞められたおかげで、回るようになって良かったのぉ!」(笑い)
そんなアホな!ゆうて、みんなどぉ〜っと笑って、それですごく楽になった。
だけど、今度は舞台に出るのが怖くなったんです。
「いや、あの子やで。強盗に首絞められて、死にかけた子。えらい目おうたのに、それ隠して、こんなとこでニコニコ笑て落語せなあかんやなんて、なぁ・・・」とか、思われてるんちゃうかとね。
とゆうて、いきなり、私、事件に遭いましたが、大丈夫です。決して空元気ではありません・・・・なんてゆうのもねぇ。
そんなん考えながら舞台に出たんですが、大阪のオバチャンにそのような気遣いは無用でした。
いきなり、最前列のオバチャンが、「あっ!この子や!(と、何度も自分の首を両手で絞める仕草をしながら)な!これやろ?これ!な?」(笑い)
【 阪神大震災 】
阪神大震災の時も、ああ、関西やなぁと思ったことが何度もあります。
東京から来たレポーターがねぇ、こう眉間に深いしわで、暗い調子で「現場は全く悲惨な状況です。では、被災者の方の声を聞いてみましょう。どうですか、これからの生活設計は?」
そしたら、マイク向けられたおばちゃんが「え?うち?さっぱりワヤや!」(笑い)
あれ、1週間くらいしてから当時の村山首相が来たんですなぁ。ヘリか何かで。ジャンパーか何か着てはった思います。
で、村山総理が現地の被災者に声をかける。
「どうですか?」
「手ぶらで来たん?」(笑い)
春になってね。ある家はつぶれたままなんやけど、庭の桜は満開になってた。
近所の人が通りかかって
「どないです?」
「うちは、この桜と一緒ですわ」
「え?」
「”ぜんかい”(桜が「全開」と、家が「全壊」)です」(笑い)
そしたら、その聞いた人が、関西の人やから自分も何か返さなあかん思ったんでしょうなぁ。
「うちは、こないだの貴乃花の成績でしたわ」
「とゆうと?」
「もうちょっとで”ぜんしょう”(相撲が「全勝」と、家が「全焼」)」(笑い)
神戸の風月堂ゆうお菓子屋さんの地下で、毎月10日に落語会があって、私もよぉ出してもろてたんですが、さすがに中止になってたら、「いつ復活するんですか?」ゆうハガキがたくさん来まして。
半年ほどたった頃に、ほな、やってみよか、ゆうことになりました。
あの頃、神戸では、よぉチャリティ公演ゆうのがありましてね。
ありがたいんですけど、神戸で芸人やってるもんにとっては、脅威でして。
歌でも、お笑いでも、全国から超一流がやって来て、タダでやる。それやのに、私らに1000円の入場料払ってくれるやろか?そう心配してたんですが、前売りはすぐに完売。
私、その頃サンTV(神戸の地方局)のレポーターもしてたんで、現地に行ったら元町商店街に長蛇の列。
一番前の人にマイク向けたら
「いつ復活するか、楽しみにしてました!」
「そうですか!ありがとうございます!」
次の人にマイク向けたら
「落語が大好きです!今日はいっぱい笑います!」
みんな、そうなんかなぁ思って、次の人にマイク向けたら
「え?この列、炊き出しちゃうの?」(笑い)
当時、神戸では「列があったら、とりあえず並べ」ゆう鉄則がありまして。
【 笑いの力 】
うち、震災で母を亡くしまして。
震災住宅が当たったんですが、それがえらい田舎の方やったんで、父は「こんなとこ住めるか!」ゆうて。酒浸りみたいになりました。
だいたい、年とって奥さんなくすと男はあかんのですね。
でも、奥さんの方は強い。
「いやぁ、もう、夫を亡くしてしまって、これからどうしたらええのか・・・・」なんてゆうてても、夕方になったら体が勝手に晩御飯を作ってしまう。(笑い)
勝手に洗濯をしてしまう。こうゆう体を動かすのがええんですね。
同じ田舎の震災住宅が当たっても、うちの父と違って
「えらい田舎やなぁ。土地、いっぱいあるなぁ・・・・・・・野菜、作ろ。花、植えたろ」。
特に、育っていくものを見るのはええみたいです。
そう考えることができる人は、野菜をおすそ分けしたり、花を見に来た人と会話したりして、どんどん元気になっていく。
笑ってる人、しゃべる人が元気になるゆうのは、神戸でつくづく感じました。
被災地で何ができるんやろ?ゆう人もいますけど、話を聞いてあげるだけでも、人は元気になれるんです。
私ら落語会出る時でも、前の日に深酒した先輩が、
「あ〜、あかん。体から酒が抜けんわぁ。10分もやったら(高座を)おりるさかいに、悪いけど次、出る準備しといてや」ゆうて出る。
ところが、その日のお客さんが良くて、何をゆうてもどっかん!どっかん!受ける。
そしたら、乗ってきて、アドリブ入れたら、これもまた受ける。
そないなると、10分どころか、20分たっても、いっこうにおりてこない。
見てたら曲がってた背中も、だんだん伸びてきて。
30分以上やって、やっとおりてきたか思ったら、
「よっしゃ!さ、これから飲みに行こか!」
これね、私、昔は、舞台で汗かくから、それでアルコールとか発散してるのかな?て思ってたんです。
でも、発散するだけじゃ空っぽになるだけですよね。
でも、熱あったもんが、高座おりたら熱、下がってるんです。前より元気になってる。
これは、しっかり聞いてもらえたら、話をしたもんは、聞いてもろた人から気ぃとゆうか、エネルギーがもらえるゆうことや思うんです。
反対にお客さん、いっぱい入ってもろてても、反応なかったら地獄でっせ。
「噺家殺すに刃物は要らぬ あくび三つで即死する」ゆいますからね。(笑い)
いまは、携帯(電話)ゆう強敵もあります。
こないだ、師匠が得意やった「猫の忠信」ゆう噺を一生懸命稽古して、高座にかけて、さあ、オチを・・・・ゆうとこで、お客さんの携帯が「パラッパラッパッパッパッ!パラッパラッパッパッパッ!」(笑い。QP3分クッキングのテーマ?)。
まあ、これも「笑い」にできんとあかんのんでしょうけどね。
笑いには「ハヒフヘホ」の5種類があると言います。
このうち、ヒからホまでは口先だけで、ほんまはおもろなぉても笑えますけど、ハハハハは無理ですな。ものすごく、わざとらしくなる。
よぉ笑いすぎて腹が痛い、腹がよじれるゆうけど、あらほんまなんです。腹筋使ってるから。
で、私らみたいな声を出す商売は「腹式呼吸」て言われますけど、ハハハと笑うと腹の空気が全部出る。自然と腹式呼吸になってます。
笑うと、ガンとかの悪い細胞をやっつけるそうですから、大いに笑ってください。
私は悩み事とかあると「落語」にするようにしています。
38歳で子供を生んだんですが高齢出産ですね。ですから落語の中の登場人物に自分が気になってることを言わせたりしてます。
「ええ?38歳?私ら、もう孫、おんねんで。ほんまに自分で生むん?」とかね。
私も、古典落語が受けなかったら、新作落語を作るようになりました。
もし、古典がそこそこ受けてたら、こんな新作を作ることもなかったんかなぁ、て思います。
今日は、こんな立ち見が出るほど、たくさんの人にお越しいただいてありがとうございました。
学生の頃立たされるゆうても、こんな1時間半も立たされること、なかったのにねぇ?
また、繁昌亭とかにもお越しください。ただ、その時は、「笑ってやろう」と思って来てくださいね。
たまにいてはるんです。(腕組みして)「どの程度のもんか、見させてもらおかい」とかね。アンケートにも「まだまだや」・・・。(笑い)
どうもありがとうございました。
お疲れさまでした。
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